謝石1  淝水総大将


謝安しゃあんの弟、謝石しゃせき。字は石奴せきど。はじめ秘書郎ひしょろうとなり、そこから順調に出世、尚書僕射しょうしょぼくしゃとなった。句難くなんの征伐に功績があり興平縣伯こうへいけんはくに封じられた。苻堅ふけん淝水ひすいに迫ると謝石は僕射を解任となり、將軍として假節かせつを預けられ、征討大都督せいとうだいととくとして甥の謝玄しゃげん謝琰しゃえんとともに出征、苻堅を打ち破った。


これより以前、童謠では「誰謂すいせい爾堅じけん石打碎せきださい」と歌われていた。「誰が貴様を堅と言ったのか。石で打てば砕けるだろうに」と言った感じである。巷ではこの歌を「苻堅を倒す者は名に石が入ったものだ」と解釈するようになり、このため桓豁かんかつは子の名に全員「石」字を入れ、その大功を獲得せんと願っていた。しかし実際に淝水が終わってみると、戦功のトップが劉牢之りゅうろうしで、その劉牢之をはじめとした北府軍を編成した功労者は謝玄や謝琰でこそあったが、このときの軍総司令は、実は謝石であった。この功績から中軍將軍ちゅうぐんしょうぐん尚書令しょうしょれいに任じられ、南康郡公なんこうぐんこうに改封となった。


この頃、學校教育にだんだんと不備が目立ってきた。そこで謝石は上疏した。國學を復興させ、各家の長子たちに訓示を与え、各州郡にも普及させ、各地元の学校をも修復すべきである、と論じたのである。この上疏を、孝武帝こうぶていはとりあえず受け取った。




石字石奴。初拜秘書郎,累遷尚書僕射。征句難,以勳封興平縣伯。淮肥之役,詔石解僕射,以將軍假節征討大都督,與兄子玄、琰破苻堅。先是,童謠云:「誰謂爾堅石打碎。」故桓豁皆以「石」名子,以邀功焉。堅之敗也,雖功始牢之,而成于玄、琰,然石時實為都督焉。遷中軍將軍、尚書令,更封南康郡公。于時學校陵遲,石上疏請興復國學,以訓胄子,班下州郡,普修鄉校。疏奏,孝武帝納焉。


(晋書79-22)




疏奏、孝武帝納焉。

『宋書』禮志一にはこの上疏について詳しく載せられています。

https://kakuyomu.jp/works/16816452219408440529/episodes/16817139557644924906

宋書礼志は礼について語るといいながら間接的に孝武帝をフルボッコにする内容なのが見ていて楽しいです。読めませんが。



こちらの訳出にあたり、くらすあてね様よりのご指摘を頂戴し、反映させて頂きました。いつもありがとうございます!

http://liuyu.seesaa.net/article/499469145.html

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る