謝琰2 フラグ
司馬道子・
を打ち破る。
この勢いに乗る形で、と詔勅が下り、
会稽と言えば謝安が長らく生活拠点としていた地である。そんな謝安の息子として名の通っていた謝琰が会稽エリアに鎮守したのであれば、もはや東方よりの攻撃を恐れることはない、と話し合う者がいた。
とは言え謝琰が郡に到着してみると、地元民を慰撫しようとするそぶりも見せない。それでいて防備を固めようとするそぶりも見せなかった。配下将らは謝琰に対し、諫言をなす。
「恐るべき賊が海にあり、こちらの動静をうかがっておる以上、いま将軍は仁政をお敷きになり、奴めが降伏を願い出てくるよう計らうべきではございませぬか」
謝琰は答える。
「苻堅は百万の軍を、むざむざ淮南まで殺しに送り出したではないか! 孫恩なぞ大敗の上、島に引っ込んだのだぞ。どうして再び出てこれようというのだ。それに、奴がもし出てきたとして、なぜ天がわざわざ国賊を養わねばならんのだ。すみやかにそなたらに殲滅させ、それで終いよ」
このため謝琰が孫恩軍への慰撫をすることはなかった。
太元末,為護軍將軍,加右將軍。會稽王道子以為司馬,右將軍如故。王恭舉兵,假琰節,都督前鋒軍事。恭平,遷衛將軍、徐州刺史、假節。孫恩作亂,加督吳興、義興二郡軍事,討恩。至義興,斬賊許允之,迎太守魏鄢還郡。進討吳興賊丘尪,破之。又詔琰與輔國將軍劉牢之俱討孫恩。恩逃於海島,朝廷憂之,以琰為會稽內史、都督五郡軍事,本官並如故。琰既以資望鎮越土,議者謂無復東顧之虞。及至郡,無綏撫之能,而不為武備。將帥皆諫曰:「強賊在海,伺人形便,宜振揚仁風,開其自新之路。」琰曰:「苻堅百萬,尚送死淮南,況孫恩奔衄歸海,何能復出!若其復至,正是天不養國賊,令速就戮耳。」遂不從其言。
(晋書79-10)
うんまぁこのひと謝万ですわね。謝万も才能はあったけど末端の気持ちがわからないひとでした。謝琰の場合、軍同士の戦いでその才覚は生きるんだろうけど、民衆反乱鎮圧向けではなかったのでしょうね。「苦しめられてるから決起した」って観点がすっぽり抜け落ちてそう。やば……。
■斠注
會稽內史、都督五郡軍事
『
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