前のエピソード――食材1つ目　〜ツバメの巣〜　

「おいおい、マジかよ……」

　俺の名前は山形次郎、41歳。至って思い込みの激しい男だ。いや、男だ（・）っ（・）た（・）。

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「それにしても、ここはどこなんだーッ！はぁはぁはぁ……。ってか来た時、こんな景色あったっけかなぁ？」

　俺は彷徨っていた。俺の直感は、このまま真っ直ぐ行けと言っているが、どう考えても迷っていた。

　……いや、そうじゃない。俺は迷ってなんかない。

　人は迷ったと思うから迷子になってしまうのだと、どっかの誰かに聞いた気がする。だから、道に迷ってなんかないと思っていれば、迷子になんか一生ならない筈だ。

　不安な心が人を迷子にさせるんだ。不安な心を持たなければ何も問題は無い。だから、俺は迷子じゃない。考えるな感じるんだ、迷子じゃないと。

　ただ、時間は掛かっている気がするが、必（・）ず（・）あ（・）そ（・）こ（・）に（・）あ（・）る（・）筈（・）の（・）断崖絶壁に近付いている事に変わりはない。諦めなければ天は、決して見捨てたりなんかしないさ。

　空はもう薄暗くなって来ていた。心なしか腹も減った気がしている。これから夜になるこの状況で、ツバメの巣を無事に取れるかは分からないが、アンダマン諸島に居られる時間はあまり無い事から、一刻も早くツバメの巣を手に入れる必要があった。

「おーい、クレア？そんな所で何をやっているんだ？」

　すれ違ったおっさんが俺に何かを話し掛けて来た。だが、俺は「クレア」なんてのはシチューの素以外に知らないし、このおっさんはシチューの素を話している訳じゃないだろう。見ず知らずの人間に突然シチューの素の話しをしようモンなら、それはそれで新手のナンパかもしれないが、生憎そんなナンパに興味はない。

　それに俺は今、先を急いでいるし、そもそも……ってそうだ！道を聞けばいいじゃないか！俺ってば天才！やっぱり迷ってなんかないと思っていれば、天は助け舟をくれるモンって事の証明でしかないな。

「あのさ、おっさん。俺はこれからツバメの巣を取りに行くんだけど、ツバメの巣のある断崖絶壁って、こっちで合ってるよな？」

「おっさん?!おいおい、クレア……何を言ってるんだ？父親に向かって「おっさん」はないだろう？それにツバメの巣って何だ？」

　目の前のおっさんが、俺の父親？おいおい、何言ってんだ？正気か？それに第一、俺の親父はとっくに他界してる。冗談にしちゃタチが悪過ぎるってモンだろ。

「あ、じゃあいいです。俺、先を急いでるんで」

　どうやらタチの悪いヤツに相談した俺が間違いだったようだ。だから俺は取り敢えず、この場を離れる事にした。ってか、普通に日本語話せるおっさんも、アンダマン諸島にいたんだな。それが俺の驚きだった。

　走れど走れど、行けども行けども断崖絶壁は見えて来ない。そればかりか空は暗くなる一方で、空には星が無数に輝いていた。

　そして唐突に腹が盛大に、「ぐ〜〜〜〜ッ」とイビキのような音を鳴らしていった。鳴った所で減った腹が膨れる訳はないから、強過ぎる自己主張はちょっと大人しくしていて欲しい。更には喉も渇いたし、体力的にはそろそろ活動限界を迎えても可怪しくない状況ってのは確かだった。

「はぁ、ホテルの予約、絶対にキャンセルさせられてるよな……腹減ったな。世界一旨い究極のラーメン作りたかったぜ……がく……」

　俺は力尽きていった。腹減りは限界で、喉の渇きも限界。更に言えば睡眠不足も祟っていた。

　あのおっさん以外にすれ違う人間はいなかったから、断崖絶壁の場所を聞く事も出来なかった。第一村人の存在って意外と重要だったんだな。

　天の助けは助けられた時に掴まないと、後ろ頭はハゲてるから掴めないとかって言われたっけか。とまぁ、そんなこんなで俺は力尽きた訳だった。

ぱちっ

　気付けば朝になっていた。極度の腹減りが目覚ましになって俺は目を覚ました。そして、やって来る……いつものアイツ。

　俺は起きたら取り敢えず出すように子供の頃から訓練してた。それは便秘で緊急搬送された事があったからなんだけど、その後に訓練した甲斐あって起きたら必ずアイツがやって来る。

　そして、とうとう今日もアイツはやって来た。だが、問題は山積みだ。先ず、トイレがない。そして、紙がない。俺のケツは繊細だから、ウォシュレットじゃなきゃ切れちまうし、その繊細なケツを優しく洗い流してくれた水を拭き取る紙も、ダブルのフワフワじゃなきゃ駄目だった。

　それに何より、外でアイツを解き放つ事に対して抵抗がない訳じゃない。

　流石に男のお（・）花（・）摘（・）み（・）を外でしていても、見たがるヤツは多分いないと思ってるし、堂々とし（・）てれば何も問題はないだろう。見られても多分分かってくれる。我慢の限界を迎えて辛かったんだなって、同情してくれても可怪しくはないだろう。

　だが、紙は別だ。紙でちゃんと拭けなければ残ってしまうかもしれないし、そんなパンツをずっと履いていたくもない。ま、俺はボクサー派なので、こんな時こそフィット感が恨めしい。

「くっ、状況を考えてくれよ。もっと空気を読んでくれよ。俺は出来る子なんだから、俺の一部である腹も出来る子だろ？流石にここではマズい。腹よ、お前はスッキリするかもしれないが、その後に残されたケツの事も考えてやってくれ」

　ま、空気なんて読んでくれたら困りはしないが、そんなに優しく育てた記憶もないのでね……。だからそのまま近くの茂みに、大急ぎで向かう事しか出来なかった訳さ。

「くっそぉ、なんで空気読んで忖度してくれねぇんだよぉ。こんな状況でって……な、な、な、なんだこりゃ?!お、俺のムスコが無い?!ナニが一体ど、どうなって……」

ぐきゅるるる

「いや、駄目だ。今はそんな事より先に出さねぇと。ムスコの心配よりも、今一番大事なのは……先にこの状況を無事に切り抜ける事だッ」

　こうして俺は服を脱いだ後で見てしまった、自分の身体の変調よりも先ず、朝の日課を終わらせていった。そしてそれからは、目的の為にひたすら走って行く事にした。

　ここに来るまでに使った金額は、自分のムスコがいなくなったからと言って諦められる程の額じゃないし、パスポートの再発行に掛かる手続きや、費用を考えると、ムスコ云々以前に次の食材が手に入らなくなる恐れがあるから俺は走った。

　親友を助ける為に走ったヤツが、昔いたって聞いた事があるが、俺は違う。次の目的地であるプロヴァンスまで行ける飛行機のチケットが、もう取ってあるからだ。

　流石にウン十万のチケットを無駄になんか出来る訳もない。パスポートの再発行も、そのチケットを使うまでに間に合えばなんとかなるだろう。

　間に合わなかったら、そん時はそん時だ。俺は直感を信じてるから、平気だと告げてくれた感性を信じる事にする。だから不安になる事なんてない。

　でもどっちみち、アンダマン諸島に長居する事なんて出来る訳もないんだ。

「しっかし、かれこれ数時間走ってるけど、この島ってデカいのな？島だろ？島ってもっとこう、こじんまりとしてて1時間もありゃ端から端まで行けると思ってたぜ」

　流石に思い込みの激しい俺でも可怪しいと思い始めていた。昨日の昼過ぎから夜までと、朝起きてから今に至るまで走り通したのに、海の一つも見えない事にだ。一方で41歳の俺にこんな体力があるなんて思わなかったが、さっすが俺。やれば出来る子の証明だ。そんな事は置いといて、可怪しいついでに……。

　腹減りは一周回って何も感じなくなっていたから助かった。ただ、喉だけは凄く渇いていた。いや、これは全然可怪しい事じゃなかったな。

「流石に日本人は清潔過ぎるから、生水は危険って聞いた事があっけど、背に腹は替えられないって言うしな。飲まず食わずで死ぬよりは生水飲んで死んだ方が、まぁマシだろ」

　俺は走っていたコースを外れて、近くにあった小川に向かって行ったんだ。飯は食わなくても暫く生きてられるって聞いてたけど、水は人体の60%がうんちゃらかんちゃらで、取り敢えず飲まないと死ぬ。最近の日本の夏に大流行りの熱中症ってヤツも、身体の水不足から来てるんだろ？だから、本当かどうか眉唾な生水に毒（あ）たって辛くなる怖さよりも、脱水で今にも死にそうな喉の渇きが、その怖さより勝っていたのは確かだ。

「おいおい、マジかよ……。な、なんだよ……コレ。コレって俺……だよな？」

　喉の乾きを潤すべく近付いた小川のへりで、俺は川面に映る自分の顔を見て絶句してしまった。

　だが、まぁいい。大した問題じゃない。今はそんな事よりも生命に関わる喉の渇きを潤す方が最優先だ。