トマトが歪む三分間

エリー.ファー

トマトが歪む三分間

 オバケトマトがいた。

 オバケトマトは常にオレンジジュースを飲んでいた。

 大好きなんだそうだ。

 そして。

 蕎麦湯が好きなんだそうだ。

 蕎麦よりも好きらしい。

「オバケトマト先生、こんにちは」

「トマトマト」

 二〇一八年。

 十二月。

 三日。

 オバケトマトは、馬雪県の府具市にある、市立長崎高校の数学教師をしていた。

 生徒からの評判は上々で、トマトマトとしか喋らないものの、オバケトマトの作るプリントの完成度が高いことで有名であった。

 他の教師たちもオバケトマトに授業の相談をすることがあり、その度にオバケトマトはより良い授業を作るために考えるべきこと、という教師用のプリントを作成し職員室で配ることもあった。

 オバケトマトが特に苦心していたのは、いじめであった。

 幸いオバケトマトが受け持っているクラスではいじめなどは起きておらず平和そのものだったが、他の教室の状況については、うかがい知ることはできない。加えて、いじめは教育というフィールドだけではなく社会問題でもある。

 多くの生徒が不登校になったり、自殺をしたり、というニュースは数多くある。

 オバケトマトにとって受け入れがたい現実が、どこかに必ず存在していることは事実であった。

 ある日、オバケトマトに取材の依頼が来る。

 オバケトマトという怪物として、人間に数学を教えている風変りな教師がいるということで、メディアが興味を持ったのである。

 しかし、オバケトマトは断ってしまった。

 有名になりたいわけではなかったからである。

 もちろん、自分の影響力が大きくなればいじめを根絶したいとの発言を拾ってもらいやすくなるだろう。その考えはオバケトマトの中に確かにあった。しかし、同時にメディアというものをどこまで信じていいのか分からなかったのだ。

 オバケトマトは、自らの発言に心が籠っていることを知っているが、それがどのように扱われるのか分からない以上、その心の籠め方にも偽りが混じると危惧していた。

 もしも。

 今後、生徒たちの前で授業をしようとした時に、自らの言葉に違和感を持ってしまったら、二度と喋れなくなってしまうのではないか。

 そんな恐怖がオバケトマトを襲ったのだ。

 オバケトマトはたまに思う。

 どうすればよかったのかと。

 もしかしたら、取材を受けた方が良かったのではないかと。

 けれど、もう過ぎてしまったことなのだ。

 忘れてしまった方がいいというのは分かるが、忘れることもできない。

 同僚と休み時間に話していると、取材を受ければよかったのに、と言われたオバケトマトは、それから二週間ほど酷く悩んだ。今更、悩んだところで何の意味もないのだが、それでも悩まずにはいられなかった。

 県の教育委員会から教員を教育する側に回らないかと提案があり、オバケトマトは了承した。

 来年の春。

 オバケトマトは現場を去る。

 まだ、生徒たちには話していない。

 オバケトマトは教育を信じている。いずれ、遠ざかったとしても息遣いの聞こえる場所にこそ、真実が眠っていると思っている。社会の基礎は教育であり、世界は教育の進化を求めている。

 そう、信じている。

 しかし、その反面。

 もしも教育が完成してしまったら、教員は必要なくなるのではないかと思うことがある。

 教員の教えたい、という思いは欲でしかないが、生徒の学びたい、という思いは純粋である。

 教育に生徒は必要である。だが、教育に教員が必要であると考えるのは、教員の思い上がりではないのか。

 教員という立場に縋っているのは教員だけで、生徒は生徒という立場に縋ってなどいない。




 オバケトマトは、そんなときが来たら潔くケチャップになろうと考えている。

 美味しいケチャップになれるといいな、と願っている。

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