第28話 梨華未を……リカちゃんを救って欲しいの

「……ここはどこだ?」


 僕はくるぶしまでの短い草が生い茂った草原で寝ていた。

 その体をむくりと起こすと、すぐ傍にはヒミコがいてサキタラシに重箱のおかずをあーんして食べさせようとしている。


 一見ほのぼのとしたラブラブな食事の光景だが、すぐに違和感は訪れる。

 風も音もない空間で、サキタラシとヒミコがその状態で停止しており、固まったままで動かないのだ。


 この場から動けるのは意識がある僕のみらしく、いたずら任せにヒミコの顔に手をかざして見ても彼女は無反応である。


「もしかして時間が止まってるのか?」


 二人のいちゃつきぶりもいい加減焦れったいので、ヒミコが箸で掴んでいた山菜の炒め物を大きく口を開けたサキタラシではなく、僕の口にひょいと入れる。

 味も止まっているのせいなのか、不思議と何の味もしなかったが、山菜らしい歯応えのある食感を味わいながら、なおも口を開けたままなサキタラシの頭に憂さ晴らしな空手チョップを当てていた。


「お前はいいよな。こんな美人な女性とお弁当を食べてるんだぜ。自分ながら腹が立ってくるよな」

「僕なんか現実世界じゃ、女性に縁がなくて、幼馴染みくらいしかなついてこないんだぜ」

「まあ、顔はそこそこだが、男勝りなのが何ともなあ」


「──でも好きなのよね」

「ああ、昔から深裕紀みゆきのことだけをな……って、うんっ?」


 僕の目の前に白い布を身に纏った女性が湯けむりのように姿を現した。

 女性は頭に草のブーケを被り、背中には両対の白い羽が付いている。


「き、君は?」

「てっちゃん、私のことを忘れるなんて相当のマヌケね」

「てっちゃん言うな。そのあだ名で呼ばれると調子が狂うんだ。しずく」

「何だ、やっぱり覚えてたんだ。少年の記憶を留めるのには苦労したけどね」

「僕の記憶を?」


 しずくがケラケラと笑いながら、背中の白い羽をさする。 

 彼女はこの羽の力で僕の不安定な記憶を保護したと。


「まあ、こんな私も今じゃ天使人なんだけど、少年を毎度助けるのにどれくらいの力を浪費したか……」

「えっ、毎度ながら死んだと思ってた僕を助けてくれたのは?」

「そうよ。私の力で時間を止めて、その世界から肉体ごと切り離していたのよ。よく映画であるタイムリープというのに近いかしら」

「死んではいないから異世界転生とも言いがたいし……」


 じゃあ、あの時、夢の中でもう一人の僕が喋ってた幽体離脱などの説は冗談なのか、東峰岸あずまみね店長の思わせぶりな『少年……』と喋った口調も……と問いかけるとしずくはさらに大袈裟に笑ってみせる。

 少年は夢見がちだけど、夢と現実の区別も、女の子の思わせぶりな嘘にも気づかないのかと。


「本当、毎度ながら笑える少年だわ。今回も退屈せずに済みそうね」

「……うっ」


 しずくがその場によろめきながら草の地面に座り込もうとし、僕は慌てて彼女を肩で支える。


「おい、大丈夫か?」

「あははっ。ちょっと力を使いすぎちゃったみたいだわ」

「どうしてそこまでして僕を助ける?」


 僕は肩を貸したしずくに思わず疑問をぶつけていた。

 すぐさま僕から体を離し、シュールな顔つきになったしずくが想いを打ち明けてくる。


「……梨華未りかみを……リカちゃんを救って欲しいの」

「そうか、やっぱり君は此処伊良ここいらの妹さんを……」


 背中にある両対の羽が示すように、しずくは梨華未のことが好きで、梨華未もしすくのことが好きだったのだ。

 この世の中、異性ではなく同性を好きになって結ばれるというケースも珍しくない。


「だとすると梨華未がテルの恋人になった理由が分からないんだけど?」


 それを耳にしたしずくの顔色がみるみる変わっていく。

 大切な者を奪われたような嫉妬心を剥き出しにして。


「アイツは言葉巧みに梨華未を騙して、此処伊良家の財産目当てで近づいてきた。彼女が好きだという虚言を吐いてね」

「えっ、テルはああ見えて好きな子には一途なんだよ。何かの間違いじゃあ?」

「じゃあ何で自殺に追い込まれるのよ!」


 そうだった。

 車の運転席での此処伊良家の執事も言ってたじゃないか。

 行方不明扱いと見せかけ、彼女は若くしてその命を散らしてしまうんだった。


 姉の紫四花しよかはどこかで生きてると信じ、その辛い現実を受け入れなかったけど……。


「あんな前向きで明るい子がそんなことをしたのもアイツと付き合い始めてからよ!」


 しずくが大声を発し、感情の起伏に疲れたのか、再び地表にへたりと座り込んだ。 


「もう稼働時間も限界のようね。そろそろ元の姿に戻るしかないわ」

「えっ、戻る?」


 しずくが体育座りで体を丸めると背中の羽で体を包み込み、鈍い光を漏らしながら一個のボーリングの玉のように変化をしていく。

 玉はみるみるうちに縮んでいき、卵のサイズになった所で成長が止まる。


 しばらくし、内側からの動きで卵にヒビが入っていき、中から鳥のクチバシが顔を出す。

 そんな表に割って出てきたのは眩しいほどに純白な一羽の鳩だった。


「その様子だと驚きを隠せないようね」

「鳩が人間の言葉を喋った時点でね」


 人間とは仮の姿で本来は人間の体を維持するために鳩になって体力を温存すると言うしずく。


 平和の象徴でもあるこの白い羽は梨華未と愛を紡いでいたつがいの羽でもあったが、近年この羽をテルが盗みだし、DNAを糧にして新たな天使人を作ることに成功した。

 その実験体の一人が家畜のようにナンバーが付いた僕だということに……。


「私も少年を助けるのに力が無くなり、現実世界でも人にもなれず、今では両世界でこんな鳩で過ごしていく状態。このまま力を使い続けると私は梨華未と共に砂のように消える運命よ」

「しずく……それで君は」


 紫四花の命を奪わなく、僕を挑発したのも、僕を殺したと見せかけて生かしたのも、僕の心を試すためだったんだな……。


 僕が実験体だと知っても下手に動揺などはなかったのも予測してたのか……。

 こんな淡白な僕に人を優しく思いやり、真意から人を助ける行動が出来るのかと……。


「いいかしら? エンマの手から例の鏡とペンダントだけは奪われないで。何としてでも死守するのよ。場合によってはその場で二つのアイテムを破壊しても構わないわ」

「でも、壊すといっても思った以上に頑丈なんだよ。素手や落ちてる石とかで壊すとか無茶だって」


 しずく鳩が羽を大きく羽ばたかせ、二つの羽を僕の足元に落とす。


「これを」

「何だ? 僕に赤い羽根募金でもしろと?」

「違うわよ。この羽には私の力が注入されてるの」

「ウスターソースでも注入?」

「別に食べる必要はないわよ。肌身に持って、いざという時は対象物にこの羽の先っぽを刺せばいい」

「ぶっ刺すねえ」

「三秒後に爆発して対象物を粉々にする強力なアイテムでもあるわ。これで二つのアイテムを破壊して」


 しずくが力の維持のため、ギリギリの二枚しか作れないことを悔やんでいたが、僕は感謝しつつも二枚の羽を学生服の胸ポケットにしまった。


 僕が制服の姿なのは、現実世界では学校の授業でも受けている最中なのかと思いもしたが、今はこの世界でしずくの特別レッスンをしてるんだ。

 難しい考えに思考を凝らすのは止そう。


「その渋い顔つき良いわね。どうやら心の準備が出来たようね」

「ああ。渋柿も熟せば甘くなるからな」

「じゃあ、例の異世界へ少年の意識を移動させるわよ。恐らく今回で私は限界まで力を放出してただの鳩になる可能性もあるわ」

「鳩サブレな可能性大か」

「サブレはともかく、移動したら真っ先にアイテムを破壊するのよ。それだけでも狂った現実世界を救えるわ」

「ふーむ。現実世界と異世界がリンクしてるからヤバいという理屈か。それには概ね了解だ」

「じゃあ頼んだわよ、救世主トテツヤマサキタラシ!」


 しずくが僕の肩をポンと軽く触ると、体が段々と玉の粒になっていく。


「……もし梨華未に会えたら、その時はよろしくね」

「ああ! 必ず救ってみせるよ!」


 やがて僕の体が光のビーズとなり、空気中を漂い、目の前でおかずを食べようとするサキタラシの口の中へと徐々に吸い込まれていく。

 この異世界でしずくに託された任務が無事に達成出来ることをひたむきに信じて──。

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