前編:実際に乗ってみた


「すっげー! バストイレ別ってマジなんだ!」

「おい、声でかいって」

「いいだろ、個室だし。そもそもエンジンの音すら聞こえないじゃん、防音とかきちんとしてんだよたぶん」


 シートベルト着用サインがようやく消えると、俺たちは座席から飛び出して客室を探索し始めた。

 俺の名前はタケル。長かった大学生活を終え、親友のリョウと一緒に卒業旅行を計画した。その結果、乗り込むことになったのがこの『LLL航空777便』ってわけ。


 LLLはちょうど5年前に出来た新興企業だけど、今や圧倒的な価格と評判で業界を席巻している。その秘訣は、やはり世界一周3000円という異常な安さと、それに見合わない充実した機内設備の存在だろう。

 数百人が滞在できる豪華客室。カジノにプールに植物園と地上でも一度には楽しめない娯楽の大集合。全天モニターで空からの景色も堪能……こんなのは序の口だ。空飛ぶ楽園というキャッチコピーは伊達ではない。


「結論が出たな。この会社はサイコーだ」

「俺はやっぱ胡散臭くて落ち着かないけどな。こんな飛行機が1人3000円で飛んでるとか、ありえないって」

「おいおい、せっかく抽選当たったんだから楽しまないと損だって!お前ほんとそういうとこだぞ?」


 いつだってテンションが高いリョウと、物事を冷たく見がちな俺。反対な性格の俺たちだけど、お互いを煽りながらもなんだかんだつるみ続けている。

 こういうときは結局、リョウに押し切られて俺も盛り上がってしまうのが常だ。今回も先に客室を出て遊びに繰り出そうとしたのはこいつのほうだった。


 だけど……数分もせず、俺たちは異変に気がついた。


「え、あれ、え? 全然開かないんだけど」

「は? 引き戸じゃないか? それ」

「押しても引いても開かないって!」


 額を冷や汗が伝う。閉じ込められた?


「貸せっ!」


 本当に開かない……。内鍵を疑って回してみるが、それでもびくともしない。まるで外から誰かが鍵をかけているみたいに。

 やっぱりこの飛行機には何かあるのか!?

 

「やべぇ……こうなったら突き破るしかねーよ、タっちゃん」


 突き破るって?

 この分厚い扉を?

 廃墟とか小屋に来てるんじゃないんだぞ。


 思わず反論しかけたが、この状況は八方ふさがりに思えた。空にいる以上、窓を開けての脱出は不可能。普通のホテルならあるはずの内線も見当たらない。もし会社側が何かを企んでいるなら、じっと待っているわけにもいかない。

 覚悟を決めた表情のリュウにうなずき、2人合わせて体当たりをかまそうと身構えた。


「うおっ!」


 その直後、窓からまぶしい陽光がきらめいた。

 薄暗かった客室は一瞬、目もくらむような明るさに包まれる。翼に反射でもしているのだろうか? 俺は思わずギュッと目を瞑り、うろたえてしまう。


「何だよ……あれ? ……ははっ! おい、これ」


 一方のリュウはというと、突然笑い声を上げ始めた。


「どうしたんだよ……こんな時に」

「カードキーをリモコンに差した状態では、客室を出られません……ほら、注意書きあるじゃん」


 言われてみれば、入り口付近に付いていた照明リモコンの真下にそんなメモがついている。カードキーがそのままスイッチになっていると説明されてから、キーを差しっぱなしにしていたのだった。今の今まで、全く気が付かなかった……。


「あれか。キー置きっぱなしで部屋出たら、オートロックで閉じ込められちゃうから……」


 カードキーを抜いてやると、確かにドアからガチャリと鍵の開く音がした。


「なんだよ……俺たち焦りまくってバカみたいじゃん。最初から説明しとけよな。文句言ってやろうかな」

「いや、タッちゃんそれは恥ずかしいって。俺たちが悪いよこれ」


 ぶつくさと呟いた文句もバッサリ否定されてしまう。普段ならツッコミは俺の役目なのに! 恥ずかしさを隠そうと、俺は無理やりテンションを上げていく。


「い、いいだろもう! ほら、せっかく開いたんだからもう行こうぜ」

「ま~いいか。カジノだなカジノ!」

「そう! カジノカジノ! ……じゃ、今度こそいくぞ! 1! 2! 3!!」


 グイッと開け放った扉の向こう側に、まず赤色が見えた。

 次いで鼻を突くような異臭。

 足元へどす黒く濁った液体が流れてくる感触。


 通路にはぐちゃぐちゃになった肉と血の塊が転がっていた。

 6本の腕を持つ巨体がその脇に立っている。

 これは、人間、なのか?

 分からない。

 ただ、そいつが斧を振り下ろすたび、塊がミンチに変わっていくのはわかった。

 

 客室の扉が開かないなんて、可愛いものだった。どうして機内にこんな奴が。よりによって俺たちの玄関先で。いま目の前で起きていることの方が圧倒的に現実味がなくて、理解できなかった。挽き潰されるそれが元は何だったのか、脳みそが考えることを拒否していた。


 どれだけそこでじっとしていたのだろう。実際には数秒だけだったとしても、強いショックに引き延ばされた時間は何分にも何時間にも感じられた。


 足元へコツンとぶつかるものがあった。白い塊に大きな黒点。それが何なのかを理解したとき、ようやく現実へ引き戻された。その時にはもう、謎めいた化け物はこちらへ突進を始めていた。


 どうしたらいいかなんて、わかるわけない。

 俺たちには、ただ幼稚に叫び出すことしかできなかった。

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