ゼダの紋章 第2幕 人類絶対防衛戦線

永井 文治朗

序章 メリエル皇女と仲間たち

 女皇暦1188年4月26日 午後1時


 ディーン、ルイス、スレイ、メルの4人も薄々は勘付いていた。

 しかし、それをはっきりと悟ったのは彼らを乗せた列車がターミナルのあるレーヌを過ぎて、アルマス駅へと向かう少し前からの事だった。

 明日朝にも列車がアルマスに達する。

 列車が西へ西へと向かうにつれて毛羽だった雰囲気をそこかしこに感じるのだ。

 特にそれが顕著だったのが鉄道公社局員たちだった。

 パルム中央駅で駅係員の見せた穏やかで適切な対応は到底期待出来なくなっていた。

 一見すると冷静に見えるのだが、どうにも嘘くさい。

 特に食堂車で昼食を済ませ、スレイがトレド駅までの接続列車について車掌に尋ねたときだ。

「すみません、トレド駅までの列車はベルーナ渓谷トンネル内での大規模落盤事故により復旧の目処が立っていません。復旧には数年かかるだろうと」

「すると、トレド線の終着駅はアルマスという事になるのですか?」

「ええ、そういうことになります」

「トレドに所要のある人たちは皆、アルマス駅で足止めされているという事ですかな?」

「ええ、それが何か?」

 まるで勘繰られたかのように逆に質問される。

「結構、それではアルマスからは渓谷越えの馬車を・・・」

「いいえ、渓谷越えのルートそのものが封鎖されています。昨年末の地震の影響ですね」

「ほぅ、それではベルーナ渓谷自体が通過出来ないのだということですか?」

「はい、もしトレドに御用の向きであれば“折り返し列車のチケットをご用意致します”が、いかがなさいますか?」

「いや、結構です。アルマス駅で旦那様に一度連絡して指示を仰ぐことにしますので」

「左様でございますか。それでは折り返し便に御用の向きがあればアルマス駅にて対応致しますので駅員にお申し付けください」

 車掌がコンパートメントを去ったのを見計らってスレイは他の3人に問うた。

「どう思う?」

「どうにも胡散臭いな。まるでパルムに引き返せと言わんばかりだ」とディーン。

「そうね、アルマスにも長く滞在して欲しくないと言外に伝えようとしているようだったわね」とルイス。

「まるで誰かからの指示で形通りの説明を強要されているみたいだったわね」とメルが率直な感想を語る。

 受け答え自体は車掌としてひどく当たり前の対応なのだが、どこか違和感は拭えない。

「それじゃ、例の作戦で行くか」とスレイが先に席を立つ。

 ディーンは少し遅れてコンパートメントを出た。

 各コンパートメントには人数分の寝台が備えられている。

 しかし、この時代はまだ各車両毎にトイレはない。

 コンパートメントが並ぶ車両の両端に男女兼用のトイレが設置されている。

 特別席として扱われるコンパートメント車両の両端には車掌が立っている。

 つまり、一般車両と隔離されているのだ。

 これは主に防犯上の理由で、食事の際は食堂車に移動するのでその間、コンパートメントが空になり、空き巣被害があるのを防止するためだ。

 乗客のいないコンパートメントは乗務員により施錠されている。

 これも特別料金を支払わない乗客が勝手に入り込むのを防ぐためだ。

 先にコンパートメントを出たスレイはそっとトイレに入る。

 すかさずディーンはトイレが使用中であると車掌に泣きついた。

「お客様のお顔は記憶しておりますので、どうぞ一般車両のトイレをお使いください」

 こうすれば怪しまれることなく一般車両に出入り出来る。

 逆のケースの方が圧倒的に多いのだが、数に限りがある以上こうした場合もある。

 当然ながらディーンの目的はトイレの利用ではない。

 一般車両に乗車している不審人物のチェックだ。

 パルム出発時と同様にお抱え運転手姿のディーンは一般車両を歩いてもさほど目立たない。

 ここまで計算ずくならスレイの発案も悪くなかった。

 ディーンが偵察行動から戻るのを先に戻ったスレイを含む3人は待ちわびていた。

「どうだった?」

「どうもこうもあるかっ、一般車両の乗客が異常に少なすぎる。それに・・・」

「それになによっ?」とルイス。

「明らかに国軍の関係者と見える連中が私服姿で客の動向を逐一チェックしていた。こっちもジロジロと見られたよ」

 幸いディーンは「フィンツ・スターム少佐」として有名すぎて逆に怪しまれなかった。

 人相を知りすぎるというのも問題で、新聞報道で写真を見慣れていると、本人は意外と背丈が低いので同一人物とは思われないのかも知れない。

 むしろ初対面で同一人物だと気づいたメルの方が鋭すぎるのだ。

「軍警察の人たち?」とメルは不安げな眼差しを向けたがディーンはかぶりを振った。

「雰囲気的に軍警察には見えないな。ただの国軍関係者だよ。俺たちを追っているヤツらではないな。ただ等間隔に座っているのが如何にも妙だ」

「まさか・・・」とスレイは一瞬考えた後に思わぬ事を口走った。「メルヒンとの開戦?西部方面軍だけで対処中で国軍関係者が密偵を捜索中?」

 東の状況が状況なだけにスレイの言うことにも一理あったが、この場合は的外れだろうとディーンは即座に判断した。

 オラトリエスとメルヒンは友好関係にあったが、メルヒンはゼダと断交しているわけでもない。

 いきなり開戦する前に、ゼダ外交筋にオラトリエス、フェリオとの停戦を持ちかける方が先だ。

「いいや、それはないだろうね。もし仮にメルヒンが電撃戦を仕掛けたらアルマスも彼らに占領されている。なにしろ、トレド線のトレドの2つ先はフォートセバーン。メルヒンの首都だぞ。それこそ常駐戦力の規模が桁違いだ」

 ディーンの指摘に無言で納得しつつ、スレイは目まぐるしく頭脳を回転させた。

「ありえない可能性を潰していけば考えられる事実は絞られてくる」とスレイは思索に耽る。

 そして、不意に窓の外に目をやって「えっ!?」と驚嘆の声を漏らした。

「なぁ、ディーン、女皇騎士団はメルの護衛を特別任務扱いにすると即座に判断したのだったな?」とスレイは“それ”から視線を切らすまいとし、ディーンに視線を向けることなく問う。

「ああ、トリエル副司令からの直々の命令だ」

「その後の指示は?」

「具体的にはなにも。メルを伴ってしばらく逃げていろとだけ」とディーンは思い返す。

「アレを見ろよ。お前が地上から見上げる機会は少ないだろうがな」

「なにっ?」とディーンは窓越しに空を見上げて絶句した。

「お前もお前の後詰めに《ブラムド・リンク》を寄越すなんて話は聞いていないということか?」

 ゼダ女皇騎士団保有の高速飛空輸送艦である《バルハラ》、またの名を偽装飛空戦艦という《ブラムド・リンク》。

 女皇騎士団外郭支援部隊にして所属不明の傭兵部隊・・・通称エルミタージュの旗艦。

 ディーンもエルミタージュ所属のスレイもその特徴はよく知っている上に見間違うはずがない。

 船体外部をプラスニュウムで覆いつくし、光学迷彩を稼働させている《ブラムド・リンク》は通常なら地上から見上げても視認などできない。

 だが、逆に「其処に飛空戦艦がいるかも知れない」と疑う者ならプラスニュウム独特の照り返しで判別できる。

「あそこにアレがいるってことはイアン師兄も来ているって話だよな?」

「イアン師兄って?」とメルは当然の疑問を切り出す。

「要するにメルやルイスも知っている元女皇騎士団副司令たるベックス・ロモンド教授には二人の愛弟子がいる。一人は前にも話した通り俺だよ。そして、俺のたった一人の兄弟子がイアン・フューリー提督。バルハラまたはブラムド・リンクの艦長で女皇騎士団の戦術指揮官さ」

「ああ、あの冴えないヒトね」

 メルは年始パーティに女皇騎士団ご一行を招待していたので大体の顔触れは知っていた。

 ぼやきのイアン。

 副司令のトリエル・シェンバッハとはほぼ同期の悪友であり、かつての「伊達男」今の「因業ジジイ」パベル・ラザフォード提督と並ぶ女皇騎士団艦隊部門の二枚看板。

 メルの指摘通り冴えない、居眠り好きな食えないオッサンでフィンツもなにかと頼りにしていた。

 なにしろ、女皇騎士団内ではマグワイヤ・デュラン医学薬学博士、エ大生のディーンに次ぐという根っからのインテリ肌だ。

 任官の時期的な問題でエ大生にはならなかったが、聴講生としてベックスに学んでいた時期があった。

 実際、頑張れば入試に合格出来る程度の学力はあった。

 本当にヒマだったなら、エルニシエを大卒していたのかも知れないが、実際のイアンはヒマそうにしていても多忙だった。

 なにしろ某傭兵騎士団から奪い取ったブラムド・リンクという特殊艦の運用責任者に抜擢されたので、艦の性能をすみずみまでチェックするため、クルーたちを選抜して箝口令を徹底させつつ、訓練に勤しんでいた。

 東征が始まってからは空挺作戦そのものはパベルと立案していたが、実際に艦を運用するためパルムに居続けているフリをしながら、オラトリエスやフェリオで作戦従事していた。

 戦術指揮は超一流。

 机上演習では合同演習相手の国軍、国家騎士団歴々には負けたことがない。

「それってフィンツ・スターム少佐の特務支援に虎の子の《ブラムド・リンク》とイアン提督を寄越したってこと?」とそれまで堅く口を閉ざしていたルイスが驚きの声を上げた。

 ルイスもイアン・フューリーとは面識ならある。

 なにしろ今年正月の年始パレードのあと、女皇騎士団の主要メンバーたちは司令のハニバルと調査室長のグエン、サイエス分団を除いて、その大半がリーナ家主催の私的新年会の客になっていた。

 だが、その本当の目的と誰の指示でそうしたかを聞いたらメルもルイスも仰天する。

「テリーからそんな話はいっさい聞いていない。それにエルミタージュの主戦力は現在オラトリエス各地に展開している。俺たちの中でそれが一番分かっているのはオラトリエスとフェリオ国内での遊撃作戦立案に関わったスレイ、お前だろう?」

「だよな」とスレイは即座に応じる。

 実のところ、空から強襲する作戦段階から地上秘密基地を設営して拠点からの遊撃展開する段階に達していた。

 それにパルムにイアンが居ないことがバレると色々と面倒でもある。

 実際にスレイはオラトリエス、フェリオ国内でエルミタージュの作戦立案に関わっていた。

 もう、とっくにただの民間人ではないし、中尉相当官という肩書きもあった。

 スレイの地図から地形特性を読む力はイアンやパベル以上だ。

 各地に展開させたエルミタージュの前線基地はスレイが場所を選定して、その位置も把握し、連動して作戦実施させている。

「考えられるのはトレドの偵察任務、あるいは俺たち4人の回収と移送ってとこか?」

「辻褄は合う。けど、何故に《バルハラ》でなく《ブラムド・リンク》なんだ?」

「それのなにがどう違うの? 」とメルは疑問をはっきり口にする。

 カマトトのふりはとっくにやめ、分からないことはすぐに聞く。

 そうでないと会話の中で飛び交う理解しづらい膨大な情報から取り残されそうだった。

「メル、空中での可変可能なのが高速輸送艦である《バルハラ》の最大の特徴なんだよ。そして、艦の所属がゼダ女皇騎士団だとはっきりしている《バルハラ》形態なら、ゼダ国内のどの空港でもフリーパスで着陸許可が出る。ところが光学迷彩稼働形態の《ブラムド・リンク》は“所属不明艦”なんだ。つまり、あのままではそもそも人から見えないし、すんなり着陸許可も下りない」

 それに艦長たるといえど、イアン・フューリー少佐の一存だけで極秘戦力である《ブラムド・リンク》の使用許可が出せる筈がない。

 “イアンに命令出来る人間”も乗艦しているとしか考えられない。

「アルマスの空港を占拠している他国ないしは国家騎士団の飛空戦艦が大挙停泊中なら、イアン提督はそれを警戒して上空待機するよりないことになる」

 常時には考えられないことだが、すでに非常時なのだとしたら?。

「さてと、メルはともかく俺ら3人ならその意味について想像出来るよな。考えられる事態の中で一番サイアクのシナリオだ」

「ええ」

「答えは言ったも同じようなもんだな」

「じゃ、答え合わせといこうぜ。トレドとアルマスの事を考え合わせた結論だ。せーのっ」

「特記第6号条項の発動」と三人は揃って口にした。

「特記第6号条項?」とメルは怪訝な視線を三人に向ける。

「どの騎士団、どの軍事組織にも書き記された例外的な特記事項で6号条項だという点が何処でも共通する。故に特記6号発動は法皇猊下の抜き差しならぬ緊急事態が宣言されたという意味。すなわち災厄の到来とナコトの『預言の日』の到来・・・つまりは龍虫の大規模かつ組織的な侵攻。そして、これを防ぐための龍虫防衛戦争の開始」

 スレイ・シェリフィスは極めて正確にまとめていた。

 女皇騎士団所属のディーンは当然。

 所属を明かしていないルイスとて騎士なのだからまたしかり、スレイも傭兵騎士団エルミタージュでは作戦参謀中尉相当官なのだから当然知っていた。

 むしろ、まだ何処からも特記6号の発動が聞こえてこないことを訝しんでいた。

 ディーンも当然参加する女皇騎士団の定例会議では今年に入って何度も遡上にあがっていたし、ファーバ教団のゼダ国内統括責任者たるワルトマ・ドライデン枢機卿も、現法皇のナファド・エルレインに目立った動きも、告知もないことに苛立っていた。

「それだと昨年末以来の箝口令やら不可解な情勢の説明はつく。遊撃騎士メディーナにアリオン・フェレメイフ大尉まで惨敗したんだから、そろそろフェリオと停戦交渉が始まっても良さそうなものだけどそれもない。そして、西は明らかにおかしいのに、それらしい話がなにも聞こえてこない」とディーン。

「メル、覚悟してよく聞いて。おそらくトレドは龍虫の大群に襲われたのよ」とルイス。

「龍虫?そんなのが本当に居たんだ・・・」とメルは眼をパチクリさせる。

「居るんだよ。実際に俺は新大陸でヤツどもと戦っている」とディーン。

「ベックス師匠から聞かされては居たよ。この20年多発していた肺病罹患者。ディーンの養父母、メルの母親・・・そして、お決まりの地殻変動」

「あっ!?」と全員が声を揃えた。

「あのパーティの夜にあった妙な地震」とメルが言えば、

「まてよ、地震の発生は昨年12月20日の午後9時20分頃だ」とディーン。

「だとするととっくに5ヶ月は経っているわよ」とルイス。

「5ヶ月も時間があったらベリア全土がやられている。そんなわけないだろ。ナカリアもメルヒンもラームラントもミロアに緊急連絡を入れている筈だし、既に特記6号は発令されていないと・・・」と言いさしてディーンは真っ青な顔をした。「まさかルーマー教団の妨害か?」

 一瞬の静寂があった。

 スレイとルイスは「ルーマー教団」と聞いてもそれがどうしたというばかりだ。

 むしろ、どうしてそこまでたかがカルト結社にディーンが狼狽するのかという態度。

「ルーマー教団ってなに?」とメルが覗き込むようにする様に、ディーンははっきりと戦慄した。

 普段となにも変わらない態度と口調のメルに対し、はっきり恐怖の表情を浮かべ、ディーンは自分の迂闊さを呪っているようにも見える。

 メルの問いかけに対する常にないディーンの態度にスレイとルイスは驚愕した。

「ディーン、どういうことなんだ?」とスレイが促してもディーンは首を横に振った。

「忘れてくれ。こればかりは詳しいことは言えない。他に知っていることはなんでも話せてもこれだけは絶対にダメだ。“いつか”必ず話すから、この場ではカンベンしてくれ」

 結果的にその“いつか”はずっと後になっての事になる。

 実際、ルーマー教団は彼等を最悪の状況に追い込むが、それでも彼等が知っていてはならないことだった。

 メルは薄ら笑いを浮かべてディーンを改めて値踏みするようにした。

「なんでも答えると言ったわね、ディーン?では女皇正騎士フィンツ・スタームに問います、私は何者なの?」

 ディーンは答えるかわりに座席から立つと距離をとって恭しく片膝をついた。

 すかさず申し合わせたようにしてルイスが倣い、スレイまでもが二人に倣った。

「申し訳ありませんでしたメリエル・メイデン・ゼダ皇女殿下」とディーン。

「殿下のご身分を承知していながら、私どもは殿下のお身の安全を図るため、堅く口を閉ざして参りました」とルイス。

「その意味では察していながら、黙っていた私も同罪です。出来れば“学友”という仮初めの関係でいたかった」とスレイ。

 その瞬間からメルの眼前から友達3人は消えた。

 其処に居るのは二人の騎士とメル自身が選んだ諮問役。

「そういうことなの?3人ともわかっていて私にだけ知られないようにして通じていたの?」

 裏切られたように感じ、わずかに憤るメルに、表情を歪めたルイスはひとつ膝を進めた。

「いいえ、違いますっ!そうではないのですっ!」

「ルイス、構わないから言ってよ!貴方は誰が私につけた護衛なの?」

 ルイスはいよいよ追い詰められたと観念したように目を閉じ大きく深呼吸した。

 そして、意を決したようにメルの瞳を真っ直ぐに見据えてはっきりとした口調で答える。

「誰が護衛につけたとかじゃないの、わたし自身がアリョーネ・メイダス・ゼダ陛下の全権代理人。これがその証よ」とルイスは懐から黄色い布を取り出して広げる。

 スレイとメルとは「それがなんだ?」という怪訝な顔をした。

 しかし、二人にもそれとはっきりわかる程、ディーンだけは動揺していた。

 ルイスの本当の所属と身分についてはディーン自身もまったく知らなかったのだ。

「実物は初めて見たよ。やたらと見せびらかすものじゃないと、師匠も見せてくれなかったもの。それはゼダ皇家の紋章布・・・。やはり《紋章騎士》だったか・・・」というなりディーンは懐から自分の身分証たる白い布を出して隣に並べる。

「元老院議会で承認される俺たち女皇正騎士に所持が許されるのは女皇“国”の紋章。布地の赤い国家騎士の身分証とは色違いなだけで、基本的には同じだよ」

 白地が女皇騎士団で赤地が国家騎士団。

 黄色は皇帝を意味する高貴の色。

 描かれている紋章の違いは身分の違いをも意味していた。

「どういう意味?なにがどう違うの?」

 メル自身はルイスの回答そのものが期待していたそれとはあまりにも違うことに驚いていた。

「黄色の布に記されたゼダ皇家の紋章は即位中の現女皇の御心をあらわすのです。自分の手の届かないところでのことに関し、たった一人だけ全権代理人を任命し、その行動こそが陛下自身の御心なのだと示す。紋章騎士はゼダにおいて絶対的な権力の象徴。つまり、ルイスの発する指示や命令はすべて勅命と同義になるのです」

 言ってからディーンは天を仰いだ。

 その目に僅かに涙が浮かぶ。

「メリエル皇女殿下、貴方の本当のお母さんたるアリョーネ陛下が『もし許されることならどうしたいか?』その答えがルイスが君の前でずっととってきた行動ってことなんだよ」

 メルの目が大きく見開かれた。

 その脳裏にルイスによる過去の行動の数々が蘇る。

 ルイスは無二の親友だというには常に心の壁を感じさせてきたこと。

 肝心なことほどなにも話してくれなかったこと。

 いつも側にいて、いつも見守って、メルの大事な人たちを同じように大事に扱い、メルの意志に沿うようでいて決してそうではなかった。

 メルが痛いと言っても手を離さなかった。

 自分のことをすべて話してくれたりはしなかった。

 其処にいる筈がないメルの母親の姿を体現するということは、疎まれても嫌われてもメルに無理に理解されようとせず、常に行動で示すということだった。

 理解者であろうとつとめ、必死に我が子を危険から守ろうという母親の態度。

 事実として、メルはルイスのことを全面的に信用してなどいなかったし、ある部分ではっきり疎んじていた。

 しれっと嘘をついたり、笑ってはぐらかしたり、都合の悪い事実にだんまりを決め込んだりというのが“姐御”と呼ばれるルイスの常だった。

 ディーンもルイスも彼等がどういった人間なのかはメルの前で示しては来たが、肝心な部分は秘密にしていた。

 そして、先日とうとう二人が騎士であり、メルに対して示してきたのが「情愛」ではなく「職責」なのだと認めた。

 全部が全部がそうだとは言わないまでも根っこの部分は正に職業軍人としての態度だった。

「到らなかったことがあればどうぞお許し下さい、メリエル殿下」

 ルイスは膝をついて恭しく頭をたれた。

 その隣でディーンが全く同じ姿勢で恭しく頭を垂れる。

「わたしからもお願い申し上げます、殿下。“妻”が到らなければどうぞ私をいかようにも嬲り罵りください。しかし、どうぞ妻のことは責めないでやってくださいませ」

 数日前、ルイスがこれみよがしにしていた指輪と極めて稀なディーンからの呼び出し。

 メルに言わせれば「やはりこの二人は・・・」だった。

「そういうことかよっ」

 スレイはずっと納得のいかなかったことをようやく理解した。

 腕組んで歩いてたって夫婦なら不自然でもなんでもない。

「ついでだから全部教えて、ディーンっ!『フィンツ・スターム』とは本当は誰なの?そして貴方も何者なの?」

 メルの問いかけに今度はルイスとスレイが動揺した。

 二人とも最初にディーンと会ったときから、そして今現在に到るまで、フィンツ・スタームとはディーンの別名だと信じ込んでいたからだ。

 ディーンは天を仰いで深呼吸した後にはっきりと答えた。

「フィンツ・スターム、あるいはフィンツ・エクセイルはわたしの義弟おとうとです。アリョーネ陛下から我が父トワントがお預かりしていた殿下の弟君です。しかし、フィンツが15の年に我が家を出奔して以来、その消息はまったく分かっていません」

「行方知れずなの?」

 それはメルの嘘であり本音だった。

 メルは本物のフィンツ・スタームを知っていたし、ディーンも嘘をついていると気づいていた。

 同時にディーンがフィンツと自分にとってとても大事な人なのだとも。

 むしろ、ディーンたち女皇騎士団までフィンツの運命や所在を知らないことに動揺していた。

「おそらくは敵の正体に気づいて一人で片をつけようとし、命絶たれたものだと思われます。当時は私はパルムにおりませんでしたから詳しいことはわかりかねます。そして、出奔の直前に家人と祖父を殺めたのだということしか知りませぬ。殿下たちの知るギルバート・エクセイル3世はフィンツに誅殺されたのです」

 15歳で殺人者となって姿を消したフィンツ・エクセイル少年。

 その話だけでも三人とも動揺した。

「どうやって入れ替わったの?」

 メルは入れ替わりの事情についてだけなら察しが付いた。

「私は単に年齢を詐称しただけです。私と妻とはその実、同い年。私は人目を避けるため田舎暮らししたり、広く大陸諸国を渡り歩いたりしていました。そのため存在が公ではなかった。義弟おとうとと入れ替われたのはこの容姿がとても似ていた。なにしろ実の従兄弟ですからね。同じくトゥールやシャナムとも似ていますよ」

 つまり、ディーンは最初から二重生活者ではなかった。

 行方不明の義弟がいまも存在するかのように、一人で二役を担っていたのだ。

「シャナムってマサカ、シャナム・レオハート・ヴェローム?」とスレイは言い。「殿下、ヴェローム公爵家の跡取りで次期公王です」と耳打ちする。

 ディーンの容姿が女皇家連枝に非常に似ているということは、すなわちディーンもまた女皇家連枝なのだとスレイは悟った。

 ルイスは今も知らない最大の疑問を口にした。

「ディーン、いつからなにをきっかけに入れ替わったの?」

 ディーンはニヤっと笑った。

「お前が知っている私は私一人だよ。つまり私自身はエドナ杯に出場する予定ではなかったのだ。その意味もない。だが、ひとつは出場する筈だったフィンツへの餞として、もう一つはある人物から多くの者たちの命を守るため。として“ベルカ・トライン”の偽名で出場するよう上から命じられたのだ」

 ディーンは女皇正騎士とは言わず、単に女皇騎士と言った。

 ヴァンフォート伯を絶句させたベルカ対ルイスの一戦と《刹那の衝撃》。

 だが、それすらデモンストレーションであり女皇アリョーネとディーン、ルイスは事実上三人で周到な暗殺計画を完全に失敗させた。

 ディーンとルイスは決勝戦直前のセレモニーで一瞬の隙を見て入れ替わり、決勝戦でアリオン・フェレメイフ相手に《刹那の衝撃》を演じたのはルイス・ラファールだった。

 ベルカことディーンはそのことについて、「野暮用が出来たので決勝戦を替わりに戦って」としか言わなかったが、ルイスは後に夫となる男の申し出に疑義を挟まず快諾した。

 《刹那の衝撃》に会場がどよめく間、観覧席のアリョーネ護衛に向かったディーンはハニバル・トラベイヨ司令とベックス・ロモンド元副司令の前に忽然と現れて二人を動揺させた。

 衆人環視の決勝戦会場で真戦兵ジェッタを操縦している筈のディーンが正騎士のいでたちで待ち構えていた。

 フィンツ・スタームとして議会承認される以前に、ディーン・エクセイルは議会承認を経ない影の女皇騎士だった。

 その反対側の観客席ではハニバルの指示通り、監視役のビルビット・ミラーに貼り付かれたトリエル・メイル皇子が冷笑していた。

 トリエルは最初から自分が動くつもりはなかったし、ミラーもアリョーネに背く意志など毛頭無かった。

 往生際悪くアリョーネに迫ったグエン・ラシールはアリョーネ自身の手で片手背負いされて競技会場に放り出され、前列席に設けられた緩衝地帯の砂地に投げ出された。

 アルゴ・スレイマンはそれを目の当たりにして一歩も動けなかった。

 女皇アリョーネは騎士の一人や二人程度なら自分の身一つぐらいはいつでも守れるほどには強い。

 たとえ女として一番無防備な姿であってさえもだ。

 しかも、それがアリョーネ本人なのか影武者の一人なのかもハニバルたちには分からなかった。

 少なくとも影武者候補の一人たるアルゴの妻オリビアやマグワイア・デュラン少佐ではないことだけが確かだった。

 そうして女皇アリョーネに完敗を喫したのはハニバル・トラベイヨ司令とベックス・ロモンド元副司令、グエン・ラシール調査室長、アルゴ・スレイマン次期司令たち女皇騎士団の幹部主流派たちだった。

 女皇アリョーネと皇弟トリエルの姉弟は思いのほか手強いし、二人を補佐するディーンもビルビット・ミラーも、引退して影に徹するアランハス・ラシールも怪物たちだった。

 だが、それが暗殺計画なのだと判明しても誰も引責されることなく静かに幕引いた。

 騎士団調査室という隠密部隊の長らしく、しっかり受け身を取りながら重傷を負ったグエンだけが正に痛い目をみて道化に終わった。

 グエンはほとんど目撃者がいないため、「うっかり足をすべらせて観覧席から転落した」ものとされた。

 だが、しっかり目撃していた人間も少なくはなく、そのうちの二人がスレイとメリエルだった。

 ハニバル・トラベイヨは感情的で事を誤るかも知れないと思っていたアリョーネの冷静さと芯の強さに感服し、改めて忠節を誓うと約束した。

 主流派を本気で潰すつもりならグエンでなくアルゴを投げた筈だし、そうなればアルゴは命を落としていた。

 身のこなしの上手いグエンなら大丈夫だと判断して「おイタを諫めた」のだ。

 この出来事の直後に、やはり目撃者の一人だったある人物から、女皇騎士団とスカートナイツの関係者全員に《ルーマー討滅令》が布告され、グエン直下の外殻部隊エルミタージュ結成が通達された。

 女皇戦争はそうして既に開幕していたのだ。

「えっ、あれって陛下暗殺計画の阻止?あれってばそういうことだったんだ」

 にぶいルイスは当事者の一人だというのにそれだ。

 どこか間が抜けている。

 そもそもディーンの代役が務まるほどの逸材ゆえに、アリョーネは無二の親友の愛娘たる「じゃじゃ馬ルイス」を気に入り、弟のトリエルから猛反対されても自らの紋章騎士に抜擢した。

 トリエルの反対はルイスの資質以前にそれが前代未聞の話だったのと、ルイスがやらかした暴挙のせいだった。

 女皇陛下がことのほかお気に召したのは、女皇騎士団入りを即座に断り、事において将来の夫たるディーンの指示にいっさい余計な疑念を差し挟まなかったことだ。

 そして、ディーンよりも強く、絶対権力を持っていようとまったく関係なく、主に相応しき者を主に据える筋金入りの忠犬というのが正に決定的だった。

 だが、その顛末がどうなったのかの裏の事情を知ったなら大人達の身勝手にルイスは怒り狂う・・・が、幸いそれを知るのはずーっと後のことだ。

「そう思っておいてよ、ルイス。入れ替わりを既成事実にする格好の機会だったからね」と言ってからディーンはメリエルだけが勘付いた様子なのでわかるようにニマぁと笑う。「まっ、そういうことです、殿下。女房はこういうヤツですから」

 メリエルははじめて肝心なことにさえ気づいていないルイスに呆れ果てた。

 ルイスから呆れられることの方が多かったし、才媛と呼ばれていい境遇なのに肝心要のところが抜けている。

 そして、“だから逆に信用出来る”とアリョーネは判断して大事な役目を与えたのだと確信した。

 現役女皇の全権代理人なのだから、たとえ相手が皇女のメリエル自身であれ、どんな命令をしてもいいのに“命令するという発想がそもそもない”。

 仮にそうだと教えたところで「あっ、そうなんだ」だけで済ませてしまいそうだった。

 いったい誰に育てられるとこうも我欲のない人間になるのやらと訝るメリエルだが、わりとすぐ後でルイスの育ての親と対面して納得する。

 その男にも我欲はまったくない。

 あるいは頭の良さは群を抜くのにスレイやイアン、トリエルとは違い、謀略がまったく考えられないとても人格的に優れ、尊敬に値する御仁だった。

「ちょっとマテや、ディーン。お前自身俺の立てた作戦だとはずっと知らずにベルカ・トラインの名で暴れ回ってたのか?何食わぬ顔で」

「そうです。そもそも“ボク”にはフェリオ-オラトリエスなんて旅慣れた庭でした」

 「俺」、「私」と忙しなく変わってきたディーン自身の一人称は結局のところ「ボク」に落ち着く。

 それがディーンが自身に対しての正当な評価だ。

 厳めしいのも堅苦しいのも「本当は大っ嫌いだ」というこの男なりのワガママだ。

「それで私の二つ目の問いかけの答えは?」

「ご明察です、メリエル殿下。ベルカ・トラインの名とフィンツ・スタームの名に当分出番などないでしょうが、“五”公爵家筆頭ディーン・エクセイル新公爵と、西のディーン・フェイルズ・スタームとして、以後お見知りおきください。龍虫戦争が終わるまでは公爵位なんかも意味は無いですけどねぇ」と相好を崩す。

 ディーンがわざと下手に出ていたのは、この告知のためだった。

「聞いてよ、メリエルぅ。この人からプロポーズされたのが5年前で受け入れたのが去年末。なのに入籍がつい先日だったのは・・・」とルイスもいつの間にか口調をいつものソレに変える。

「先代トワント公の単位認定が著しく遅れたせいです。妻は馬鹿じゃないけど病的に察しが悪いので、《真史》を理解するのがとても遅くて・・・。そうじゃなかったらもっと問題児です」

「なによ問題児って」

「ルイスっ!胸に手を当てて考えてみろっ、補習中に何回ボクを誘惑したっ」

「えーっ、だってぇ、二人きりになれるのって“補習”のときだけだしぃ」

「だーから、そういうこと考えるから嫁入りが遅れることになったのじゃん。さっさとやること片付けてたらもうちょっとどうにかなったってば」

「むーん」

 ディーンとルイスの痴話にメリエルとスレイはポカンとなってしまった。

 どこからどう見ても本当にお似合いの二人なのは認めるが、卒なく油断も隙もないディーンと、かなりの天然っぽいルイスには入り込む隙間が1ミリメルテもなかった。

 だいたい新公爵だとか単位認定がどうだとか、いったいなんの話なのやら。

 すかさずスレイは引っかかりを糺す。

「ちょってマテや、ディーン、ルイス。そもそもゼダの公爵家って4つなのでは?」

「秘密の深淵に関わるので存在が隠されているのです。けれど、門閥貴族の間では公然の秘密。えーと、現当主がヴェロームがエルビス公王で、カロリファル家がトゥール・・・いやいやトゥドゥール副総帥。サイエスがレオポルト公。俺たちの大先輩でエ大卒のインテリかつアリョーネへーかのダンナ様でシーナとアンナのお父さん」

 ディーンの説明を整理すると現女皇アリョーネの“正式な夫”はレオポルト・サイエス公爵であり、シーナ・サイエス、アンナ・サイエスの姉妹が女皇と公爵の二人の娘たち、つまりは女皇家後継者皇女としてサイエス家で養育されている。

 1192年(劇中4年後)に18歳(つまり現時点では14歳)となるシーナ・サイエスは立太子してシーナ・メイデン・ゼダ皇太子皇女となる予定だった。

 だが、皇太子皇女には密かに養子養育されていたメリエルが割り込む。

 他の各公爵家も龍虫戦争を控えてそれぞれ重責を担っている。

 エクセイル公爵家新当主がディーン。

 女皇正騎士にして剣皇候補筆頭。

 《騎士喰らい》と揶揄されるその凄まじいほどの実力については既に大陸中の人間たちが知っていた。

 “ベルカ・トライン”の偽名が公然の秘密というのも、その正体がフィンツあるいはディーンだとよく知られているので、「分かってて挑むならいつでも受けて立つ」という意味だ。

 女皇騎士団はおろか国家騎士団内でもほぼ常識なのに、知ってておかしくない立場で知らなかったのはこの世でたった二人。

 それが妙にニブいドコぞの親娘。

 カロリファル公爵家当主がトゥドゥール。

 愛称であり国家騎士団所属時の変名がトゥール・ビヨンド。

 既に登場している国家騎士団副総帥のヒゲ公爵。

 ヴェローム公爵家当主がエルビス公王。

 ヴェロームは現ゼダで最大の半独立自治領(過去にはメイヨール公国もそれだった)ゆえに公爵でなく公王と称される。

 エルビス公王の正体は女皇騎士団司令で中将格のハニバル・トラベイヨその人。

 彼の跡継ぎ息子がシャナム、娘がイセリア。

 女皇戦争後にディーン・エクセイル教授が編纂した「偽典史」において叛乱軍の中核となるのがヴェローム公国であり、英雄王シャナムはエルビス公王を追放し、ヴェローム獅子騎士団を率いて反乱軍と合流し、女皇家関係者のシャナムが加わったことで反乱は叛乱となったとされる。

 だが、戦後にディーン・エクセイル助教授は「シャナム王回顧録」の口述筆記担当著者として名を知られることになる。

 しかし、王の回顧録でも一切叛乱だとか記していないし、ホンモノの女皇戦争において「シャナム・レオハート・ヴェローム」という人物は一切出て来ない。

 戦争終結後だいぶ経ち、アリアス・レンセン首相退陣後に共和制ゼダの象徴王として英雄王シャナムが就任する。

 実際はアリアス政権が思いのほか短命に終わらざるを得ないことになり、国民普通選挙の実施のため二代目首相に急遽抜擢された人物の要請でシャナムが象徴王となり、アリアスの退陣で喪失する旧皇家の威光を必要とする事態になった対応策としたのだ。

 自分も女皇家連枝のクセに、庶民たちは知らないから威光としちゃ弱すぎると、結果的に国民普通選挙の準備とその結果として再登板した二代目と三代目の首相が同一人物となる。

 そしてその人物も納得の人事かつ既出。

 そして、シャナム王をシャナム・ヴェロームとして認識した“帰還兵”は一人もいなかったが、“彼”を知らない人も一人も居なかった。

 むしろ、そのカラクリの正体とある人物の名付けにそういうことだったかと驚愕したのだ。

 居たのは事実だし、そこに居て知らない人など皆無だし、最大最悪の窮地を救った“英雄”ということだけは間違いない。

 まぁ、それは先のお楽しみとします。

「いろいろとさておいて、公爵家4つはソレだとして5つのうちの1つは内戦で断絶したメイヨール家では?」

 スレイやメリエルは、そして嫁入り前のルイスも、200年前の《メイヨール内戦》でエスターク・メイヨール公王率いるメイヨール公国は剣皇エセルに敗れて絶家したというのが常識だった。

「断絶してません。それも公然の秘密の一つだし、そもそも旧メイヨール公国の公都がトレドで、副都がアルマスでした。内戦の要衝という建前のバスラン要塞にも、今回の龍虫戦争で役割を与えるべく、既にしっかり手が入っている筈だよ」

 つまり現在4人が向かう途中の、いや既に現地入りしているこの地こそがかつてのメイヨール公国だった。

 そして二幕以降の舞台は基本的に女皇国皇都パルム、トレド、アルマス、バスラン要塞とベリア半島、フェリオ連邦で展開されることになる。

 のちにトレド-アルマス-バスランは《黃金の三角》と呼ばれ、あるいは《人類絶対防衛戦線》と呼ばれた女皇戦争最大の要衝だ。

「どうゆうことなのさ?」

 スレイはそこでようやく、リーナ親娘の嫌疑がなければ夏に入ってから赴任していたバスラン要塞の真実を知った。

「元老院議員のご子息でも、さすがに一般人の限界はそれかぁ。現女皇家がもとはメイヨール公家。つまりアリョーネ陛下やメリエル殿下の姓は“正式には”ゼダではなくメイヨール。けどなるべくなら、表立って言わないことになっているの」

 ルイスは訳知り顔に微笑む。

「つまりだよ、スレイ。剣皇エセルとエスターク・メイヨールは同一人物かつ女性なのだし、即位後は女皇エクセリオン1世でもある。当然夫が居ないと子孫が残せません。エセルの夫というのがギルバート・エクセイル1世公爵。エルシニエ大学の創設者ですし、ウチは代々皇室吟味役として皇族の婚姻や養子縁組において最高発言権をもってきましたのです」

 スレイは呆気にとられた。

 言われてみれば大学創設から200年経ている。

 時期的にも付合するし、中庭に置かれた創設者の銅像は確かにディーンの祖父(3世)ではないギルバート・エクセイルだった。

 そんなことは深く考えるまでもない。

 なにしろ、大学内で史学部が最高の学部とされていて、その中心たるエクセイル家は代々代表的な学者たちを輩出してきた。

 その末端にいるディーンが学友で、いずれ助教授を経て教授になると聞いていても、スレイはディーンが世襲史学者かつ女皇正騎士なのだと思ってきただけだ。

「それとメリエル、ゴメン。ちょろっとウソついた。エリーシャさんは間違いなく無事だし、『トレド要塞』がそう簡単に落ちるわけがありません」

「えっ?」

「そもそもエリーシャ・ハランさんは女皇騎士団女皇家護衛騎士ことエンプレスガードとして、メリエル殿下の警護を勤めあげた元女皇正騎士なのだもの」とルイス。

「つまりボクとご同業“だった”ということです」とディーン。

「紋章騎士たる私が正式にエンプレスガードを代行することになったので、執務引き継ぎ期間も終わって晴れて寿退官出来ることになったの。元老院議会での解任動議も去年の5月に裁可されたわ」

 そういえばとスレイが気づく。

 スレイはエリーシャ・ハランという女性とは面識がなく、つい先日にメルからその名を聞かされたばかりだった。

 確かにエリーシャ・ハランの正騎士解任決議は新聞報道されていた。

 男性騎士だと不祥事を疑うが、女性騎士は寿退官が殆どだ。

 勿論、結婚後も引き続き職務に当たる正騎士はいたが、大抵はそのまま家庭に入る。

 彼女たちにはその武勇をもって騎士としての任に当たる他にも、母となり優秀な後裔をもうけるというもう一つ重要な役目がある。

 そうして女皇騎士団正騎士の席がひとつ空いた。

 そしてつい先日に・・・。

「そして、ひとつ空いた正騎士の席に先日ナダル・ラシールが入りました」

 察しの良いメリエルはディーンとルイスの言わんとしていることがわかってきた。

 思春期のメリエルの側で警護していたのがエリーシャ、そして学生時代の途中から紋章騎士のルイスが関わりだした。

 ルイスがメリエルと生活全般を共有しだしたので、エリーシャは「守り役」から外れられることになったのだ。

 ルイスはともかくエリーシャの愛情まで疑いだしたらメリエルは本格的に人間不信になりそうだが、そんなことは一片も一切見抜けなかった。

 エリーシャにメルに対する愛情がなかったなんてことはなく、むしろ沢山注いでくれた。

 大体、ハウスメイドだろうが女皇正騎士だろうが仕事は仕事。

 その上でパトリック・リーナもとても篤く信頼していた。

 人を見る目の肥えた親娘が揃ってエリーシャを家族同然としていたのは、それだけ仕事ぶりも人格も徹底していたからだ。

 そうなるとルイスのこともひねくれた自分が勝手に誤解していただけという話だ。

 ルイスの方では一生懸命友達でいようとしてくれていたのに、メリエルがなにかと意地悪していたのだ。

 そもそも「ど天然」の姐御を「胡散臭い女」だとか思っていた自分は本当にどうかしていた。

 メリエルは次第に自分が情けなくなってしまった。

 なにが皇女だ。

 傲慢で自己中心的なのは全部自分だ。

 エリーシャよりも自分と年が近いのに母親のフリをしていたルイスがどれだけ苦労したことかと想像すると気の毒すぎたし、だからこそディーンの求婚を承諾したのだとも思う。

 正直、一人でこっそり勤め上げるのはしんどかったのだ。

 それだけではない。

 騎士であるディーンとルイスは龍虫戦争で出征することになる前に、病気療養中のトワント先公を安心させるため、急いで入籍する必要があったのだ。

 いざ招集されたら、死に目に遭えないのは双方分かった上のことだ。

 それを影でこそこそ、イチャイチャしているだとか激しく誤解していたのだ。

 どうやら半分くらいは本当にそうだったようだが・・・。

 だいたいディーンは日中、フィンツ・スターム少佐として正騎士の公務にあたっていた。

 その時間中もルイスはエクセイル邸を訪問していた。

 秘密の多い公爵家に嫁入りするのは本当に大変なのだろう。

 メリエルが反省しきりの一方、ディーンとルイスの立て続けの事実告知にスレイは「してやられた」と感じていた。

 頭は抜群に切れる「ディーンせんせ」は端っからこうした展開にするつもりだったのだ。

 ディーンの思惑通りにメリエルは悄然と反省している様子だ。

 片膝をついてしおらしい態度をして泣いてみせた後に、実際のところ自分たちは女皇家に関する諸問題を吟味する公爵と公爵夫人だと告知し、そんなにメリエルを特別扱いする必要もないのだと遠回しに言う。

 そもそもメルがメリエルだろうが、アリョーネ女皇の三人の皇女の一人に過ぎない。

 だが、トワントからエクセイル家を相続したディーンとその妻となったルイスは新公爵と公爵夫人という高貴な身分が既に確定していた。

 その上、ルイスはアリョーネ女皇の全権代理人だときている。

「さてさて、そういうわけで呼称は変わるけど、ボクに関しては今まで通りディーンでいいよ。公爵はいらん。貴族位なんて意味ないし、そのうち『剣皇ディーン』とか言われるようになる。ボクはイヤだけどねぇ」

 剣皇というのは臨時職の筆頭騎士。

 原則としてミロア法皇とゼダ女皇の推挙した騎士に与えられる名誉称号だ。

 軍人としては元帥に当たる。

 しかし、女皇アリョーネはすぐにはアルマスにすっとんでは来られない。

 情報統制下にある龍虫との交戦地帯に大国元首が来て意味があるとすれば、参加する全軍将兵への鼓舞。

 だが、格好の代役としてメリエルとルイスが派遣されたと考えたなら、メリエルは皇太子皇女ということで「神輿」としては十分であり、ディーンの剣皇位も母にかわってメリエルが授与することになる。

 なにより旧メイヨール公国全土で龍虫の組織的侵攻を食い止めなければならないし、食糧などの生活物資調達といった後方支援が必要になる以上、パルムはアリョーネ女皇陛下のもと平穏であってくれないと、なにより最前線で戦う将兵たちが困るのだ。

「わたしもルイスで。このひとと結婚してるのはナイショにしなくていいけど、ルイス・エクセイルより戦場ではルイス・ラファールの方が通りがいいのでそのままで。紋章騎士というのも明かします。ここから先は“戦場における陛下の全権代理人”ということになるでしょうから」

 ラファールはゼダでは名門騎士家だ。

 現にエイブ、シモンという二人の国家騎士団幹部がいる上に、ルイスは紋章騎士。

 スレイは逆に「エイブとの間にシモンとルイスを成した女性とはいったい何者なのだろうか?」と勘繰ってしまう。

 そして、ルイスの紋章騎士の意味合いは特記6号招聘により変わる。

 エウロペア大陸中から招聘された各国騎士たちの間に、ゼダが女皇の全権代理人たる紋章騎士を置くということは大国ゼダの本気度を示すことになる。

 過去の龍虫戦争において女皇自身が戦場に立ったことは始祖女皇メロウやその皇女でメロウの後継だったアリアドネの時代にまで遡るという、いわゆる神話時代の話だった。

 むしろ立たれると困るのだ。

 軍の指揮は軍事の専門家たちに任せた方がいいし、戦闘は真戦兵駆る騎士たちに任せた方がいい。

 エキュイムでもあるまいし女皇にチョロチョロと戦場を動き回られるとかえって統率が乱れる。

 民心をまとめて後ろにドンと控えていてくれないと長い戦いが続けられないのだ。

 その上で全権代理人たる紋章騎士を戦場の真っ只中に配置する。

 味方を鼓舞し、人類軍の旗頭となる。

 スレイは背丈のあるルイスとその真戦兵とが居並んで遠く敵を睥睨する光景を思い浮かべてニヤっとなった。

 画になるどころではない。

 其処に集う戦士たちの高揚感がまざまざと感じられる。

「まぁ、ホントいうとね。敵が《虫使い》と龍虫だけだったらボクら二人と師匠達がサクっとやっつける方が早い」

「そうだわね。亜羅叛師匠なんてぶっちぎりに強いし、セプテム叔父さんだって強いわよ」

 ルイスを騎士としても人としても超一流に育てたセプテム・ラファールもその名前では登場しないし、彼も既出。

 戦争中は《鉄舟》ことミシェル・ファンフリート大佐として登場します。

「その亜羅叛師匠さえ手を焼いた隠し玉もとんでもない怪物たちですから。フィンツ・スタームの不敗神話なんてウソっぱちです。弟の名前だから別に気にしなかったけど、ボクは師匠達に連戦連敗でいちども勝てたことがありません」

「えっ、どういうことなのよ、ディーン?そんなに大勢強い騎士たちがいるのにどうして苦戦することになるの?」

 模擬戦だったとはいえ、そこで不敗神話を誇ったフィンツ・スターム少佐。

 その正体が代役だったとはいえ、現実に200戦以上戦って負けたことがないし、その怪物に膝をつかせ敗戦させかけたのがルイスだ。

 しかし、その二人が揃って苦戦すると言い切るからには根拠があるのだろう。

「メリエル、強い騎士たちほど無闇矢鱈には力を発揮できないからだよ。ボクも含めてね」

「アタシひとりだけなら多分大丈夫だけどね」

「そう。ルイスは力の使い方が根本的に違うから大丈夫だけど、あんまり一人で頑張り過ぎると『魔女』扱い。そして、ボクなんかがんじがらめの張り子の虎だよ。筆頭騎士たる剣皇はあくまで象徴なんだから別にそれでいいんだけどね。見せ駒として上手く使えよ、スレイ」

「なにいってんだかサッパリだよ」

 メリエルとスレイはすっかり困惑し、呆れている。

 なぜなら二人とも観客として5年前のエドナ杯でディーンとルイスのまさに怪物じみて憎悪と愛情の交錯した戦いを目撃していたからだった。

 ベルカ・トラインことディーンが誰の狼藉から人々を守ろうとしていたか?

 そんなのはディーンに輪を掛けたバケモノであるルイスに他ならない。

 実際、観客に死傷者が出てもおかしくないほど、ベルカの「挑発」に殺意剥き出しで大暴れした。

 そして国家騎士団幹部たちは「あんなの面倒見切れるか」と匙を投げたのだ。

 スレイの騎士戦闘の概念はそれでブチ壊された。

 騎士なんて自画自賛の格好つけばっかだと常日頃軽蔑していたスレイは、その枠におさまりきらないヤツどもがいると知って、いよいよ騎士戦闘を体系化することにのめり込んでいき、ベックス・ロモンドにその才能を見出された。

 的確な作戦立案でその実力を数段跳ね上げる。

 その上でディーンが自分自身を駒として上手く使えというのは冗談にもならない。

 もとよりベルカ・トラインに対してそうしてきたし、今後もそのつもりだ。

 そして、なにしろ後にも先にも公式の場では不敗神話もつフィンツ・スタームに片膝をつかせたのはルイスただ一人だ。

 公称200戦のうち一番敗北に近かった一戦。

 ディーンが4つの名を持つ男だとわかった上、ディーンからルイスへのプロポーズが5年前だと聞いてすべて繋がった。

 エドナ杯で二人は運命の出会いを果たしたのだ。

 《比翼連理の騎士たち》。

 スレイの呼称した相性が抜群で二人で二倍以上の働きをする怪物じみた騎士たち。

 その比翼連理第一号が正にディーンとルイスだとスレイは認識した。

 愛だとしか言えない域にある絶対的な信頼関係は同類嫌悪の裏返しだったのだろう。

 それ以前に、常人に扱いきれるものでないルイスの才能をその人格と共に受け止めきれるのはディーンだけで、なんでも卒なくやり遂げるオールラウンダーのディーンにも、しっかりとした支えが必要だと心から思えるのもルイスしかいないのだ。

 お互いへの恐怖と不信感抜きで愛し合えるのがお互いしかいない。

「べらぼーに強い騎士たちがゾロゾロいて、この俺がしっかりと作戦を立てて、勝てない戦なんてあるのかよっ!?」

 このときのスレイは自信過剰ではなく、騎士という人種が嫌いであるが故に、ちゃんと心理面まで配慮した作戦を立てて生かして帰すことにアイデンティティーを抱いていた。

 戦いのあと、親元なり恋人なり妻子のもとにキッチリ帰す。

 それが出来る特別な才能があると言われ、これまでは十分過ぎるほどに戦果を挙げてきた。

 だが、人間という種の「業」の深さに絶望することになり、何故にディーンがスレイを持ち上げてきたかをまざまざと思い知る。

 ディーンには本当の意味でスレイが必要だったのだ。

「エキュイムと一緒で盤面を見誤れば簡単に負けるよ。仮にボクとルイスが無事でも、勝ったときに二人だけでは勝利に意味なんてないさ。いつか全滅するよ」

「それだけ人類の『業』が深いということよ、スレイ。前代未聞の事態で剣皇が同時期に二人いるなんてことになったのだもの」

「そうなのだよ、スレイ。ボクらはまだ楽な方を相手して来いという話なのです。厄介な相手の方は剣皇シャルル陛下が引き受けているから」

「えっ?剣皇シャルルって、もしかしてオラトリエス国王のシャルル・ルジェンテ陛下のこと?」とメリエル。

「つーか、ファルマスの愚王シャルルは剣皇の隠語?」とスレイ。

 メリエルはパトリックの供でシャルル王を拝謁したことがあった。

 とても騎士とは思えない肥満体の王。

「他に誰がいるのよ」とルイス。

 二人くらいならいるっちゃ居るけどねとディーンは内心ペロっと舌を出した。

「そもそもカール陛下が東部戦線の剣皇だから、ボクは西部戦線担当の剣皇候補筆頭になったのだもの」

 かつて愚王と暗喩されたシャルル。

 だが、そうではなかった。

 愚王とは本当の素性隠すキーワード。

 賢王にして剣皇たるシャルル・ルジェンテ。

 綴りが同じだが『剣皇カール』と称している。

 インテリで父殺しの悪魔たる騎士王。

 その皇后ミュイエとて初代剣皇アルフレッドに連なるフェリオン侯爵家の産んだ怪物だった。

 『剣皇カール』の駆る《フェルレイン》はミュルンの使徒のひとつとされる。

 更にミュイエの《ブリュンヒルデ》は真戦兵ですらない本物の怪物だという。

 国家騎士団の東征部隊が束になっても敵わない。

 むしろ、エドラス・フェリオン王の直轄部隊たる《フェリオ遊撃騎士団》。

 その最高機密兵器タイアロット・アルビオレ先行一番機駆る《疾風の剣聖》メディーナ・ハイラルらがたった三機で東征部隊を沈黙させ、《ロムドス隊》のエースたるルイスの兄シモン・ラファール大佐、《黒騎士隊》の副隊長でエースのマイオドール・ウルベイン中佐、そして《刹那の衝撃》の伝説もつアリオン・フェレメイフ大尉さえ子供扱いしているという。

 しかし、事態はそうではない。

 名前の挙がった凄腕騎士達がいても東部戦線を膠着させていた。

「どういうこと?詳しく説明してよ、ディーン」

 スレイとメリエルが血相を変えたので、二人とも事の重大さは分かっていると判断してルイスが説明する。

「ナコトの預言の日、つまりは龍虫の周期襲来期だというのに“地均し”の筈だった東方外征が面倒なことになったのよ」

「早い話、茶番か予行演習の筈の戦いが“なかなか終わらない”。というよりも、“終えたくない連中”が妨害のため、各地で小競り合いを続けている」

「『地均し』というのはつまり、ベリア方面に派兵するための口実としての東方外征だったということ?」

「もともと可能性が二つあったんで東と西とで異なる作戦を実施してたんだよ」

 人類が結束して戦わねばならない本当の戦場はまさにベリア半島であり、旧メイヨール領だった。

 ナファド・エルレイン法皇の聖戦の舞台であり、暗黒大陸から大挙侵攻した龍虫たちと戦う防波堤。

 其処に東エウロペアの騎士たちを集める「口実」こそがゼダの東方外征。

「他国不可侵を国是とするゼダが隣国に派兵するなんて領土的野心なんかではないです。その昔、ゼダとフェリオが騎士たちを鍛えるために恒常的に戦った故事の再現。もともと喪失したマルゴーやファルツからの難民の受け皿としてゼダとフェリオが双方の領土を割譲して成立したのがオラトリエス。だからこそ、龍虫を一番憎んでいるのは元マルゴー王家たるルジェンテ一族なんだけどね」

 もともと南エウロペアにあった亡国のマルゴー再建のため、自国民を統率して北に逃れたルジェンテ王室は、大戦後に各国難民たちを集めて北海沿岸にオラトリエスを興した。

 龍虫戦争において人類軍の切り札のひとつが《ルートブリッツ海上騎士団》だ。

 海水を苦手とする龍虫たちを駆逐するため、特殊装甲で強化された水陸両用型真戦兵マリーンを主力機とする最強の海兵隊。

 光学迷彩は完全に犠牲になったが海水の浸食は受けにくく、装甲は厚くて頑強なのが特徴だ。

 そして短時間であれば海中活動出来る。

「だからこそ、ゼダ-オラトリエス-フェリオン侯家で密かに通じて茶番じみた戦いを主導したというのに、フェリオの各領がエルミタージュを雇い入れて抵抗しているの。それだけならまだマシ。対龍虫戦で間違いなく頼みになる予定の騎士たちをエルミタージュはここ数年襲撃しては殺害していたのよ」

「勿論、ボクら二人も例外じゃないよ。単にそれぞれ撃退したというだけの話さ」

 ディーンはまだフィンツの替わりをしていなかった時期に、ルイスも騎士修業を重ねて真戦兵を乗りこなせるかどうかという時期に腕が立ち連携に優れた刺客たちに命を狙われた。

 当時はまだ子供だったが、容赦などなく、腕の立つ騎士たちに狙われながらも撃退した。

 ディーンもルイスもそれぞれ師匠達が居合わせながら、「試金石」として数に勝る相手に単機で相対させられた。

 二人とも会得したばかりの天技を実戦で使わざるを得ず、相手を労る余裕もなく殺害した。

 その上で更に強い騎士と戦った。

 本物の《騎士喰らい》こと《ナイトイーター》。

 のちにフィンツ・スターム少佐の二つ名として貼られたレッテルにディーンは皮肉と恐怖を感じた。

 《ナイトイーター》とは悪意に満ちた才能の潰し手を言う。

「待ってよ、二人とも。だってエルミタージュの最大出資者はベルシティ銀行だと。パトリック・リーナだって言ってたじゃないっ!?」とメルは叫び、「俺がせっせと立てていた作戦ってなんだったんだよっ!?条件を満たす作戦は立てていたけど、卑劣な作戦を立てていた覚えはないぞっ!」とスレイが激怒する。

(いや、お前の作戦プランは結構エゲつないのが多いぞ。《ナイトイーター》だってそれで捕獲された)とディーンは思ったが言葉にはしなかった。

 そして、二人とも怒り狂って当然だとディーンとルイスは見交わした。

 本当に腸が煮えくりかえっているのは自分たち二人も同じ思いだ。

「正確にはそうじゃないんだ。つまり、スレイやボクのいたのは『偽エルミタージュ』。女皇騎士団外殻部隊のエルミタージュは“本物の傭兵騎士団を叩き潰すためにエルミタージュの名前を利用して軍事行動をする実戦部隊”であり、その活動資金運用責任者がパトリック・リーナ氏。そして、外殻部隊エルミタージュの作戦参謀がベックス爺さん、リチャード・アイゼン“少佐”、イアン・フューリー提督。そして売り出し中の天才戦術家スレイ・シェリフィス中尉なんだよ」

「えっ、ニセモノ?」

 “偽エルミタージュ”という言葉にスレイははたと納得した。

 それならベックス・ロモンドがスレイを利用しても胸が痛むことはない。

「だってそうでしょ。女皇騎士団の所属員が傭兵騎士なわけないじゃん。それにシルバニア教導団出身で、今は正騎士になれないけど欠員が生じたときのために待機している騎士たち。彼等だって実戦を積まないと折角積んだ修練がどんどん錆び付く」

 前章で登場したナダル・ラシール。

 その学友達の半数近くが「外殻部隊エルミタージュ」に、残る半数が「女皇騎士団調査室」に回っていた。

 ミラー少佐やオーガスタ姉妹が居た時代のシルバニア教導団には実戦重視のカリキュラムは少なかったが、出戻ったオーガスタ姉妹により実戦重視のカリキュラムが随時導入されていった。

 山岳訓練や真戦兵での組み合い戦闘、護身術などはより高度な訓練になったし、ナダル杯の最大の目的が逃走中の刺客の発見追跡技術の向上だった。

 つまりナダルは本人が知らなかっただけで、自分も訓練生でありながらその実、技術教官だった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る