第83話
「こっちですこっち、足元気を付けてくださいね」
「あらあら、あまり離れたら危ないわよー?」
ウカたちがホールで激しい戦闘を繰り広げているころ、おかきは命杖を先導しながら避難経路を走っていた。
建物内の見取り図はすでに暗記済み、当然最短の避難ルートも頭に入っている。
ときおり聞こえてくる戦闘音に後ろ髪を引かれながらも、足取りは決して緩めない。 たとえおかきが助けに向かっても邪魔になるだけだ。
「ふぅ、ふぅ……い、いけないわ……大人になってから、運動不足ね……」
「ごめんなさい、でももう少しだけ頑張ってください」
「だ、大丈夫……ふぅ……まさかこんなことに、なっちゃうなんて……」
命杖はひらひらとしたドレスコーデにハイヒールと、当たり前だが走るにはあまり適した格好をしていない。
それに彼女の運動音痴っぷりはおかきも雄太だったころから知っていた。
仕方がないことだが、それでも心を鬼にして命杖の手を引く。 今は少しでも早く安全な場所へ逃げねばならないのだから。
「ね、ねえ君……あなたはこんな大人になっちゃ、だめよ……?」
「……そんなことないですよ、先輩は立派です」
「えっ――――?」
その時、避難通路全体が激しい衝撃で揺さぶられた。
立っていられないほどの揺れに倒れる2人。 何が起きたのかわからない中、続けて訪れた爆発音が鼓膜と脳をさらに揺らす。
「っ……! 爆、発……!?」
「あたた……! お嬢ちゃん、大丈夫……!?」
「私は大丈夫ですけど――――先輩!!」
いち早く異変に気付き、おかきがとっさに命杖の身体を突き飛ばすと、その背中に一本の鉄パイプが振り下ろされる。
骨が砕ける感触とともに、小さな体はその一打で壁際まで弾き飛ばされた。
「あ、ぐ……あぁ……!!」
「お嬢ちゃん!?」
「だい、じょうぶです……怪我、は……!?」
燃えるような熱を帯びた肩はまともに上がらない、それでも床を這いずるように身体を動かす。
幸いにも鉄パイプはおかきの身体で受け止めたため、彼女の身体には怪我1つ無かった。
「ひひ、ひ……ひひひ、はははは……!!」
「っ……誰、だ……!」
顔を青くした命杖の背後に立っていたのは、着崩したスーツに身を包んだ男だった。
ネクタイは曲がり、ボタンは掛け違い、髪もグシャグシャに乱れてひどい有様だ。
なにより目の焦点は合っておらず、緩んだ口元からは唾液が泡となって零れている、とてもじゃないが正気ではない。
「ひひゃひゃ……おもし、おもしろ……こっち、おもしろいよぉ……!」
『おかきちゃん! おかきちゃん!? 何があった、そっちは無事か!?』
「はははは、はは……! ひゃははひひひはははは!!!」
ゲラゲラと男が笑う。 苦しむおかきの姿を見下ろしながら、狂ったように。
まるでそれ以外の感情を発することができないようなその姿は、人として壊れていた。
「キュー、さん……鉄パイプを持った男性が一人、笑ってます……」
『ああ、こっちでも聞こえる。 十中八九サーカス団の犠牲者だな、今どこだ? 場所は?』
「プランCの、避難経路……」
「お嬢ちゃん、平気!? どうしてこんな……!」
「良いから逃げて! 狙いはあなただ、振り返らず外に!」
「イヤよ、私はただのバッドエンドは嫌いなの!」
命杖はハイヒールを投げ捨てて、倒れたおかきを抱きかかえる。
だがあまりにも非力、よたよたとした足取りはカメの歩みだ。 鉄パイプを引きずりながら歩く男からは逃げきれない。
「ふんぐぐぐぐ……! KP、ここは登攀でチャレンジを……!」
「言ってる場合ですか!? 下ろしてください、あなただけなら十分逃げられる!!」
「ダメダメ、作家がこんな場面で女の子を見捨てたらぁ……二度と面白い話は書けなくなっちゃうから……!」
「バカぁ!!」
「はははは、ははひひひひひ!!」
引きつけのような痙攣をおこしながら近寄る男が、とうとう逃げる命杖の背中を射程内に捉えた。
そしてさきほどおかきを打ち据えた時と同じように、天井いっぱいまで振り上げられた鉄パイプは、命杖の後頭部へと――――
「――――まったく、君はいつも私の肝を冷やすのが上手いな」
直撃するその寸前、横から伸びた手が鉄パイプを
「ひひひ、はは……はっ?」
「ふむ、おおかたサーカス団の被害を被った民間人か。 悪いが少し寝てもらおう」
「ひひひピギャッ!?」
スコンと小気味良い音を立て、顎を揺らされた男の身体が床に崩れ落ちる。
自分たちの間に割って入ったその赤い髪の女性は、咥えていたアメを噛み潰しておかきの方へ振り返る。
「無事か? いや、無事ではないか。 悪いな、別件で日本を救っていて遅れた」
「き、局長!? あの、今鉄パイプ握りつぶしました?」
「気のせいだ、そちらのご婦人は無事か」
「だ、誰ぇ……?」
「申し訳ないが今は悠長に話している暇もない、どうか私から離れないでくれ」
麻里元が新しいアメの包み紙を剥がしている間に、通路の奥から次々に新手が現れる。
やはり誰も彼もが正気を失ったように笑い、おぼつかない足取りだ。
だが前後から迫る通路を埋め尽くすほどの人数は、おかきたちの逃げ道を完全にふさいでいた。
「宮古野、どこかに犠牲者を増やしているバカがいる。 5分で探れ」
『あいあいさ、おかきちゃんのことは任せたよ!』
「任せろ、私の部下たちをコケにした報いはしっかりと受けてもらうさ」
麻里元はネクタイを緩めて、準備運動とばかりに片手をプラプラと振るう。
なんとも緊張感がないが、おかきは不思議とその背中に不安を覚えることはなかった。
「さて、ウカたちの無事も気がかりだ。 君たちには申し訳ないが少々手荒に押し通るぞ」
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