第12話 別れの気配
「もし、それが……貴女の本心だとしても、そんな風に言ったらいけないわ……。偶然とはいえ、貴女は……彼から祝福を受けたのだから……。愛するひとから不老長寿を授かる、なんて……そうそうない事よ…………」
「…………ごめん。本当にそうだね。そんな風に考えた事なかったなあ……。わたし、間違ってた。せっかく長生きできるのに、ありがたみも感じないで、落ち込むばっかりで…………」
「間違ってなんていないと思うわ……。感情に正解はないのだもの……」
老婆はベッドサイドに彼女を呼び寄せると、ゆるく巻かれた長い髪を梳かし始めました。
彼女が落ち込んだときや悲しんでいるとき、老婆はこうして気持ちを落ち着かせてくれるのです。彼女は無数の皺が刻まれた、その慈悲深い手が好きでした。
「それにねえ……。生き続けるのもきっと、死んでしまうのと同じぐらい、苦しいものよ…………。思うように動かない体で……日を追うごとに可動域が狭くなる体に鞭打って生きていくのは…………楽な事じゃない……。いいえ。不自由な老体の自分が……健康な若者の助けを借りて、やっと生活していけるというのは……なかなか心苦しくて……『早く死んでしまえたらいいのに』と、何度願ったことか…………」
老婆は、長年抱えていた、良心の呵責にも近しい悲痛な叫びを解放しました。
死ぬまで誰にも告げるつもりのない本心でしたが、たとえ打ち明けることで罪悪感を抱かせる結果になっても、大切な友人である彼女相手に隠し事をしたまま生きてなどいたくない、と強く思ったのです。
「知らなかっ…………ううん、気付かなかった……。なんて、これも違うか……。
案の定、彼女はひどい自己嫌悪に陥っているようで、強く噛んだ唇には血が滲み出しています。
「でもね、おばあちゃん。わたし、ちっとも負担になんて思ってないんだよ…………」
「ええ。ちゃんとわかっているわ……。伝わってくるもの…………。貴女はいつだって、私たちに寄り添ってくれたわねえ…………」
「やだ……! そんな、死んじゃうみたいな事…………急に言わないでよ……っ」
彼女はせっかく整えてもらった髪が乱れるのもお構いなしに、マットレスに頭を押し付けています。
駄々をこねる姿は幼子のようで、老婆は少し、死ぬのが惜しくなりました。
「ごめんなさいねえ……。でも、現実から目を背けないで…………。私にはきっと、もうすぐお迎えが来る……。泣いても嘆いても、仕方のない事よ……」
「そんなの嫌だ! まだまだお話したい事、沢山あるんだよ…………」
勢いよく顔を上げた彼女。老婆を見上げる目にはぷっくりと涙が溜まり、両手はシーツを強く握りしめています。
「ええ、そうねえ……。私も同じよ。でも、生きものはいつか死ぬ。…………その時期が来た。私の順番が回ってきた。……それだけのこと」
「そうかも……しれないけど…………!」
彼女は悔しげにそう言うと、ぎゅっと目を瞑って再び俯いてしまいます。
「ねえ、貴女……つい先日、誕生日だったわねえ…………」
老婆は彼女の両の手に自分の手を重ね、童謡を歌うように尋ねました。
「うん……」
「私、まだ…………贈り物を、していないでしょう……? 遅くなって、ごめんなさいねえ……」
柔らかな声音と乾いたぬくもりを受け取った彼女の頬には、ついに涙が伝いました。ぱたぱたとシーツに落ちた粒は、すぐには消えないシミとなって広がっていきます。
「そんなの……こうしてお話してくれてる事がいちばんのプレゼントだよ…………。他に欲しいものなんて……」
「貴女が釘付けになっていた……、あのドレスも…………いらないの?」
老婆はしゃくりあげる彼女の髪をいまいちど梳かしながら、そのつむじに向かって問いかけます。
「すごく欲しいけど……。でも……あるはずが…………」
「いいえ。ちゃあんと残っているわ…………」
単身世帯にしてはいやに広いこの屋敷に、空き部屋らしい空き部屋は見当たりません。
いまいるベッドルームやバスルームなどの普段から使用している部屋を除けば、ほとんどの部屋には素敵な衣装の数々が厳重に保管されていました。
それら貴重品の管理も彼女たちの仕事に含まれますが、老婆と親しい彼女は身の回りの世話を任されていたため、この屋敷のどこになにがあるかをほとんど知りませんでした。今現在、どの衣装が残っているかだって、当然わからないのです。
「…………あの、夜の帳のような?」
彼女は信じられないと言わんばかりに、震える声で尋ねます。
「ええ、そうよ。……ごめんなさいねえ。情けないことに……私はもう、ここから一歩も動けなくて……この足で探す事は出来なかったわ…………。でも、この家のどこかに必ずあるのよ……。貴女が褒めてくれたお洋服たちは……すべて……手元にあるの…………。まさか、この年になって…………新しく、私の作ったお洋服のファンになってくれるひとがいる……だなんて、想像もしていなかったわ…………」
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