殷仲堪5 梁州との折衝

この頃、中央では益州刺史えきしゅうしし郭銓かくせんを中央に呼び戻そうと画策していた。しかしこの頃、犍為太守けんいたいしゅ卞苞べんほうが公的な座において郭銓に蜀を拠点として決起すべきである、そそのかしていた。殷仲堪は速やかに卞苞を捕らえ、処刑。その謀議を明らかとした。朝廷は殷仲堪がその職務において事前に把握できなかったことを理由に、鷹揚將軍おうようしょうぐんに降格とした。


この頃、にわかに仇池きゅうちの脅威が拡大していた。このため中央では益州刺史の管轄下にあった梁州の三郡である巴西はさい梓潼しどう宕渠こうきょ、要は四川盆地しせんぼんち北東部の兵役に出ているもののうち一千人を交代制で漢中盆地かんちゅうぼんち、仇池の進軍ルートに配備させるよう命じており、益州の民情として、この派遣命令に拒否感を抱いていたのである。


このため、殷仲堪が上奏する。


「天険を抑え軍権を分け置く、まことごもっともにございます。劍閣の隘路は、実に蜀を守る堅き門と申せましょう。

 さて巴西、梓潼、宕渠の三郡は漢中よりはるかに離れており、劍閣ひとつをまるまる隔ててございます。にも関わらず、司馬昭しばしょう様がしょく劉禅りゅうぜんを破り降伏させたとき、この三郡を敢えて益州でなく、梁州と致しました。これは、ひいては晋が天下を統一した際、ふたたび蜀にて独立勢力が立ち上がり、後背を脅かされ、しかも劍閣で分断されることを恐れたのにございます。この三郡が確保されておれば、軍資運送のための経路も確保が叶います故に。なれど晋の南遷より、その守りの拠点は成都せいとに移り、その立ち位置は我らにとっては襟元のようなものとなりました。その情勢はもはや、以前とは異なっております。


 こうした背景から、李勢りせいの討伐を成し遂げて後、梁州に属していた三郡を益州に統合することとなりました。これは四川盆地全体を一手に取りまとめ、天険たる長江の上流の防備力を高め、易に言う習坎しゅうかん、艱難の地の守りを固めるがための措置にございます。


 こうした英略が展開されてから、数十年の月日が経ちました。梁州は遠方を統括する中、先に掲げた三郡を返却して欲しい、などと言い出しております。なぜ王侯が梁州にて守りを固めさせるにあたり、地勢における內外の実状に基づき配分されたかも忘れて、梁州の兵力の薄さをいかにも哀れみを誘うよう、しばしば言い募ってきておるのです。」




時朝廷征益州刺史郭銓,犍為太守卞苞于坐勸銓以蜀反,仲堪斬之以聞。朝廷以仲堪事不預察,降號鷹揚將軍。尚書下以益州所統梁州三郡人丁一千番戍漢中,益州未肯承遣。仲堪乃奏之曰:

夫制險分國,各有攸宜,劍閣之隘,實蜀之關鍵。巴西、梓潼、宕渠三郡去漢中遼遠,在劍閣之內,成敗與蜀為一,而統屬梁州,蓋定鼎中華,慮在後伏,所以分鬥絕之勢,開荷戟之路。自皇居南遷,守在岷邛,衿帶之形,事異曩昔。是以李勢初平,割此三郡配隸益州,將欲重復上流為習坎之防。事經英略,歷年數紀。梁州以統接曠遠,求還得三郡,忘王侯設險之義,背地勢內外之實,盛陳事力之寡弱,飾哀矜之苦言。


(晋書84-21)




殷仲堪だしどんくらい後仇池を現実的な脅威として捉えてたか怪しそうなんですよね(ひどい偏見)。ただその前身の前仇池、つまり後仇池を支配した一族が前秦に滅ぼされるまで同じ場所を統治していた時代に、どれだけ東晋にとっての脅威だったのかをいまいち読みきれません。


この当時の後仇池の長、楊盛ようせいって結構な英君だった印象なんですよね。なので、梁州としてはマジで怖かったんじゃないかと思います。なんだかんだで後秦こうしん西秦せいしんからの脅威も増大してたでしょうし。


ともあれ、この上表はまだまだ続きます。はたして僕の殷仲堪に対する文弱の徒イメージを払拭することは叶うのかっ!?

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