ワケアリ魔王の現代生活

八雲 司

プロローグ『始まりの違う夢』


 ─────ぬな……。



 絞り出すように、枯れ果てている喉から声を出す。

 しかし、出た声は蚊の鳴く声より小さく、もはや何と言っているのか自分でもわからない。



 手足に力が入らない。

 手を伸ばそうとするが、脱力感に支配されるまま、ただうなだれることしかできない。



 ただひとつ。そんな中でも止まらないものがあった。

 それのせいで視界がはっきりしない。見なければいけないのに、見ることができない。



 ─────ぽつりと涙がこぼれる。

 頬を伝っていた涙が、地面に大量のまだら模様を作ってゆく。



『無力、絶望』



 この二つの感情が、瞳からあふれ出て止まることを知らない。



 ─────な……。



 かすれる声でどうにか言葉を発してみる。

 しかしその声に応えてくれる様子はない。



 彼は決して、何かと戦って傷ついているわけではない。

 あたりは花が咲き誇るほど綺麗な場所で、戦闘の跡などみじんもない。



 彼は決して、孤独で悲しんでいるわけではない。

 今でも彼の周りには数人の人影が存在した。


 しかし、それでも彼は絶望し、今にでもこみ上げてくる気持ち悪いものを、人目もはばからずにぶちまけてしまいたいと考えているほどだ。



 それほどの絶望。

 いったい何が原因だというのか。



 それは、彼がそんな絶望に打ちひしがれている中でもなお、伸ばす手の先に答えがあった。



 そこにあったのは、静かに横たわる少女と─────



 あふれる出る涙が止まらない中でも視界に映り込んでくる輝き。

 それが、今では憎たらしくて、憎たらしくて、憎たらしくて、狂気に飲まれそうだ。



「なんで……」



 そう口にする彼の感情に呼応するように、空気が揺れる。



「なんでなんだ……」



 あふれ出る涙とは別に、嚙み締めた歯茎からも赤いしずくが地面に落ちる。

 この体の血も、涙も、すべて失った代わりに取り戻せるというのならいくらでも流すというのに。

 どんなに涙を流したところで、どんなに血を垂れ流したところで、ただその地を汚す以上の役には立たない。



 やっとの思いで、足に力を入れ立ち上がる。

 一歩、また一歩と進むごとに、それがより鮮明に、現実なのだと、胸を、脳を打ち付けてくる。



「─────様!! しっか……」



「しっかり─────。……!!」



 もやがかかったような声が耳に届く。しかし、何を言っているのか分からない。気にする必要もない。



 引きづるように歩いていると、ようやく着く。遠いようで一瞬の距離。

 横たわる少女の体に腕を回し、抱き寄せる。



「なんで……。なんで!!」



 さらに涙があふれそうになってくるのがわかる。

 しかし、無理だ。こんなものどうしたって抑えられない。



「死ぬんじゃねぇ─────!!」



 抱き寄せる少女の名を、あふれる涙もお構いなしに泣き叫ぶ。

 彼の感情に呼応し、空気だけじゃない。文字どおりが震え、悲鳴を上げる。



 地が割れ、天が裂け、森が鳴こうが抑えられない。



 分かっている。取り返しのつかないことも、仕方がないことも。



 ─────少女を殺したのは俺なのだから。

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