殷仲堪6 漢中の情勢

殷仲堪いんちゅうかん梁州りょうしゅう増援にまつわる上表の続きである。


「現在、成都せいと周辺の治安は落ち着きを保っており、汧水けんすい隴山ろうざん長安ちょうあん涼州りょうしゅうとの中間地域の運営もまた順調。とはいえ關中かんちゅう、長安周辺そのものにはいまだ戦火の余燼がくすぶっており、民が相食み合う有様が続いております。こうしたことを根拠に、梁州からは三郡帰属の要望が出されておりますが、益州えきしゅうとしてもどうしてこちらに属していて問題ない三郡をあえて梁州に回さねばならぬのか、と、梁州に対し牽制を仕掛けており、仮に所属変更の命令が出たところで到底従うとは思われませぬ。むしろ巴西や宕渠から守兵を引き上げ、周辺山地を根城とする蛮族どもに襲われるがままとする可能性すらございましょう。さすれば当地より士庶もまた逃亡し、当地城塞も、耕地も、みな蛮族らに抑えられてしまう恐れがございます。こうした長期的視点からすれば、いま下手に三郡の兵力は動かすわけには参りませぬ。


 そも現在、山間蛮どもは勢力を増しており、これに対する兵力すら足りているとは申せませぬ。ここで更に判断を誤れば、梁州と益州の連携すら保ちきれなくなり、かくして山間蛮に劍閣けんかくを奪われ、西方防衛の難易度も跳ね上がりましょう。すなわちこの議論はいかに長江ちょうこう上流域を保ち切るか、という重大な議論なのです。


 昔、三郡に十分な人口、十分な兵力を確保できていた頃には、それこそ文武三百を梁州への援助に充てることが叶いました。なれどいま、多くの民が山間蛮に連れ去られ、十いた民のうち二も残っておりませぬ。加えて食うものに困り土地を逃げ去ったものも多く、まるで立て直しの目処も見えておりませぬ。ここで命令を振りかざし、梁州援護を強要すれば、当地の民は公私ともに窮乏し、命令遂行もままならぬ有様となりましょう。さすれば劍閣を守るだけの軍資も運用しきれず、益州による統治という名目も有名無実化いたします。斯様な事態を招けば、各地を守るどころか、やがては保持すら危うくなりかねませぬ。


 ならば今は、中央より梁州に文武五百を派遣、先の防備たる千に加えて千五百とし、それ以外の兵力配置はこれまでの状態を維持すべき、と愚考いたします。斯様な措置さえ叶えば、梁州に急事があったとしても、益州とて救援に力を尽くしましょう」


この書面が提出されると、朝廷は殷仲堪よりの提案を認可した。




今華陽乂清,汧隴順軌,關中餘燼,自相魚肉,梁州以論求三郡,益州以本統有定,更相牽制,莫知所從。致令巴、宕二郡為群獠所覆,城邑空虛,士庶流亡,要害膏腴皆為獠有。今遠慮長規,宜保全險塞。又蠻獠熾盛,兵力寡弱,如遂經理乖謬,號令不一,則劍閣非我保,丑類轉難制。此乃籓捍之大機,上流之至要。昔三郡全實,正差文武三百,以助梁州。今俘沒蠻獠,十不遺二,加逐食鳥散,資生未立,苟順符指以副梁州,恐公私困弊,無以堪命,則劍閣之守無擊柝之儲,號令選用不專於益州,虛有監統之名,而無制禦之用,懼非分位之本旨,經國之遠術。謂今正可更加梁州文武五百,合前為一千五百,自此之外,一仍舊貫。設梁州有急,蜀當傾力救之。

書奏,朝廷許焉。


(晋書84-22)




結論は先に言え(まがお)


最後まで読めば、むしろ殷仲堪の申し出は梁州の状態を中央以上に危惧していました。そりゃまあ現地統括官ですものね。ごめんね殷仲堪。しかしこのとき西秦はまだあんまり活発じゃなかったのか。西暦何年の話? 392-397の間か。となると姚興ようこう苻登ふとうにとどめを刺した近辺の時期ですね。このあと姚興がどれだけ勢力を伸ばすのか占い切れなさそう。殷仲堪は道教で姚興は仏教だから、この辺の反りはあわなさそうだけど、どうだったのか。

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