欲深いローマ字

エリー.ファー

欲深いローマ字

 凍えてゆく。

 僕は死に近づいている。

 この雪山で、自分を失っている。

 寒さには慣れてしまった、死が近いという恐怖とも友達になれた。

 僕は僕の運命を受け入れていた。

 死ななければ、生きていたとも分からない。そんな運命の中に僕らはいるのだ。

 誰かが僕らに別れを告げて、僕らを先に進ませようとしなければ、ここまで到達はできなかっただろう。思い出が凍えていく感覚は一切ない。しかし、この場所で、僕が死を迎えても、誰の思い出にもならないことはよく分かる。

 僕は、この雪山に来る前から何かを築き上げてきた。

 この手で壊そうとも思わなかった。

 しかし、今。

 僕は僕の意思によって壊そうとしている。

 僕の人生に何か間違いはあっただろうか。いや、特に大きな問題もなく生きてきたはずだ。歩道のない道路を横断したことはあったが、大きな罪を犯したこともない。大きな夢もない。大きな期待も背負っていない。

「今、死んでも。大丈夫なのか」

 言葉が漏れた。

 僕の口からだった。

 不思議な気分だ。

 僕はこの雪山に来る前から準備をしていたのかもしれない。

死んでも迷惑をかけず、死んでも悲しまれず、死んでも損失のない歩き方をしている。

 知らず、知らずのうちに。

 僕は、この雪山に呼ばれたのかもしれない。




「雪山に死体を見つけに行きます」

「やめておけ」

「いや、死体を見に行きたいんだ」

「行って、どうする」

「弔います」

「弔いなんて、何の意味もない」

「意味があると思って行動などしていません」

「意味がないなら行動ではない」

「僕たちは生きています」

「だから、なんだ」

「生きることに意味などありません。しかし、僕は今日も尊いのです」

「死体に希望はあるか」

「灯のない死体ばかりですが、僕は納得しています」

「ありふれた時間の中で、気が付けば暴力の渦に巻き込まれている。その結果、生まれるのが死体だ」

「はい」

「何故、それでも死体を見に行く」

「雪山は何もかも保存します。それは丁寧で、冷たいというよりも、涼やかです」

「俺は、俺はな。お前が雪山の一部になるのが怖いんだ」

「僕も、あなたも、皆だってそうです。最初からあの雪山の一部なのです」




 雪山は、僕を抱きしめている。

 僕は抱きしめられていることを感じながら、少しずつ自分の中に生まれそうになっていた勘違いを解きほぐしていく。

 恐れ多くも、僕は雪山の中にいる。

 僕は、雪山を忘れてしまうだろう。

 でも、それでいいのだ。

 雪山が僕を憶えておいてくれるだろう。

 忘れずにいてくれる雪山に感謝しなければならない。

 僕は、雪山を今日も愛している。

 雪山は、僕のことなんか知らないだろう。

 これから死ぬというのに、居心地がいい。

 いや、逆か。

 居心地がいいから、死ねるのか。




「昔、この雪山に呪いをかけた女がいたそうだ」

「呪いはいつの間にか雪山だけではなく、地球にも降り注ぎ、気が付くとすべてから灰色を奪ってしまった」

「雪山は白く塗りつぶされたが、そのせいで虹色だった砂漠は味気ない一色になってしまった」

「女は、消えてしまった」

「雪山のどこかにいると言われているが、おそらく首を吊って死んでしまったのだろう」

「そのせいで、誰も知らない」

「何故、女が呪いをかけるほど雪山を恨んだのか」

「誰も知らない」

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