転生伯爵令嬢は異世界でを采を振る

香月咲夜

【プロローグ】

「お前のようなブスが王庭に存在することこそが罪なのだ!」


絹織物のような美しいバイオレットの髪をした少年は、くすんだ黄緑色の髪の少女を突き飛ばした。

運悪く、少女の後ろには池が広がっており、足を滑らせた少女は池の底へと誘われた。

ドレスが水を吸ってうまく浮上することができない。

深く、深く、沈んでいく――




3時間前――


建国以来続く由緒正しきリヒター伯爵家では、使用人たちが忙しなく走り回り、慌ただしい朝を迎えていた。

フォンテーヌ王国の第1王子であるファビアン・フォンテーヌの8歳を祝うパーティの準備に追われているのだ。通常の王家主催のパーティであればこれほど慌てることはないのだが、今回はわけが違う。年の近い子女たちにも招待状が届いているのだ。

これは誕生日に託けた第1王子の婚約者決めの場でもある。

リヒター伯爵家には2人の愛娘がおり、白羽の矢が立てられたのは今年5歳になる次女のシャーロットだった。シャーロットにとって初めてのパーティが王家主催の、しかも婚約者決めのパーティとあって、リヒター家全体が落ち着かない様子で準備を進めているのだ。


「みんな、バタバタいそがしそうですわね」

「あら、シャロ。あなたは王宮でのパーティ楽しみじゃないの?」


使用人たちが忙しくしていることもあり、シャーロットの面倒は来月クライン侯爵家に嫁ぐ姉、ヴィクトリアが見ていた。


「シャロはまだ5さいですよ? おさほうのおべんきょうはじめたばかりでふあんです」

「ふふっ、言葉づかいはしっかりしてきているし、朝のご挨拶も上手にできていたわよ?」

「それはおねえさまのひいきめでみているからですわ。マリーせんせいには『まだまだおべんきょうがたりませんわね』っていわれるもの」


シャーロットは眼鏡をくいっとあげる仕草をしながら作法の教師であるマリーの真似をした。その仕草にヴィクトリアはまた穏やかに微笑んだ。


「あなたの世代は大変ね、シャロ。第1王子だけでなく第2王子も同世代ですもの。うちは中立派だからどちらの王子のパーティにも出席するだろうし…。

あなたが見初められたら、とみんな期待してしまうのも無理ないわ。だってほら、こんなに愛らしいんですもの」

「姉上、妹が愛らしいのはわかりますが、あまり甘やかさないでください。シャロ、そろそろ支度をして来い」

「はぁぃ、おにいさま」

「返事を伸ばすな。『はい』だろう? もう一回」

「……はい、おにいさま」

「あらあら。サムったら可愛げがなくなっちゃって。前みたいに『おねえちゃま』って呼んでくれていいのよ?」

「ぼ……私はリヒター家の家督を継ぐ者です。由緒ある伯爵家として恥じない振る舞いをしなければなりません!」


ヴィクトリアの弟でシャーロットの兄であるサミュエルが眼鏡をくいっとあげた。


「おにいさまったら、マリーせんせいそっくりなんだから……」

「何か言ったか、シャロ?」

「なんでもないですわ! さぁて、じゅんびにいかなくては!」


シャーロットの部屋では使用人たちのほかにマリーの姿もあった。

作法の最終確認にでも来たのだろうか、と勘繰ったシャーロットは教えられたとおりのカーテシーを行った。


「マリーせんせい、おはようございます。ほんじつもすてきなメガネですね。せんせいのしろいはだにくろぶちがよくはえますわ」

「……カーテシーは及第点です。シャーロット様、女性を褒めるのは男性の役目です」

「あら、すてきなものをすてきといってなにがいけないのかしら?」

「その誉め言葉が心からのものなら良いのですが、『白に黒が映える』など弔事を思わせる例えですわ。私の肌と眼鏡は忌色だとおっしゃっているのも同義。到底誉め言葉として受け取れません」

「では、あかぶちのメガネにかえてはいかが?『しろにあか』ならけいじでしょう?」

「ああ言えばこういう……」


マリーは大きくため息をついた。もちろん、この誉め言葉はわざと言っているので、シャーロットは心の中でどや顔をしていた。


「それではシャーロットお嬢様、お着替えをいたしましょうね」

「本日はガーデンパーティ。色とりどりの花咲き乱れる華やかな会になることでしょう。こちらのローズピンクのドレスはいかがですか?お嬢様の落ち着いた緑色の髪にもよく映えますよ」

「それとも白のドレスで『王子様の色に染めてください!』とアピールしますか?」


なるほど、たしかに褒められている気がしない、とシャーロットは思った。シャーロットの髪色は姉や兄のような美しいエメラルドグリーンではなく、くすんだ黄緑―老竹色―をしている。似合うとしたら精々ワインレッドやラズベリーのような深みのある色だろう。あぁ、そうか、見初められないためには似合わない色のほうがいいのではないか。


「ローズピンクのドレスにするわ」


正直シャーロットは王子様に夢見ていなかった。

お姫様のピンチにいつも都合よくあらわれる王子に対して憧れよりも恐怖を覚えていた。こんなに毎回ベストタイミングで現れるなんて、実は裏で手を引いているのでは、と。幸い姉は12歳離れており、同じ絵本を見て育つことはなかったし、1つ違いの兄は王子様とお姫様が出てくる絵本に興味はない。無理にみんなに合わせて「王子様が好き」と言わずに育ったのは幸いではあったが、今日に限っては建前上「王子様が好き」をみせなければならない。

だからこその、似合わない色のドレスである。センスがない王太子妃候補なんてふるいにかけられ選考に落ちるだろう。それでいい、それがいい。




そう考えて家を出たのに。

王子への挨拶は公爵から順に下位貴族へと回ってくる。リヒター伯爵家はまだ少し後だった。

時間的にも余裕があったが故、付き添いである父は職場の同僚に話しかけられシャーロットのもとから離れていたし、側近候補として招待されていた兄も飲み物を取りに離れていた。偶然できた一人の時間に、災いはやってきたのだ。


「おいお前!」


シャーロットがボーッと池を眺めていたら、いきなり後ろから怒声をかけられた。恐る恐る振り返ると、そこには王家の象徴であるバイオレットの髪をした少年が立っていた。

顔は知らなかったが、この方が第1王子で間違いないだろう。シャーロットは丁寧にカーテシーを行い挨拶をしようと口を開いたが、声を出す前に第1王子の声がまた上がった。


「なんだ、美しいと思ったのは後ろ姿だけか。おいブス。お前、王家が主催するパーティで暇そうにするなんて不敬じゃないか!」

「……おそれながら、だい1おうじさま。わたしはひまそうにしていたのではなく、いけをながめていただけですわ」

「池を眺める暇があるならなぜ俺様にあいさつしに来ないんだ!」

「……わたしははくしゃくけ。じゅんばんは、まだあとですもの」

「うるさいうるさいうるさい! 俺様に指図するな!」


それは完全に八つ当たりだった。何が不服なのか、いや長時間の挨拶が面倒だったのだろう。自分は面倒な挨拶をこなしているのに、この女は暇そうにしてるなんて許せない、というところか。

とはいえなぜ、選ばれたのがシャーロットなのか。伯爵家以下の順番待ちの人間ならまだほかにもたくさんいる。あぁ、そうか。シャーロットが一人でいたからだ。小さな子供が共もつけず一人ぼっちで。だからこそ、小さな暴君の標的になってしまったのだ。


「お前のようなブスが王庭に存在することこそが罪なのだ!」


そうして物語は冒頭へとつながる。

深く沈む中、シャーロットは見初められるの反対語は仇討ちされるなのかしら、と考えていた。

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