謝玄1  淝水の立役者

淝水の戦いの大功にて、その名を高らかとした名将、謝玄。彼の父は謝安の上の兄、謝奕しゃえきである。字は無奕むえき。在官中に死亡すると鎮西將軍ちんざいしょうぐんが追贈された。子が三人あった。謝淵しゃえん謝靖しゃせい、そして謝玄だ。謝淵は早くから名声高く、義興太守ぎこうたいしゅを歴任した。謝靖は太常たいじょうにまで至った。


謝玄は字を幼度ようどと言う。幼いころより聡明で、從兄の謝朗しゃろう(謝安の下の兄、謝拠しゃきょの子)とともに謝安より重んじられていた。


苻堅が淮水上流域にある項城を経て、百万を自称する軍を率い、迫り来る。謝玄は敵の前鋒軍を蹴散らすといとこの謝琰と共に進み、淝水ひすいの南にて決戦を挑んだ。苻堅軍は潰走し、死者は十のうち七、八にものぼった。謝玄らは苻堅が置いていった輿や雲母車、儀服、器械、軍資、珍寶などが山積されていたものを回収。また牛馬、ロバ、らくだなど十万あまりを獲得した。


謝玄のもとには殿中將軍でんちょうしょうぐんが派遣され、その労苦を労った。前將軍ぜんしょうぐん假節かせつへの進号が諮られたが辞退した。百万銭、鮮やかな絹布千匹が下賜された。





奕字無奕。卒官,贈鎮西將軍。三子:泉、靖、玄。泉早有名譽,曆義興太守。靖官至太常。

玄字幼度。少穎悟,與從兄朗俱為叔父安所器重。及苻堅自率兵次於項城,眾號百萬。玄、琰仍進,決戰肥水南。堅眾奔潰,死者十七八。獲堅乘輿雲母車,儀服、器械、軍資、珍寶山積,牛馬驢騾駱駝十萬餘。詔遣殿中將軍慰勞。進號前將軍、假節,固讓不受。賜錢百萬,彩千匹。


(晋書79-13)




と言うわけでここから謝玄です。淝水まで飛ばしに飛ばします。謝玄ファンに見られたら殺されかねない勢いで飛ばしてます。だってぼくその先が知りたくて仕方ないんじゃもの。




■斠注


三子、泉・靖・玄。

世說新語賢媛篇の注には「淵字叔度奕第二子義興太守」とあります。ここについて斠注では「案孝標,以淵爲奕二子。與本傳異。淵改爲泉,乃唐人避諱。」と書かれています。

えっ謝泉じゃなくて謝淵なの? どゆこと? ……あー、晋書だから李淵りえんの諱避けられてんのね、とのことでした。晋書オメー劉淵りゅうえんの所では「名犯高祖廟諱,故稱其字焉。」ってちゃんと断ってんだからこっちでも断れやおいって感じではありますが、まぁ紙面の幅がね?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る