第6話 不器用すぎる僕


 ハーミリアが口をきけなくなった翌日、僕は心配のあまり彼女の寝室にノックもせずに侵入してしまい、冷めた目を向けられた。

 かつてないほどの失態に、激しく自己嫌悪したが時既に遅しだった。


 僕はタックス侯爵家の三階にある私室に戻ってから、今度こそこそ愛しいハーミリアに捨てられるのかと激しく落ち込んでいた。


「はあ、ライオネル様。いい加減シャキッとなさってください」

「もう、ダメだ。僕は、ついに愛想を尽かされたのだ……!!」

「ハーミリア様がやっと不良物件を掴んだと理解されたのですね。よかったです」

「ジーク、なんてこと言うんだ! まだ婚約破棄されていないぞ!」


 前日からいつもと違うハーミリアの態度に不安を感じて、侍従であるジークに話し相談に乗ってもらっていた。彼は僕の乳母の子として共に侯爵家で育ってきた兄のような存在で、本当に頼りになる。


「昨日はあんなに深刻な顔でどうしたのかと思いましたけど、ついにご自分で決着をつけられたのですね」

「だから! まだハーミリアは僕の婚約者だ!」

「わかってますよ。昨日も泣きそうな顔でハーミリア様に嫌われたかもしれないって言い出したから、励まそうと思ったんです」

「いや、むしろ傷口が広がってるんだが?」


 ……少々乱暴なところはあるが、本当にジークは頼りになるのだ。


 それに比べて不器用な僕は、人の二倍も三倍も時間をかけて勉強も魔法も身につけてきた。剣術だけは絶望的なセンスでどうにもならなかったけれど。


 それでもハーミリアの婚約者として不動の地位を築くために、なんでも必死にこなしてきたのだ。

 だけど僕がこんなに情けないから、ついに見切りをつけられたのかもしれない。


 僕はひと目見た瞬間に天使のように愛らしく、女神の如く心の美しいハーミリアに心を奪われた。


 父上と母上に彼女以外とは結婚しないと主張して、半ば脅しをかけて婚約を結んでもらった。もちろんハーミリアの生家が潤うように、できる限り融通している。


 ハーミリアの素晴らしいところは、見た目の美しさだけではなかった。

 努力しないと人並みにこないせない僕を笑うことなく、立派だと褒めてくれたのだ。


 僕が努力の天才だと言って、ずっと支え続けてくれた。

 それが本当に嬉しくて、いつだって僕はハーミリアに優しく背中を押されてきたのだ。


 幸い友人たちとのコミュニケーションはさほど苦労してこなかった。

 ただの友人や、貴族の令嬢子息なら穏やかに微笑んでいれば、大抵相手から歩み寄ってくれた。もちろん僕の実家の影響もあるだろう。


 でも本来自分は不器用だと理解していたから、穏やかで正しい人間であるように心がけてきたし、誇り高くあるべきだと矜持を持ってやってきた。それですべてが上手くいっていた。


 だけどハーミリアの前に出るとダメだった。


 僕はハーミリアが好きすぎて彼女を前にすると思考停止してしまい、他の人間と同じように対応できなかったのだ。それでも今までは、嬉しそうに楽しそうに話しかけてくれるハーミリアを、五感のすべてを使って受け止めてきた。


 本当は彼女を前にすると、心臓が壊れるほど激しく鼓動して、息をするのも忘れてしまいそうになる。


 彼女の声は僕の耳に心地よく、ずっと聴いていたくなるから、いつも返事がひと言で終わってしまった。


 彼女の笑顔を見れば顔が緩んでだらしなくなるから、いつもより表情筋に力を込めていた。

 視線なんて合わせたら目を逸らせなくなるから、いつもこっそりと盗み見ていた。


 もし彼女と同じクラスだったなら、成績を維持するのも難しかっただろう。だってハーミリアに見つめられただけで、頭の中が花畑になってしまうのだから。


 それなのに、昨日からひと言も言葉を発してくれなくなった。

 あの高く澄んだ声が聞けない。貴族らしい笑顔を貼り付け、心から笑っていなかった。


「どうすればハーミリアを引き止められるのだろうか……ジーク、なにかいい案はないか?」

「いや、策はいくらでもありますけど、ライオネル様はハーミリア様の前ではポンコツですからね。どうにもなりませんて」

「うぐっ、確かにそうだが……それでも、なにかあるだろう!? 頼む、僕はハーミリアを失いたくないのだ!!」


 駄々をこねる子供みたいだとわかってる。

 しかも自分の侍従に頭まで下げて、策を授けてくれと縋るのは本当にみっともない。それでも、どうやっても、ハーミリアの気持ちを繋ぎ止めていたいのだ。


「うーん、わかりました。それでは少しだけズルをしましょう」

「……それでハーミリアが僕のそばにいてくれるなら、どんなことでもしよう」


 失いそうになってようやく、自分はもう彼女なしでは生きていけないと理解した。

 彼女のそばにいるためなら、僕のちっぽけな矜持など捨ててもかまわないと決心したのだ。


 僕は翌日からイヤーカフ型の通信機をつけて、ハーミリアのお見舞いに向かった。

 この魔道具は馬車で待つジークにつながっていて、魔力を通すことで映像や音声を相手に届けることができる。これですぐに真っ白になって固まってしまう僕の言動をアシストしてくれるものだ。


 ハーミリアの部屋に入ると彼女と同じ匂いが鼻をかすめて、それだけで天にも昇る心地になった。しかしそんなことを悟られて嫌われたら終わりなので、なんとか平静を装う。


 ジークの指示のおかげで、今までよりも格段にハーミリアと会話ができるようになった。


 ハーミリアがなにも話さなくても、コクリと頷く仕草が愛らしくてたまらない。にやけそうになる顔を引き締めるのに苦労した。華奢なのによく食べるハーミリアを見ているだけで癒される。


 マルグレン伯爵家の家令から歯が痛くて話ができないのだと聞いたので、少しでもハーミリアが喜ぶようにと手土産も毎日用意した。

 状況に応じて耳につけた通信機からジークの指示が飛ぶ。


《ライオネル様、持ってきた手土産は美味しかったか聞いてください》

《今日はハーミリア様の顔色がよさそうなので、調子がいいか聞いてください》

《次は花を持ってくるとお伝えください。あ、食べ物だけでは飽きるだろうと心配されてたことも併せてお伝えくださいね》

《ライオネル様がまとめた授業のノートをさりげなく渡してください》


 ジークの的確な言葉にふたりきりでも落ち着いて過ごすことができた。

 加えて僕の方でもハーミリアの症状について調べていたが、有効な治療法が見つけられず対処療法しかできなかった。

 それでもハーミリアと過ごす時間は幸せだった。僕だけが彼女を独り占めして、彼女の瞳に映るのも僕だけだ。


 だけど、そんな幸せな時間は長続きしなかった。

 僕がズルをしたからなのか、やはり情けないままでどうしようもないからなのか、ハーミリアから拒絶の言葉を受け取ってしまう。


《ライオネル様、落ち着いてどういうことかお尋ねください。……ライオネル様、聞こえてますか? ライオネル様?》


 通信機からジークの声が聞こえてくるが、頭の中にまったく入ってこない。

 ただただ、目の前の【もう手土産は不要ですわ】という文字がぐるぐると駆け巡っている。もう見舞いにも来てほしくないのだろうか?


 それもそうか、いくらハーミリアが好きすぎるからといって酷い態度しか取ってこなかったのだ。


 そんな男の顔など見たくないに違いない。

 でも僕は、ハーミリアをあきらめたくない。


 お願いだから、僕のそばからいなくならないで。

 情けない僕が嫌いなら、変わるから。どんなことでもするから。


「お願いだ、ハーミリア! 僕を捨てないでくれ! どんなことでもするから嫌いにならないでくれ!!」


 気付けば床に膝をつき、みっともなくハーミリアに縋りついていた。

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