楊佺期3 梟於朱雀門
399 年、
以前、殷仲堪は桓玄よりの手紙を得、慌てて楊佺期を召喚した。
ここで楊佺期は
「
と言った。殷仲堪は自らの軍の保全を優先事項とし、江陵を捨て襄陽に出るなど考えもしていなかったため、偽って言う。
「兵糧は十分に集めてある、ご案じめさるな」
この言葉を信じて楊佺期は江陵に進軍。步騎八千はみなフル装備である。しかし、こうしてやってきた楊佺期軍に対して、殷仲堪が出した食事は、米のみ。つまり粗食である。楊佺期は激怒し、言う。
「もはや敗れたわ!」
もはや殷仲堪をまともに見ようともせず、
明くる日、楊佺期は
弟の
楊孜敬は
隆安三年,桓玄遂舉兵討佺期,先攻仲堪。初,仲堪得玄書,急召佺期。佺期曰:「江陵無食,當何以待敵?可來見就,共守襄陽。」仲堪自以保境全軍,無緣棄城逆走,憂佺期不赴,乃紿之曰:「比來收集,已有儲矣。」佺期信之,乃率眾赴焉。步騎八千,精甲耀日。既至,仲堪唯以飯餉其軍。佺期大怒曰:「今茲敗矣!」乃不見仲堪。時玄在零口,佺期與兄廣擊玄。玄畏佺期之銳,乃渡軍馬頭。明日,佺期率殷道護等精銳萬人乘艦出戰,玄距之,不得進。佺期乃率其麾下數十艦,直濟江,徑向玄船。俄而回擊郭銓,殆獲銓,會玄諸軍至,佺期退走,餘眾盡沒,單馬奔襄陽。玄追軍至,佺期與兄廣俱死之,傳首京都,梟於硃雀門。
弟思平,從弟尚保、孜敬,俱逃於蠻。劉裕起義,始歸國,歷位州郡。孜敬為人剽銳,果於行事。昔與佺期勸殷仲堪殺殷顗,仲堪不從,孜敬拔刃而起,欲自己出取之,仲堪苦禁乃止。及為梁州刺史,常怏怏不滿其志。經襄陽,見魯宗之侍衛皆佺期之舊也,孜敬愈憤,見於辭色。宗之參軍劉千期於座面折之,因大發怒,抽劍刺千期立死。宗之表而斬之。思平、尚保後亦以罪誅,楊氏遂滅。
(晋書84-31)
弘農楊氏のプライドのせいでもろもろ上手くいかなかったんですねーこの人たち。楊佺期一人じゃなく、氏族全体がそんな感じだったっぽい。こんなんもはやどうしようもなかったでしょうに。逆転の目があったとしたら魯宗之の下について劉裕の勢力拡大を狙ってクーデターを謀る、だったでしょうけど、まぁ扶風盧氏なんて、史書にいないではないけど弘農楊氏に較べちゃうとさすがに木っ端。頭を下げるなんて有り得なかったことでしょう。何と言うかこの一族、つくづく自分からババ引きにいってるなーという印象でした。プライドは使い道を間違えると大変なことになってしまいますね。
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