第13話 告白



 老婆はそう言って、着ている服のカフスボタンを撫でました。


 表面には、職人のこだわりを具現化したかのように繊細な彫刻が施されています。


「えっ……? ちょっと待って……。おばあちゃんの着ていたお洋服って、全部自分で作ったものだったの?」

 

「全部……とはいかないけれど…………。そうね、あのアルバムの中の写真の私が着ていたものに限って言えば…………すべて、私の手掛けた作品ねえ」


「あそこに載ってたものが、おばあちゃんの作品…………? どうして教えてくれなかったの……。そんなすごい事!」


「…………。作品に興味があるからって……作者にまで興味を持つことなんて、あまりないでしょう……?」


 切なげに放たれたひとことには、この世界の真理が凝縮されていました。


 彼女はどんなに有名になっても驕ることなく、真摯に衣装制作と向き合ってきましたが、表舞台に立たず、次から次へと素敵な服を世に送り出している彼女の正体など、誰ひとり気にも留めなかったのです。


 みんな、作品の背後にいる彼女さくしゃなどないものかのように、大口を開けて短いスパンで前作を上回る新作を要求します。


 在りし日の彼女は、それを当然のこととして受け止め、黙々と仕事を続けたのでした。


「それはそうかもしれないけど! おばあちゃんは大好きな服を作った人でもあるけど、それよりもずっと前から、わたしの大切なひとだもん……。沢山……沢山、自慢してほしかったよ!!」


「なぜ過去形なの? いまからでも、ちゃあんと自慢させてもらうわ……。私はねえ……これでも、世界的に有名なデザイナーだったのよ…………」


「おばあちゃんはすごいよね…………。わたしとは格が違う……」


「…………いいえ。私自身は、なにもすごくなんてなかった……。でも……そうね。世界中の素敵なお嬢さんたちが、自分の考えたお洋服を着てくれた…………。そんな、夢のような時代があったのは……確かにすごい事だったと思うわ……」


 『作者』自身が愛されずとも、『作品』さえ愛されればそれでよいのだ――――……と、なおも言い張る目の前の老婆は、彼女にとって、たいへんものでした。


「……それでも。それでもだよ! おばあちゃんが自分のことをどう思ってても、わたしにとっては、やっぱりすごいひと。才能だけを言ってるんじゃないの。この村の人はみんな親切だけど、わたしの事をどこか侮ってる……。たぶん、みんなも自覚してないんだろうけど……。実際に至らないところばっかりだから、仕方ない事なのかもしれないけど…………」


 ため息を漏らした彼女は、いつになく悲しそうに見えました。眉も八の字に項垂れています。


「でも、おばあちゃんだけは……人生経験の浅いわたしにも、対等に接してくれてる! 最初からそうだったね。孫みたいに甘やかすだけじゃなくて、一人の人間として、ちゃんと向き合ってくれた。お世話するのがわたしのお仕事なのに、かえってお世話になっちゃってる。他に知らないよ、そんなひと…………」


「買い被りよ……。だって、貴女に特別目を掛けていたのは……その声が…………」


 老婆は彼女に向かって手を伸ばします。震える指先は彼女に届く前に力を失い、ぱさりという音をひとつ残して落ちました。

 

「声?」


「貴女の声が……私の娘に…………よく似ているから」


「お子さん……いたんだね」


 突然、真相を告げられた彼女は、驚くとともにどこか安心した心地になりました。このひとは最初からひとりぼっちだったわけではないのだ、と。


「……ええ。とはいっても、もう長いこと会っていないわ……。ここに連れてこられるずっと前から……。嫁入りして家を出て以来、あの子……一度も帰ってこなかったものだから…………」


「ああ……そうだった……。結婚しちゃった人は、よっぽどの事情がなければ、普通は故郷になんて帰ってこないんだって聞いたことあるよ。いつからそうなのか知らないけど、帰りたければいつでも帰ってきていいのにね。変なの……」


「本当に……そのとおりね……」


「帰りたくない人には……まあ、好都合なのかもしれないけど。なんだか寂しいね……。『持てる家族は最大でもひとつだけ』って、知らない人に勝手に決められてるみたいで」


 老婆は寂しそうに目を伏せ、何度も何度も頷きます。その姿はさながら、花瓶に挿された枯れる直前の生花のようでした。


「幻滅……したでしょう? なんてひどい老いぼれかと……見損なったでしょう? 私は……貴女とあの子を、重ねて見てしまっていたのだもの…………。ずっと、そう……出会った日から……」

 

「全然そんなことない!!」


 彼女はこの数分で急激に老け込んでしまった老婆がいたたまれず、首を激しく横に振って、大きな声ではっきりと否定の意を示します。


「家族って、きっと……恋しいものだから。わたしにはわからないけど、たぶん。…………わたしね、ずっと家族が欲しかった。でも、拗ねるばっかりで……施設の人とも打ち解けようとしなかった。それなのに、なんでも言い合える誰かが欲しくて。無条件に信頼できる家族に憧れて……。それで、優しくしてくれるおばあちゃんに甘えてたの」


 彼女は差し伸べられる無数の手を振り払ってきた過去の自分を恥じました。こみ上げてくる涙も鼻水もおかまいなしに、蓋をしてきた傷と向き合います。


「おばあちゃんは、確かにわたしを娘さんの代わりにしてたのかもしれないけど! それを言うなら、わたしなんて、家族みたいな関係になれる人なら誰だってよかったんだから……。おばあちゃんの事、わたし………きっと、ずっと……利用、してきたんだよ…………。ひどいのは、わたしのほう……」


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