第37話 侵入者

 食事が終わると、フィリムが風呂に入ると言い出した。


「先輩、一緒に入りましょう!」

「断る」

「そんなこと言わずに! 背中を流してあげますから! ほらほら行きますよー」

「俺は先程入った。ギギッガとノインと共にな。風呂に入ってないのはお前とラティだけだ」

「えー。うーん、じゃあラティちゃん一緒に入ります?」

「あ、はい!」


 ラティーファが元気よく返事をする。


「では、ご一緒しますか!」

「はい!」


 二人は仲良く連れ立って、浴室へと向かった。

 ……さて、俺は何をしようか。


 食後の腹ごなしにトレーニングをしよう。


 そう思ったときだ。


「ひぃやああああああああああ」


 浴室の方から悲鳴が聞こえた。フィリムの声だ。


「……ああ、そうか」


 俺には心当たりがあった。

  ラティーファはかつて、俺の頭を洗った。その時の快楽は、驚くべきものだった。

 人は髪を洗われるだけでここまでの快楽を味わうのかと恐怖したものだ。

 故・獣王陛下も、ラティーファの毛繕いは恐るべしものだと言っていた。


「あひゃああああああああ」


 フィリムの声が響く。


「あっ、あっちょ、ラティちゃんそこぉおおっ!? ああっ」

「……」

「ちょ、ふひゃ、にゃあああああああ!?」

「……」

「そこは、駄目ですってばぁあ!!」

「……」

「あ、あああっ、ああああああ!!」

「……」

「ふえっ!? 今度は身体ぁっ? あ、やめっ、くすぐったいいいいっ!!?」

「……」

「もう、無理ですぅうっ!!!」


 俺は黙々と筋トレを続けた。


「ひぃやああああああああああっっっ!!!!」


「……」


 邪魔である。


「……仕方がないな」


 これ以上続けさせたら大変な事になりそうだ。

 止めねば。


 俺は二人を迎えに行くことにした。

 脱衣所に入ると、そこには床に転がって痙攣するフィリムの姿と、それを見下ろしながら満足そうな笑みを浮かべるラティーファがいた。


「……遅かったか」

「あ、旦那様!」


 俺に気付いたラティーファは満面の笑みを浮かべた。


 ……何も言うまい。


「うむ」


 俺は転がるフィリムを見る。


「大丈夫か」

「うぅ、ひどい目に遭いました……」

「そうか」

「頭を洗われるって……こんな感じなんですね」

「特殊ケースだ」


 これが普通でたまるか。


「ううう……もうお嫁にいけない……」

「そうか」


 強く生きろ。


「ふむ……」


 俺は考える。……そう言えば、トレーニングで汗をかいた。


「……よし」


 俺は服を脱ぎ始める。


「えっ、あの……旦那さま……?」

「どうした」

「えっと……その……私達が入ったあとですし、今更ですが、入らない方がいいんじゃ……」

「問題はない」

「でも、汚いし……」

「お前たちは綺麗好きのようだし、清潔なのだろう?」

「それはまあ、そうですけど……」

「なら構わない」


 俺は服を脱ぐと、風呂場に入った。

 まずは手桶で軽く体を流してから、浴槽に浸かる。そして―――


「アトラナータ。フィリムを片付けておいてくれ」

『了解しました。ラティーファ様はどうしますか』

「つまみだせ」

「ぎくっ」


 風呂場に入ろうとしていたラティーファが固まる。


『イエス・マスター。排除します』

「えっ、ちょっまっ――」


 アトラナータがラティーファを拘束する。


「えっ、えっ?」


 困惑するラティーファを担ぎ上げ、風呂場の外に放り投げる。


「うわっ、うっ」


 そのまま扉を閉めた。


 扉の向こうで、ラティーファの叫び声と、何かが潰れるような音が響いた。


「……」

『終わりました』

「ああ、助かった」


 風呂にはゆっくりと浸かりたいのだ。

 今の……フィリムを毒牙にかけてメスガキスイッチが入ったラティーファと一緒に風呂に入る勇気は俺には無いし、それは勇気ではなく蛮勇だ。

 頭を冷やせ、我が幼な妻よ。


「ふう……いい湯だ」


 俺はただ、湯を堪能した。




◆◇◆◇◆


「あれが目標の家か」


 夜闇に紛れて、黒装束の男が呟いた

「はい。間違いありません」


 部下の一人が答える。


「公爵家に恥をかかせた勇者、か」

「馬鹿な奴だ。黙って御輿として担がれていればいいものを」

「では、行くぞ」

「はい」


 男達は、静かに行動を開始した。

 深夜――。

 屋敷の住人たちが寝静まった頃、侵入者たちは動き出した。


「見張りはいないな」

「はい」

「好都合だ」


 男はニヤリと笑う。

 屋敷の庭に潜入し、静かに進む。


「うわっ?」


 男の一人が転倒する。


「ちっ、何をしてる――」


 もう一人の男が駆け寄る。


「す、すみません。足が何かに――ひっ!?」


 男の脚は、地面から伸びた何かに挟まれていた。

 それは――甲殻類の鋏だった。


「な、なんだあっ!?」

「ギギ――ィッ」


 そして、土を掘って現れる、二足歩行の甲殻類の――化け物たち。


「うわあああああっ!?」


 男たちはその異形の怪物に怯える。彼らは気付くべきだったのだ。この広大な敷地にどれだけの魔物が潜んでいるのかということを……。


「ギギッガ」

「ギッギッ」

「ゴガギギィッ」


 怪物は、足を掴んだ男を持ち上げる。

 そして、地面に叩きつけた。


「ぐあっ――!!」


 怪物の一体が、円筒形の容器を持ち出す。そしてそれを、男の頭部に当てる。


「ひっ、何を――」

「ギギギッ」


 そして。

 振動と共に、異変が起きる。


「ぎ、ぎゃああああああ!!」


 男が痙攣する。そして、容器の中に――そこに満たされた溶液の中に、何かが現れた。


「な……」

「ひいいいっ!?」


 男たちは驚愕する。

 それは――脳髄だった。

 男の脳が、摘出され、容器に収まったのだ。


「……」


 脳を摘出された男は、呆然と立つ。そして、仲間たちに視線を向けた。

 人形のような、焦点の合わない虚ろな瞳。


 それが、仲間の姿を捉える。


「うわああああっ!?」

「逃げろおっ!」

「ひいいっ!」


 男達が逃げ出す。


「ギギッ」

「ギググギッ」


 怪物は、無感情にそれを追いかけた。


「うわああっ!」


 男達の悲鳴が響く。

 だが、それも長くは続かない。

 地面から次々と甲殻類の化け物たちが現れ、餌食にしていく。

 次々と捕らえられ、押さえつけられ、脳を摘出され――木偶にされていく。


「な、なんだ聞いてないぞ!」


 男たちは焦る。

 ここは勇者の屋敷のはずだ。

 あんな――冒涜的な化け物がいていいはずがない!


「そうだ、あれは野良のモンスターだ!」


 ここは勇者の屋敷に入るしかない。そうすれば――!


「よし、突入だ!」

「はいっ!」


 怪物の手から逃れた四人は、屋敷の玄関に向かって走る。


 扉には鍵がかかっている。


「おい、早くあけろ!」

「は、はい!」


 部下が扉を開ける。四人は中へと入った。


「よし、いくぞ!」


 二人は奥へ進もうとする。


「……」

「おい、どうした? はやくしろ!」

「あ、ああ……」

「どうしたんだ?」

「いや、なんか変だなって……」

「はあ?」

「ほら、明かりがついてる……」

「そんなの、当たり前だろ?」

「そうじゃなくて……この明かり、動いて」

「なっ……」


 ただの照明、ただのランタンだと思っていた。


 だが違う。


 この――赤い光は動いている。


 目を凝らして見る。

 それは――例えるなら蜘蛛。

 一つの目を紅く輝かせた、鋼鉄の蜘蛛だった。


 それらが天井に、壁に、無数にいる。


『侵入者、発見』


 機械音声が響く。


「ひっ……」

『警告します』


 再び、無機質な声。


『速やかに武装を解除し投降してください。抵抗する場合は実力を行使します』

「ふ、ふざけるな!」

「やってしまえ!」


 剣を抜き、構える四人の男達。


「さあ来い!」

『了解しました』


 直後――無数の鋼蟲が襲いかかった。


「うわああっ!」

「ぎゃああっ!」

「ぐえっ!」


 3人の男が倒れる。1人が辛うじて踏み留まり、叫んだ。


「た、隊長!?」

「お、お前らは先に行けぇっ!! 俺は時間を稼ぐっ!!」

「で、でも――」

「いいからはやくいけえっ!!!」

「は、はいぃっ!!」


 残った部下が走り去る。


「くそぉっ……!!」


 男は叫ぶ。そして――


「うおおおおっ!!」


 雄叫びを上げながら、鋼蟲たちに突撃した。

 ………………だが、無駄だ。


『排除開始』


 その声と同時に、鋼蟲が押し寄せる。津波のように、弾丸のように。


「ぐわあああっ!!」


 男の身体が跳ね上がり、床に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。


『排除完了』


 鋼蟲たちがそう告げると、壁の穴から新たな鋼蟲が現れる。


『次の侵入者の捜索を開始します』


 そして鋼蟲たちは進んでいく。



「ひっ、はっ、ひっ、どうなってんだここは!」


 残された二人の部下が、廊下を走る。

 すでにまた一人、蜘蛛による熱線によって足を撃ち抜かれ、そして連れ去られて行った。


 そして、行き止まりの扉の前にたどり着く。

 ここに逃げ込むしか――ない。


「おい、開けろ!」

「は、はい」


 部下の一人がドアノブに手をかける。……しかし、開かなかった。


「おい、どうした!?」

「開きませんっ!」

「くっ、くそっ!」


 部下の一人が体当たりをする。すると――扉が開いた。


「やったぜ!」

「助かった!」


 二人は中に入る。


「おい、待てよ――」


 もう一人も後を追う。

 そこには――暗闇が広がっていた。


「――え?」

「おい、なんだよこれ……」


「てけり・り」


 響く声。

 そして――部屋に光が灯る。


「ひっ……」


 部屋の中央には――巨大な水槽があった。

 中には――水だ。いや違う。


 その満たされた水に、突如、眼球が生まれる。現れる。


「てけり・り」


 その眼球が、一斉に男たちを見た。

 そして――水槽の水が、爆ぜた。


 それは津波のように、肥大化して――二人を飲み込んだ。

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