第10話 『おばあちゃん』
時は過ぎ、彼女が彼の肩を食い千切ってから五年ほどが経過しました。
「貴女、ずうっと若くて綺麗ねえ」
彼女はいちばん仲良くしている老婆の家でお茶を飲みながら談笑しているところでした。
ここへは昼間にも一度、仕事で訪れましたが、業務終了後に今度は私用で立ち寄ったというわけです。
「やっぱりそう思う? 綺麗かどうかは怪しいけど……。ありがとう。でも、おばあちゃんだって、ずっと綺麗だよ」
彼女の外見は五年前から変化しておらず、肌の張りや艶も見事なものでした。
しかし、身近に比較対象もいない彼女が自身の外見を客観視するのは困難です。それでも目を疑ってしまうほどに、彼女には加齢を感じさせる類の変化は見られませんでした。
「あらあら。この子ったら、お上手ねえ」
「ねえ、よかったらまたアルバムを見せてほしいの」
「わざわざ許可なんて取らなくても、いつでも見ていいのに。置き場所は知っているでしょう?」
彼女はこうして仕事終わりに老婆に会いに来ることが度々ありました。
倉庫街の近くの大きな家に住むこの老婆は、優しい村人たちの中でも彼女にいっとう親切にしてくれます。初めて会ったときから変わらずに。
「知ってるけど……ひとのものを勝手に見るわけにはいかないよ」
彼女は本棚の上から二段目、写真立ての後ろの豪華な装丁のアルバムを丁寧に取り出しました。
「本当に律儀ないい子ねえ」
「やっぱり、どのおばあちゃんもとっても可愛い。それにお洒落! いいなあ……。いま街までお買い物に出ても、こんな素敵なお洋服売ってないよ」
「貴女は私がちょうど貴女ぐらいの年頃のときのワードローブが好きよねえ」
「うん。おばあちゃんのセンスがいいおかげかなあ、見てるだけでわくわくしちゃう!」
テーブルの上にアルバムを広げて目を輝かせる彼女を横目に、老婆は飲み頃の紅茶に口をつけます。
「私も全部気に入っていたお洋服だから、とても嬉しいわ。ありがとう」
「このドレスのシルエット、やっぱりいいなあ……。踊ったら、ターンのときにふわっと翻って、きっと素敵なはず」
彼女は分厚いページをめくる手を止め、一枚の写真を穴の開くほど見つめて言いました。
「服の形もこの数十年で随分変わったものねえ……」
老婆は当時の都会の様子を回顧します。街行く人々は、アルバムの中の娘同様、誰も彼もが御伽噺の登場人物のように洒落た出で立ちをしていました。
「ほーんと。確かに動きやすいし、きっと着心地とか乾きやすさとかも段違いによくなってるんだろうけどさ」
「そうねえ。いまは安価でいい素材が揃うし、いい時代になったわねえ」
彼女は老婆と過ごす時間がとても好きで、まるで実の祖母であるかのように、彼女の事を『おばあちゃん』と呼び慕っていました。
老婆は気持ちがとても若く、いつも素敵な装いをしています。その中には、若い頃に着ていた服をリメイクしたものも少なからずあるようでした。
それからさらに十年が経ちました。
「貴女はずうっと若いままで……綺麗ねえ……。出会ったときから変わらない…………」
「……ありがとう。でも、わたしはね、若さを保ってるだけが美しいひとの条件じゃないと思うんだ。若い頃のおばあちゃんも今のおばあちゃんも、全然違うけど、どっちも美しいみたいに」
数年前から寝たきりになった老婆には、いよいよ寿命が近づいているようで、このところは言葉を発するのもつらそうです。
『無理して喋らなくていい』と彼女はとっくに伝えていましたが、それでも『貴女とのお喋りが生き甲斐なのよ』と返されるので、それに応えるため、仕事帰りに老婆の家へ寄る頻度も高くなっていました。
「貴女は美しいだけじゃなく、聡明で優しいのね……。ああ、若さを保つといえば……こんな話があった…………」
「もしかして『例の本』の内容?」
「そうそう……。あの本に収められていたのは、どれも……心ときめくお話で……。結局、作者の名前もわからずじまいだったけれど…………」
「それでそれで? 今日はどんなお話を思い出したの?」
老婆は彼女の知らない事を沢山教えてくれます。話題は生活の知恵から昔の流行歌まで多岐に渡り、長い付き合いとなった今も、まだまだ話のネタは尽きません。
老婆のしてくれる話の中で最も彼女の興味を惹いたのは、かつて盗み見た分厚い禁書に記されていたという摩訶不思議な物語の数々でした。
そこに収録されているのは、非現実的で非日常な体験を描いた短編ばかり。
『なぜ、作り話であることが明白なその書物が禁書に指定されたうえに、図書館の地下深くに封じ込められる必要があったのか……』と老婆は以前、こぼしたことがありました。
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