殷仲堪5 梁州との折衝
この頃、中央では
この頃、にわかに
このため、殷仲堪が上奏する。
「天険を抑え軍権を分け置く、まことごもっともにございます。劍閣の隘路は、実に蜀を守る堅き門と申せましょう。
さて巴西、梓潼、宕渠の三郡は漢中よりはるかに離れており、劍閣ひとつをまるまる隔ててございます。にも関わらず、
こうした背景から、
こうした英略が展開されてから、数十年の月日が経ちました。梁州は遠方を統括する中、先に掲げた三郡を返却して欲しい、などと言い出しております。なぜ王侯が梁州にて守りを固めさせるにあたり、地勢における內外の実状に基づき配分されたかも忘れて、梁州の兵力の薄さをいかにも哀れみを誘うよう、しばしば言い募ってきておるのです。」
時朝廷征益州刺史郭銓,犍為太守卞苞于坐勸銓以蜀反,仲堪斬之以聞。朝廷以仲堪事不預察,降號鷹揚將軍。尚書下以益州所統梁州三郡人丁一千番戍漢中,益州未肯承遣。仲堪乃奏之曰:
夫制險分國,各有攸宜,劍閣之隘,實蜀之關鍵。巴西、梓潼、宕渠三郡去漢中遼遠,在劍閣之內,成敗與蜀為一,而統屬梁州,蓋定鼎中華,慮在後伏,所以分鬥絕之勢,開荷戟之路。自皇居南遷,守在岷邛,衿帶之形,事異曩昔。是以李勢初平,割此三郡配隸益州,將欲重復上流為習坎之防。事經英略,歷年數紀。梁州以統接曠遠,求還得三郡,忘王侯設險之義,背地勢內外之實,盛陳事力之寡弱,飾哀矜之苦言。
(晋書84-21)
殷仲堪だしどんくらい後仇池を現実的な脅威として捉えてたか怪しそうなんですよね(ひどい偏見)。ただその前身の前仇池、つまり後仇池を支配した一族が前秦に滅ぼされるまで同じ場所を統治していた時代に、どれだけ東晋にとっての脅威だったのかをいまいち読みきれません。
この当時の後仇池の長、
ともあれ、この上表はまだまだ続きます。はたして僕の殷仲堪に対する文弱の徒イメージを払拭することは叶うのかっ!?
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