謝玄3  河北不安

謝玄しゃげんは上疏し、河北平定のためにも幽州ゆうしゅう冀州きしゅうを総督したいと願い出た。ここで司州ししゅうでは遠いため、豫州よしゅうを任地としたいとした。淝水ひすいの戦いの功績から康樂縣公こうらくけんこうに封じられた。


謝玄はもともと封じられていた東興侯とうこうこうの爵位を兄の子である謝珫しゃじゅうに与えたいと申請。承認する詔勅が下った。謝珫はその後さらに豫甯伯よねいはくとなった。また昋演こうえんを魏郡で暴れる申凱しんがいの討伐に向かわせ、打ち破らせた。また謝玄は豫州刺史よしゅうしし朱序しゅじょりょうを守らせ、自身は彭城ほうじょうを拠点として北に向かい、黄河まわりの守りを固めようと考えた。こうして西方の洛陽を支援し、この地を東晋の拠点として機能できるよう考えたのである。しかし中央では遠征が長引いていたことを懸念し、鎮守将を置いて謝玄に帰還すべきである、とした。謝玄に淮陰わいいんまで撤収して守りを固め、朱序には寿春じゅしゅんを守らせよう、と言うのである。


このとき翟遼てきりょう黎陽れいようを拠点として反旗を翻し、滕恬之とうてんしを捕らえた。また泰山たいざんを守っていた張願ちょうがんが任地にて反旗を翻した。こうした河北の騒乱に当たり、謝玄は自身の措置の誤りにより失地を犯したとし、上疏し指揮権を返上、あずかっていた軍権をすべて解除して欲しい、と願い出た。孝武帝は慰労の使者を送り、謝玄に淮陰を守らせ、代わって朱序に彭城守備の任務に就かせた。




玄上疏以方平河北,幽冀宜須總督,司州縣遠,應統豫州。以勳封康樂縣公。玄請以先封東興侯賜兄子玩,詔聽之,更封玩豫甯伯。復遣甯遠將軍{夭曰}演伐申凱于魏郡,破之。玄欲令豫州刺史硃序鎮梁國,玄住彭城,北固河上,西援洛陽,內籓朝廷。朝議以征役既久,宜置戍而還,使玄還鎮淮陰,序鎮壽陽。會翟遼據黎陽反,執滕恬之,又泰山太守張願舉郡叛,河北騷動,玄自以處分失所,上疏送節,盡求解所職。詔慰勞,令且還鎮淮陰,以硃序代鎮彭城。


(晋書79-15)




これ、タイムライン的には朝廷が前線のラインを少し引き下げようとしていたところに翟遼の襲撃、張願の反旗があった、って感じなんでしょうかね。ほんに河淮エリアの安定のしなさやべえよなあ。そりゃまあ北に慕容垂ぼようすいなんて化物がどででんとのさばってりゃ、当地の将兵たちとしちゃどっちに付くかめっちゃ迷うでしょうしね。実際問題として、慕容垂は淝水で一切武名を損ねてない。そんなんどう対処しろってんだ、と言うところはありそうです。


謝玄はその辺のバランス感覚を持ってたけど、劉牢之は持ってなかった、ってことなんでしょうかね。いまいち劉牢之の対慕容垂戦の流れ把握し切れてないな。


なお本文で謝玩となっている人物は墓誌が出土しており、それによると正しい字は珫である、とのことです。確かにかすれ具合ではそう読み間違えても仕方ない感じですね、しかも珫なんて当時でも珍しいんじゃない?

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