第7話

「どうかな、制服の感想は?」


「やっぱり袖が余りますね……それと当たり前ですが女子服ですか」


 翌朝、朝食を済ませたおかきは、早くも用意された制服の試着を宮古野に頼まれていた。

 食堂近くの空き部屋でブレザーまではなんとか袖も通せたが、やはりスカートは抵抗があるのか、その下にズボンを履くなけなしの抵抗を見せている。


「うーん、やっぱり特注じゃないとダメか。 本当背ちっちゃいねおかきちゃん」


「身長は最小値でしたからね、かつてのダイスが恨めしい……」


「合法ロリとは重要文化遺産だ、大切にするといい。 丈は合わせておくけど、スカートには今のうちに慣れておきなよ?」


「……女子はよくこんなスースーする防御力の低い布を履いていられますね」


「スカートくらいで躓いてられないぜ、トイレも苦労しただろう?」


「はい……それはもう……」


 カフカを発症してからすでに24時間以上、生き物である限り生理現象からは逃れられなかった。

 局長に連れ添ってもらった初めてのトイレは、思い出すのも憚られる赤面ものの体験だった。


「外見の変化はもちろん、身長の縮小、筋力の低下、人格剥離など、これから多くの問題に直面するだろう。 スカートがなんだって言うんだ」


「うぐっ……」


「ここを乗り切らないとこの先到底やっていけないぞ、さあその下に履いたズボンを下ろしてゆっくりとスカートをたくし上げるんだよできれば赤面しながら涙目で顔を逸らすオプション付きでさあさあハリーハリー!」


「ほう、仕事をサボって新人にセクハラとはいい根性をしているな」


「さあさ…………オハヨウゴザイマス……キョクチョウ……」


  音もなく現れた麻理元が、青ざめる宮古野の頭部を鷲掴みにする。

 背後を取られた宮古野はともかく、正面に位置していたはずのおかきすら、声をかけられる瞬間まで麻理元の存在に気づけなかった。


「おはよう宮古野、遺言はあるか?」


「わが生涯に一片の悔いなぎゃああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」


「およそ人の頭蓋骨から聞こえちゃいけない音だ……」


「おはよう、おかき。 制服似合っているぞ、あとで採寸しなおそうか」


 宮古野の絶叫とカルシウムの悲鳴を聞きながら、麻里元は何事もなかったように微笑む。

 とてもツッコみたい光景だが口を閉ざし、おかきはただこの人には逆らわないようにしようと心に誓った。


「ぐ、ぐふぅ……それで何の用だったのかな……局長……」


「おっと、お前の変態行為のせいで忘れるところだった。 おかき、君が通う学園のパンフレットを渡し忘れていた」


「そういえば転入先を聞いてませんでしたね。 えーと……赤室あかむ学園?」


「SICKの息がかかっている学園だ、“訳あり”な生徒たちも在籍している。 カフカ患者も含めてな」


「つまり、私の先輩たちが通っているということですか」


「ああ、ちょうど任務を終えて帰ってくるタイミングだ。 宮古野、今どこにいるか分かるか?」


「う、うーん……あれ、ウカっちもう戻ってきてるじゃん?」


「なに? まったくあいつら、あれほど単独行動は慎めと……」


「―――――おっはー!! 稲倉いなくら ウカ、ただいま戻ってきたでー!!」


 通りの良い快活な声がフロア全体に響き渡る。

 「ウカっち」というあだ名と、頭を抱える局長の姿から察するに、この声の主こそが例のカフカ患者だろう。


「ウカ、うるさいぞ! お前の声は夜勤明けの頭によく響くんだからやめろと言ってるだろ」


「ああ、おったおった。 しゃあないやん、そないなところに隠れて見つからへんしー」


 局長と一緒におかきが部屋の外を除くと、現代建築の基地とはミスマッチな巫女服の少女が立っていた。

 身長はおかきと同等……いや、5cm前後は高いだろうか。 大幣おおぬさを行儀悪く肩に担ぐ姿も異様だが、何より目を引くのは、彼女の頭部からこれ見よがしに生えた黄金色の獣耳だった。


「……キツネ?」


「ん? なんやちっこいのおるやん、こいつが13人目か?」


「ああ、この子は藍上 おかきという。 仲良くしてくれ」


「なんやけったいな名前しとるなぁ、うちも人のことは言えんけど」


「おかき、こいつは稲倉 ウカ。 カフカ症例第8号であり君の先輩に当たるキツネだ」


「せやでコンコンコーンっと……ってキツネちゃうわ! 豊穣神や豊穣神!」


「豊穣……ああ、稲荷神ですか?」


 キツネと豊穣の神、そして本人の出で立ちを見れば、おかきには彼女のモデルが推測できた。

 稲荷神。 伏見稲荷大社をはじめ、日本で幅広く信仰される五穀豊穣の神が彼女のモデルモチーフに含まれているのだろう。


「おっ、当たりー。 ウカっちはキツネの神様なんだよ、名作ラノベ“御狐と更新料”は知っていると思うけど」


「すみません、まったく知らないです……本物の耳なんですよね、それ」


「なんや、触ってみるか?」


 差し出されたキツネ耳に、おかきは恐る恐る触れる。

 ふかふかの毛布のような手触りから伝わる体温は、作り物ではない生きた動物の耳であることを如実に表していた。


「おかき、触ったら手を洗えよ。 エキノコックスは怖いからな」


「えっ」


「せやで、ブラッ◯ジャックみたいにエグいのが……ってなんでやねん!」


「冗談だ。 ウカ、それだけ元気があるならおかきを外に連れ出してくれ、カフカ同士交流も必要だろう」


「おっ、せやな。 うちも後輩が楽しみではよ帰ってきたし」


「そんな、稲倉さんに迷惑じゃ……」


 麻理元の提案に、おかきは若干の躊躇いを見せる。

 彼女は任務終わり、しかも朝帰りともなれば疲労は溜まっているはずだ。

 その上で休息も取らず新人に付き合えというのは、体力的に厳しいのではなかろうか。


「別にかまへんって。 それと堅っ苦しい呼び方やめえや、うちもおかきって呼ぶからウカでええで」


「カフカには刺激が必要だと昨日話しただろう? 地下にこもってばかりじゃ身体に毒だ、少し遊んでこい」


「それにおかきちゃん、下着も着替えも持ってないよね?」


「…………必要ですか?」


 必要か不必要かでいえば、衛生面からして間違いなく必要だろう。

 ただでさえ現状、おかきの着替えは姉の古着しかなく、下着に至ってはほぼ0に等しい。

 それでもおかきは、「自分で女性ものの下着を選んで買う」というミッションから目を背けたかった。

 

「副局長として命ずる、ウカっちと一緒に十分な衣服を揃えてくるように。 というわけで頼むよウカっち」


「アッハッハ、カフカの洗礼受けとるなぁおかき! 任せといてや、ほな着替えてくるからちょっと待っとってー」


「はい……」


 上司命令、しかも先輩まで巻き込んでなおワガママを貫く度胸はおかきにはなかった。

 

――――――――…………

――――……

――…


「へー、TRPGなぁ。 うちも昔やったことあるわ、たしかメイス・ワールドって名前のやつ?」


「間違ってますけど大体あってますね、私のモデルはまた違うタイトルなんですけども」


 SICK地下基地から地上へ上がる長いエレベーターの中、おかきとウカの会話は自然と弾んだ。

 思えばおかきにとってウカは、SICKに拉致されてから初めて肩の力を抜いて話せる相手だったかもしれない。


「しかしその髪……染めたわけじゃないですよね?」


「ん? ああ、神力開放すると耳と一緒にああなるねん。 いっつも狐耳生やしてたらおちおち外も歩けんから助かるわー」


 先ほどまで綺麗な黄金色に輝いていたウカの髪は、今はくすんだ栗色となり、頭部のキツネ耳も消失している。

 街を出歩くためにも目立たぬ工夫があるのはいいことだが、せっかくの獣耳が消えたことはおかきにとって少し残念だった。


「でもその色も似合ってますね、素敵です」


「おっ、なんやこそばゆいこと言ってくれるやん よっしゃ、昼飯は先輩が奢ったるわ!」


「いや、そんなつもりで言ったわけじゃ……」


「かまへんかまへん、先輩らしいことさせてぇや。 ほら、ちょうど着いたで」


 到着を知らせるベルが鳴り、おかきは遠慮する暇もなくウカに引っ張り出される。

 エレベーターの外は、どこにでもあるようなタイル張りの公衆トイレの個室だった。


「なぜ女子トイレ……?」


「その顔見るに早速嫌な思い出があるようやな、秘密組織らしく変な出入り口が多いねん」


「だとしても2人で個室から出てくるのは逆に目立ちません? 私が先に出ます、人気がなければ合図を出すのでウカさんも出てきてください」


「了解、ほな頼むわー」


 先行してトイレから出たおかきは、まず周囲を見渡して他に利用者がいないことを確認する。

 今なら2人揃って退出しても怪しまれることはないだろう


「ウカさん、今なら大丈夫ですよ」


「ほいほい。 ってかさん付けやめえや、呼び捨てでええって」


「癖みたいなものなので……うん?」


「なんや、どないした?」


「いえ……なんだか誰かに見られたような気がして」


 公衆トイレから脱出し、久々に陽の光を浴びたおかきが眩しさで目を細める。

 平日の雑踏は誰も彼もが忙しなく行き交い、2人に気をかけるような人間はいない。

 それでもあの一瞬、おかきはどこからか突き刺さるような視線を感じた気がした。


「美人が2人もおるからなぁ、そりゃジロジロ見られてもおかしくはないで」


「さすがにそれは自意識過剰では……?」


「言うて顔のええ女がそない古いキャラもの着とったら目立つやろ、まずは服買うで服」


「じゃあ最寄りのし◯むらへ……」


「オラっ、ええから来い! 先輩の奢りでお高いアパレル連れてったるわ!」


「うああああああしま◯らで結構ですからああああぁぁぁ……」


 強引なウカの手に引かれ、おかきはズルズルと高級アパレルブランドへ連行されていく。


 ……そんな微笑ましい2人の姿を、視線の主は遥か高みから見下ろしていた。


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【宮古野 究/如月 博士】 142cm/33kg/最近の趣味:〇ンパンマングミ開封RTA

カフカ症例第4号兼後輩のカフカをサポートするSICK副局長。

モチーフとなったのは20年以上前にブームとなったライトノベル「カソウケン!」メインヒロインである宮古野 究。

“下敷きひとつから核爆弾を作れる”と豪語する大天災児である。

原作では天災的な頭脳を変な方向に発揮し、素晴らしきフィクション世界の産物を再現するために「仮想科学研究同好会」を設立し、事のきっかけとなった主人公を半ば無理やり入部させる。

主人公のほかにも宮古野をスカウトしたいフリーメイソンのエージェント、宇宙人の存在を立証したい変人、タイムマシンの理論を証明した自称ライバルなど愉快な面々が集まり、ドタバタを繰り広げる学園ラブコメディものだった。

最終巻ではつまらない世界に絶望した宮古野が下敷き爆弾で世界をリセットしようとするが……


元々SICK職員だった如月は、「症例3号」とほぼ同時期にカフカを発症。

1・2・3号症例はみな死亡またはしてしまったため、実質的に彼女がSICKの最古参となった。

カフカとしての能力はもちろんその頭脳。 たった一人の力でSICKの科学技術を大きく発展させ、カフカの研究にも多大なる貢献をもたらした。

カフカ2号の餓死に関しても、宮古野が体を張った実験の結果、原因の究明に成功。

おかきを引き入れた地下基地や検査器機、その他システムなども含めて宮古野が関わっていない技術を探す方が難しい。

しかし職員の中からは、まだ謎の多いカフカの力をSICKの根幹に据えるのは無防備じゃないかと懸念する声も上がっている。


カフカとしての人格は宮古野のものが大きく表れている。

たまにヒートアップして倫理的に問題のある研究やSICKの理念から逸脱した行動をとる際に、如月が手綱を取って制御する形でバランスをとっている。


この世界に「宮古野 究」を止めてくれる主人公は居ない。 

そのため、如月は万が一最悪の事態となった場合、速やかに自分の命を絶つ“肉体の制御権”だけは譲らず守り続けている。

麻里元もまた、いざというときは自分の手で副局長を殺す覚悟だけは忘れない。 SICKのトップは薄氷のバランスで保たれているのだ。

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