第16話 ええ、もう名前も決めておりますの

◇◆◇◆


梨華未りかみ、ちょっと待ってよ!」

「もうお姉ちゃんってば足遅すぎw」

「あのねえ、わたくしはあなたの荷物で両手が塞がってるのよ?」

「そんなの根性と度胸で何とかなるじゃん」

「根性はともかく度胸はどういう意味かしら?」


 梨華未と呼ばれた女の子が不意に足を止めて、後ろを振り向いてくる。

 その顔は容赦なく笑顔だった。


「あー、もう姉ちゃんはピーチクパーチクわがままだなあーw」

「どっちがですの!」

「あー、もう眉間にシワを寄せて怒らないでよ」

「じゃあ少しは荷物を持ってもらえますか?」


 ひょんな答えに問うかのように、梨華未が肩を軽く回して、気合いを入れる。


「そんなこと言われても梨華未は四十肩だからねえ」

「先ほど大きく腕を回していましたよね?」

「まあ、準備体操は別物だから」


 充分に念入りに体をほぐす梨華未。

 急に運動すると筋肉を痛めやすく、効率良く筋肉も付かないので、こういう血流を良くするストレッチは大切だ。


「梨華未……それはともかくこれからも仲良く遊びましょうね」

「うんっ? 紫四花しよかお姉ちゃん、どこか頭でもぶつけた?」

「本気で張り飛ばすわよー!」


 姉妹らしき二人の仲の良い会話? が夜の商店街に響き渡る。

 頭上に浮かぶ青白い満月だけが二人の気持ちを知るかのように──。


****


「……ここは?」


 意識を覚醒した先に見慣れない天井が目に入る。

 哲磨てつまは畳に敷かれた布団の中で横になっていた。


 確かバイト中に倒れて……駄目だ、そこからの意識がほとんどない。

 おぼろげながらも覚えているのは夢の内容だけだが、それにしても生々しかった。


「そうだ、梨華未は!」


 そこからの真っ先に思い浮かんだのは彼女のことだった。

 眼鏡をかけ直した哲磨の叫びに気づいたのか、白いクロスの壁際でうたた寝をしていた栗色のツインテールの女の子がまぶたをゆっくりと開ける。


 彼女はさっきまで夢で拝見した姉妹の一人、此処伊羅紫四花ここいらしよかそのものだった。


「あら、目が覚めましたか。安良川あらかわ君」

「此処伊羅さん? どうしてこんな場所に?」

「あなたを介抱していたのですよ。西條架さいじょうか君は今、朝食の買い出しに行ってますし」


 ……ということはあれから朝まで寝入ってしまったのか。

 勉強にバイトと根を詰め込み過ぎた当然の報いだよな……。


「でもこの部屋は?」

「そう、テルの家よ」

「えっ、もしかして深裕紀みゆきもいるのか?」


 別の場所から深裕紀の声もして内心で戸惑う哲磨。

 シワのよった学生服姿に乱れた髪型といい、大急ぎで駆けつけたのだろう。


「ビックリしたのはこっちだよ。最近引っ越したテルの家がすぐ近くにあったから良かったものを」


 テルのヤツ、見慣れない部屋だと思っていたら、いつの間にかこんな都会に引っ越してたのか。

 僕には何も伝えないままで……。


「さあ、それよりも仏壇のお供えものとかを片付けないとね」

「いつもありがとうございます。橋ノ本(はしのもと)さん」

「いいのよ。テルって片付け方が雑でしょ。深裕紀がやらないと本当駄目なんだから」


 深裕紀が静かに座布団から体を起こして、僕に向かって手招きする。


「さあ、哲磨も一緒に来て」

「えっと、何で僕が?」

「あなたにも知って欲しいのです。妹の梨華未のことを」


 どうやら此処伊羅さんの説明によると、今まで秘密にしてた自身の妹の存在を仲間たちに打ち明けたらしい。

 僕も梨華未の名前だけは記憶の片隅に残っていたので、それほど飲み込みに時間はかからなかった……。


****


 ひのきで出来た仏壇にある線香に火をつけて、深裕紀が辺りにあるものをてきぱきと片付ける。

 お菓子のビスケットにやぶれ饅頭、リンゴと色々と並んでるお供えもの。

 その中でとびっきり大きな白い容器が目に入る。


「これは僕のバイト先の弁当箱じゃあ?」

「そう、梨華未が好きだった唐揚げ弁当ですよ」


 弁当箱に触れてまだほんのりと温かいことにも気づく。


 蓋に貼られた賞味期限も新しい。

 頭の中でさっき働いてた店で買っていた弁当と考えが一致する。


 そうか、それで『弁当なら後から食える』と言っていたのか。


 ゾンビが飯を注文してた雰囲気をどうにか払拭し、哲磨は大きなため息を吐き出した。

 毎度ながら紛らわしいヤツだな。


 ──紫四花が遺影の写真立てについたホコリをモップで丁寧にはたき、仏壇の棚に戻す。

 写真に映る梨華未は天使のように優しい笑みを浮かべていて、とてもじゃないが、自害なんかするようなイメージはない。


「でもさ、普通なら此処伊羅の家の仏壇に飾るもんだろ。何でテルの家にあるんだ?」

「……あの家には梨華未の居場所なんてありませんよ」

「何言ってんだよ。どんな理由か知らないけど子供は親と喧嘩を交えながらも、仲良く暮らしてなんぼだろ?」

「では、その親とは血縁関係はなく、養子だったとしてもですか?」


「えっ……どういう意味だ?」

「梨華未は実は捨て子だったのです。それはある日の朝のことでした──」


◇◆◇◆


 ──今から14年前。

 此処伊羅家の正門前、寒い空の下で大切な物を守るように、白い犬のキャラクターの黄色いブランケットが被されていた一つの揺りかご。

 その揺りかごの中には何も知らない無垢な赤ちゃんが寝息を立てていて、第一発見者な冷静な執事もどこかしら慌てていた。


 赤ん坊には名前すらも付けられておらず、産んでまもなく、この屋敷に置いていったのだろう。

 望まれて産まれた子ではないのか、経済的な理由で育てられないのか。

 それとも育児放棄や暴力沙汰になる前にここに置いていったのか……と真剣に思い悩む執事たちの間で様々な考えが模索した。


「──じゃあ、ウチで育てましょう」

「お母様、正気ですか!?」

「ええ、もう名前も決めておりますの」

「イタリア語が語源で『刺繍』を意味するリカミから梨華未とね」


 まだ目も開けきれない赤ん坊の梨華未がバラを刺繍したハンカチを握りしめたまま離さない。


「ほらごらんなさい。やっぱりこの子には刺繍のような繊細な雰囲気が漂っているわ」

「この子は跡継ぎが少ない此処伊羅家にとって貴重な育て子になるわ。大切にしていきましょう」


 ──こうして梨華未は此処伊羅家で養子となり、大切に育てられた。

 しかし、その平穏な日々は長くは続かなかった。


 ──此処伊羅家の母親が原因不明の交通事故で命を亡くし、唯一の育て親を喪った梨華未は途方にくれた。

 それから梨華未は遺された親族から酷く反論され、ほどなく都心への一人暮らしをするようになったのだ──。


****


「しかし、それと自殺と何の関係があるんだ? 話を訊いた限りではそんな子には思えないんだけど?」

「まあ、確かに親と血が繋がってないくらいでねえ」


 そこは深裕紀も異論はないように首を縦に軽く振る。


 それにその話にはテルの名前は一度も出てこなかった。


「まさかテルの関係とは?」

「ええ、西條架君と梨華未は恋人通しでした」

「ななっ!?」

「本当に鈍いわね。クラスの中で気づいてなかったのは哲磨くらいなもんよ」


 テル、お前は一体何人の女の子を好きになれば気が済むんだよ。

 恋愛には一直線で一途な僕には謎の選択肢しか浮かんで来なかった……。

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