6.泣いてた女の子

「すみません遅れました」


 蓮は慌てた様子で保健室のドアを開く。

 お昼の時は鍵を閉められていたが、よかった。空いている。

 中に入ると、椅子にはなぜか白衣を着た瞳狐先生の姿があった。


「にゃあ~別にいいにゃよ~。こっちも今来たところにゃあ~。にゃふふ。一度言ってみたかったんだにゃあ。にゃふふ」


 蓮は授業が終わった後お昼休みにやってきた桜間 癒那という少女を探していたのだが一向に見つかることはなかった。

 クラスは分かったのだが……どうやらあの後から教室には戻ってきていないようだ。


 癒那という少女を探すのに夢中で予定した時間を大幅に過ぎてしまっていた。もしかしたら起こっているかもと思ったのだが、よかった。どうやら怒っている様子はない。逆になぜかご満悦なようだ。


「そ、それはよかったです。あのところでラナは……」


「にゃふ。先にその子とは……乙女心を弄んでくれるにゃあ……」


「え?」


「なんでもにゃいにゃあ~。あの子ならそこのベットで本を読んでるにゃあよ~。常識の勉強ってやつにゃね~」


 瞳狐先生が指をさした方には確かにたくさんの本が山のように積まれていた。

 その奥にはかすかにだが、本に熱中するラナの姿が確認できる。

 しかし、この本の山たち……


「これ、マンガじゃないですか?」


「本当は童話とかを見せたかったにゃんけど、どうしても嫌がったからしかたなくマンガにしてみたにゃあ~」


「は、はぁ」


 常識の勉強を漫画でするのはまずいのでは……と思ったが、魔力などの存在があるのがラナたちにとっての常識ならば案外間違っていない、のか?

 うーん、と頭を捻るがどうにも答えは出なさそうだ。

 ラナもこちらに気が付かないほど漫画をいたく気に入っているようなので、とりあえず良しとする。


「それで、ラナについて何か分かりました?」


 とりあえずそれは置いておいて、お昼に瞳狐先生が調べておいてくれると言っていた事柄について聞いてみる。お昼の時は少し手掛かりを掴みかけていたが、それ以上は調べなければと言っていた。


「もちろんにゃあ~。全部じゃにゃいけど調べられたにゃ」


 そう言われ暗い影が一瞬蓮の表情を曇らせる。

 もし、先生の推測があっていればラナは郊外の研究所を爆発してしまっていることになる。それが故意か事故かは分からないが。結果たくさんの人が……。

 そこまで考え頭を振るう。思考が沼にはまりそうになり慌ててかぶりを振った。


 そんな蓮の様子に瞳狐先生は真剣味を帯びた顔で向き直る。


「蓮。やめてもいいよ」


「……」


 瞳狐先生は、今まで見たことないくらいに真剣に、そして真っすぐと蓮の瞳を見てそう言ってくれる。気を使ってくれているのはすぐに分かった。

 そしてこのあと何と言われるのかも。


「別にこの子は今朝会ったばっかりの子だし。なにも蓮が面倒を見て、一緒に背負い込んであげることないんじゃない? ここまで連れてきてあげただけでも十分だと思う。あとは大人に任せればいいんだよ」


 完全に蓮の迷いを見透かした言葉。今朝も玲那やラナの前では気丈にふるまったが、瞳狐先生に相談するという手段に頼っている時点で大人に頼った方がいいと、心の奥底では分かっているのだ。その方がただの一般人でただの学生である蓮よりよっぽどいい。

 でも、


「だから聞かない方が─────」


 優しくそう提案してくれる瞳狐先生の言葉を遮り、蓮は深く吸って、そして吐いた。


「先生」


 そんな優しく気遣ってくれる先生の目を、同じように真っすぐと見つめ返し名前を呼ぶ。


「……」


 力強く名前を呼ばれ、瞳狐先生は蓮の瞳を注視する。いや、そんなことしなくてもすぐに気づいただろう。今まで揺らいでいた蓮の瞳に迷いが消えていることに。

 ゆっくりと口を開く蓮。


「先生。気遣ってくれてありがとうございます……でも聞きますよ。朝から、正直悩んでばっかでした。でも決めたんです。ラナはうちで預かるって」


「でも蓮が頑張らばらなくてもいいんだよ? 大人はいくらでもいるし、私だって──────」


「ラナ、サンドイッチを食べて泣いてたんですよ」


「?」


 蓮のためなのか、少し熱っぽく食い下がろうとする瞳狐先生の言葉を遮る。

 そんな唐突に話し出したエピソードに首を傾げる瞳狐先生。何のことかと声を出そうとするが、その言葉は一瞬チラリと見せた蓮の悲しそうな表情によって飲み込まされる。


「サンドイッチひとつで涙を流す女の子を放ってなんかいられませんよ。別に同じような子を全員救いたいとかそういう偽善を夢見てるわけじゃないです。……でも、目の前で泣く女の子ひとりを救えるくらいの偽善者にはなりたいです」


「──────!」


 蓮の照れくさそうな、そして決意したかのような表情に瞳狐先生は目を見開く。

 そして、なぜか真っすぐな蓮の瞳に見つめられる瞳狐先生は下を向いて俯いてしまう。


「え、先生?」


 急に俯く瞳狐先生に、蓮は心配になり近づく。すると、瞳狐先生の俯く地面に何か透明な雫が落ちたように見えた。その雫に一瞬思考が止まる。


「え、は、え? ま、まさか……感動で泣いてる!?」



 そうとしか見えない雫に、蓮は大きな声が出そうになるが、それを上回る驚きで逆に小さい声しか出ない。なぜか涙を流す瞳狐先生にあたふたしていると、


「すぴー、すぴー。ぐーすか、ぐーすかZzzzz」


「って! まさか寝てんのか!」


「むにゃ……むにゃ~? なんだか蓮のこっぱずかしい言葉を聞いてたら眠気が……」


「最低だなあんた!」


 本気で寝てったっぽい様子の瞳狐先生に次こそは大きな声を出す。

 下に垂れていた雫の正体であるだろうよだれをふきながら、ごめんごめんと笑う姿に溜息しか出ない。本当にこの先生に相談して正解だったのか、本気で悩ましくなってきた……。


「まあ、でも蓮のやる気は聞けたにゃあ~。つまり蓮はあれだにゃあ~」


「あれ?」


 なにかをためるような仕草で、勿体ぶる瞳狐先生に首を傾げる。


「すけこまし、だにゃあ~!!」


「今まで聞いてきた結論がそれってなんなんだ!?」


 ……やっぱり間違っていたかもしれない。


 はぁ、とため息を吐く。なんとなく逸らした視線の先には少し離れたところで漫画を読むラナの姿が映る。そんな蓮の視線に気づいたのか、瞳狐先生もそちらへ視線を向けた。

 そしてもう一度瞳狐先生は口を開いた。


「……きっとこの子の面倒を見るのは本当に大変だよ。それでも本当にいいんだね」


「はい」


 もう一度念を押す瞳狐先生に迷いなく返事を返す。その真っすぐで一切揺れのない瞳で瞳狐先生の瞳貫く。少し長い間、静寂が空間を支配する。その間二人の視線は一度も外れない。

 ペラリとページをめくる音が聞こえてくる。


 すると、


「ぷにゃ~。シリアスな雰囲気にして損したにゃね~」


 真剣味を帯びた蓮の相貌とは逆に瞳狐先生は真剣だった顔を柔らかいものへと戻す。

 そのふざけた物言いで、蓮の無意識に強張っていた体の緊張も解ける。


「そのおかげで、決意が固まったのでそんなこと言わんでください」


「まあにゃあ~。確かに損はしてないかもにゃあ~」


「え?」


「あんな真剣な顔で見つめてもらっちゃったからにゃあ~」


 にゃふふと変な笑い声を上げながら、そんなことを言ってくる。

 この人は本当に……。先ほどの心から心配してくれていた表情に実は涙が出そうになっていたのだが……。今ではそんな感情一ミリも思いだせない。


「はぁ。はいはい。……それで?ラナについて分かったことってなんだ?」


「にゃっ! タメ口!? 先生としての尊厳が……で、でもこれはこれでいいかもしれない」


「ちよっとなに言ってんですか! いいから早く教えてくださいよ!」


 蓮から始めたことだが、瞳狐先生までもがふざけだしてしまえばもう敵わないので、早々におふざけを切り上げ本題を聞く。


「ごめんごめんにゃあ~。……それじゃあ」


 瞳狐は蓮に向けていた体を百八十度回転させると、目の前にある開かれっぱなしのノートパソコンをカタカタと操作する。


「これ見るにゃあ。これは数日前にあった研究所爆発事件のときの衛星カメラの録画映像にゃあ~。抹消記録を漁るのに苦労したにゃあ~。どうやったかは企業秘密にゃけど」


 そういいながら目の前に出されたのは、確かにテレビで見たことのある研究所の姿だった。違いがあるとすればそれは、瞳狐先生の言う通り静止画ではなく録画なのだろうこと。


「まぁ、もう分かってるにゃと思うにゃけど……やっぱり研究所を爆発した魔力はその子のにゃあね」


「……」


 説明しながらスタートされた映像には、突如爆発する研究所の姿があった。

 見た限り何の兆候もなく突然爆発したように見えたこの映像。そのことに驚き瞳狐先生の方へ視線を向ける。


「蓮には見えないだろうけどにゃあ、爆発する直前魔力がウェーブになって研究所から放出されてるにゃ」


 蓮が何を言いたいのかすぐに察して補足を入れてくれた。

 巻き戻し、コマ送りでその場面を見させてもらうが、確かに蓮にはその魔力ウェーブなるものは見えない。


「……ラナが数日前の研究所爆発の犯人で間違いなくなったってわけですか」


 未だに漫画に夢中になっているラナに視線を向けながら、どうしても暗くなってしまう声でそうつぶやく。


「それなんだけどにゃあ~」


「?」


 蓮が呟いた言葉に、瞳狐先生は何やら意味深な言葉を吐く。

 パソコンを再度カタカタと操作する瞳狐先生の姿に首を傾げた。


「研究所が爆発した魔力的原因はその子で間違いにゃいと思うにゃあ~。でももしかしたらにゃけどその子は利用されただけかもしれないにゃあ~」


「は!? それはどういう……!」


「これ見るにゃ」


 瞳狐先生から発せられたまさかの言葉に声を荒げそうになるが、瞳狐先生が見せてきた画面を見て出そうになった言葉を飲み込む羽目になった。


「こいつは……!」


 それは爆発した研究所の映る映像の一部分を限界まで拡大した画像だった。お世辞にもよく見えるとは言えない荒い写真。しかし、それでも一瞬でそこに映る奴が誰だかわかった。


「爆発が起こった当日の日。近隣の住人は空飛ぶエイリアンを見たって事情を聴きに来た警察官に話したそうだにゃあ~。それでまさかにゃあ~と思って調べてみたんだにゃ。そしたら……間違いなくコイツがそのエイリアンの正体だにゃ」


「ただの変態野郎、だとはさすがに思ってなかったですけど……つまり、コイツが当日何があったのか、そのカギを握っているかもしれないってことですね……」


 蓮は食い入るように画面に映っているそいつを見る。荒い画像でも分かるほど全身真っ白に染めた人物。

 人物と言っていいのかすらわからない。いや十中八九、普通の人間ではないだろう。

 映っていたのは今朝、蓮たちを襲ってきた張本人。

 その荒い写真でもわかる白すぎるほど白い奴を睨みつけてそう言葉を吐いた。

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