第四節 Todestrieb & chiot.
Episode Zwölf.Neu Starten.ver.1.1
──生まれてもいない死者が帰って来た。
帰り道、私の頭に浮かんだのはそんな言葉。
あの日──あの夜に産まれる筈だった命は、産まれながらに死んでいたのだ。なにも欠けていない、正しく創られた肉体でありながら、産まれる事を許されなかった魂。
──そいつが、私と兄夫婦を
より正しく言うのなら私と兄を、だろう。なにせあの
「何をバカな──本当に
──そう。普段の私ならそんな事は考えない。あり得た未来なんてものは、起こらなかった現実でしかないから、考えるだけ無駄だろう?
……そんな事を考えてしまうのは、この女帰還者のせいだ。クソ兄貴の嫁──メイシェラ。
だがそれは本来あり得ない話だ。あのヒトの遺体は火葬され、インゴルシュタットの墓地に眠っているのだから。
彼女の葬儀には諸事情で私は立ち会えなかったが、その遺体が火葬され、埋葬された事を証明する書類はある。だから絶対にソレはあり得ない話なのだ。
「見れば見るほど似てるな、オマエ」
達磨にされた彼女を手術台へ乗せ改めて思う。四肢を落とされ、血で汚れてはいるものの、元々の美しさは失われていない。
この整った鼻筋、少し垂れ気味の目尻と、うっすらとした膨らみのある唇。
認めたくはないが、兄貴の腕はあの時よりも格段に上がっている。
この優しい目元はどことなく兄に似ているし、この美しい
──だが、その身体は
「なぁ──お前は望んで生まれたのか? それとも望まれて生まれたのか?」
当然ながら答えはない。コイツの意識は未だ闇の中にあるのだから。心臓はまだ動いてはいるが、いつ止まってもおかしくはない。それに加えて相当量の失血を起こしているのだ。それによる多臓器不全は覚悟しておいた方がいい。中でも特にヤバいのが脳細胞の壊死だ。もしそれが起こってしまったのなら、今やっている事の全てが徒労に終わる。
──だとしても、この手を止めたくはなかった。
色々な理由は「思いつく」けれど──嘘偽り無く言うのなら、私は単純に彼女と話をしたいのだ。
「──君が死を望むのなら私はそれを与えよう。だから今一度、此方側へ戻ってこい」
彼女へと繋いだ、各種計器の数値を確認しながら作業を進めていく。普段なら絶対にしないような回復手術だ。ガンガン輸血し、その間に出血を止めていくなんて正気じゃないのは解ってる。やっている事はタイヤのパンク修理のようなものだが……手術中、気をつけなければいけない事が多過ぎる。ハッキリ言って目茶苦茶な難易度だ。
「けどまぁ、たまには全力を出さねぇとな──!」
──時には全力を出さなければ、己の実力は錆びつくもの。
全く以ってその通りだ。それに、頭の中で考え事が煮詰まった時は
先ず、彼女の容態だが──切断面は良好。しかしそれ以外は最悪と言う他ない。普通なら使える臓器を引き抜いて、
彼女と話をしたいという気持ちは変わらないが、技術者としてこれ程やり甲斐のある手術もない。不謹慎かも知れないが、胸の高鳴りを感じているのも確かだった。
先ずは主要な血管を暫定的に繋ぎ合わせ、血液の循環路を確保。そこから四肢を見繕ってはみるが、全くの元通りとまではいかないだろう。
こんな事を言うのは癪だが、なにせ元々のクオリティが別次元なのだ。
それに加えて、この技術が「機能美」に及ぼす影響は然程大きくない。あったとしても誤差程度のものだからと、匙を投げる輩も数多くいる。
「──そんな事はわかっちゃいるが、機能美と官能美があってこそだろうよ」
これが自己満足でしかないと解ってる。なんの金にもならん矜持だとも理解している。だがそれは、仕事をしていく上で──否、生きる上で大切なものである。
──一度、話を戻そう。彼女の肢体回復手術、その難易度の原因についてだ。まずは肺の損傷と肋骨の骨折。コレをどうにかしない限り、失血を留めることは出来ない。現在は頸動脈ならびに静脈を、人工心肺へ直に繋いでいるがそれも長くは持たないだろう。正規の手順──肺を介して血液へ酸素を供給している──訳では無いのだから、徐々に酸欠の症状を起こしてしまう。
とはいえ、この程度なら簡単な手術の部類だ。
真の問題点は四肢の接合にある。義肢を
──だが、幸いにも関節面が完全に死んでいる訳ではない。どんな道具を用いたのか知らないが、どの部位の骨を切らず関節だけを断ち切っている。
これならば、人工関節置換術の要領で処置が可能だ。手術自体の難易度は高いが、この程度なら完璧にやれる。
「──後は全力で事に当たるのみ、だな」
◆──◆
ここで一つ疑問に感じる者も居るだろう。
彼女──トート•リデプスの行う手術は、
──勿論、答えはイエスである。
この手術は
屍体より生み出される
否、より正しく伝えるのなら──模倣した魂を載せているに過ぎない。
その魂はある時点での、ある人から見た魂の模倣品。無理矢理書き込まれた、私ではない私。それは
そんなモノが増えてしまったら、複数の欠片が混ざり
本来なら、記憶は経験により形作られる。そうして刻まれた記憶が、魂と共に育っていくのが自然だ。それは誰に教えられるまでもなく、当たり前のもの。そういうものだと誰もが思い込んでいる。
──だからこそ、知らない記憶が複数存在するというのは避けるべき事態なのだ。不可避の結末、自我の崩壊が何を招くか、私達は識っているから。
ザバーニーヤ、複数の死から産まれた無辜の怪物──
あの悲劇を、罪を犯さぬ為に。
……話を戻そう。
そもそも
彼らは
それは痛ましい事だと、酷く身勝手な慰めだと──誰もが「理解」しているから。だからわかりきった本音を隠したまま、皆が見て見ぬふりをしている。誰かの為の隣人を、いつか自分も求めるのだろうと「理解」しているのだから。
けれど、誰もがそれを許容できた訳では無い。
皆が当たり前とする価値観を、どうしても許容する事が出来なくて、クラミトンへと移住する者も多かった。
◆──◆
「お前はどこから来て、どこへ行こうとしてる?」
手術を終えた後、手袋を外して彼女の頬へ手を伸ばす。触れずとも解る、
「──……いや、まさかな。
触れた途端、喩えようのない奇妙な感覚が襲った。それが単なる勘違いであればと思い、自身の頬に触れてみるがやはり違和感は残る。
この違和感の正体が何なのかは「理解」出来ている。けれどその理由が、原因がわからなかった。初めて触れた時点での感触と、今の感触は明らかに違う。あの時は浮腫んだ感じというか、粘土のようなぼったさがあったのだ。
なのにどうだ? 彼女の皮膚は、生者のそれに限りなく近しい質感を保っている。
「間違いじゃない──この感触は、間違っていない」
補填した四肢の質感は屍者の
「──やりやがったな、クソ兄貴……!」
気付いた時にはもう、動いていた。計器を繋ぎ直し測れるものは全て、余す所なく調べ尽くした。
だからこそ言える、コイツは
「こんなもんが露呈したら、
湧き上がったものは、総毛立つ程の強烈な畏怖と称賛。それと開発者への怒りだけだ。
……あの兄貴の事だから、全くの考え無しという訳では無いだろう。だがやるにしたって、こんなカタチで実行するか普通!?
危機的状況下に陥ると、瞬間的に細胞を凍結させるだなんて聞いた事がない。しかも可逆的な凍結状態だ。
「いや、凍結状態ってのは
コレはあくまでも、細胞の
とは言え、コレも全くの新技術という訳では無い。自然界にはクリプトビオシスと呼ばれる、無代謝状態が確認されている。だがこれはあくまでも、乾燥等の自然現象に対する防御機構であり、外傷等による急激な失血には対応しきれない。
「これなら肺をぶち抜かれようが、死に至らないわな」
あぁ、納得は出来た。そう──頭では納得出来たと思う。
「まさかこんな代物を実現させるとはな」
計測結果をファイリングしながら思う。コイツの扱いは慎重に行わなければならないと。先述の技術以外にも衝撃的なモノはあったけれど、それらすら些事に思える程の爆弾が隠れていた。
もしもソレが外部に漏れたら、未曾有の事態が起こる。
「────まぁ、その爆弾のお陰で助かった所もあるのか?」
在るべき筈のもの。無くてはならないもの。それがあるからザバーニーヤは産まれたと私は「知って」いる。だからこそ、この事実を前に頭を悩ませる事となった。
「……全く、頼むなら頼むであるだろうがよ。こう、色々と──」
頭を悩ませるモノはもう一つある。あの子の手荷物に入っていた一枚の便箋──兄からの手紙だ。そこにあったのは「何があっても娘を、Chiotを守り通してくれ」という一文。それと「すまない」という短い謝罪のみ。
先に断っておくが、謝罪については受け入れる気はない。だが、娘を守って欲しいと言うのは受け入れるつもりだ。
私は兄夫婦──とりわけ妻のメイシェラが、どれほど我が子の生誕を望み愛していたかを知っている。
……あぁ、だからこそコイツは無事に守り通すしかない。
「安心しなよ、Chiot──必ず兄貴に、ルーザーにお前を会わせてやるからな」
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