王愷王愉 桓氏の婿
王國寶の死後、王愷は
王愉が再び江州に出向くと、
王恭死後、司馬元顯死後、いずれのタイミングかは不明だが、
桓玄が簒奪をなすと、
王愉は桓氏の婿として父子して覚えめでたく、かつ、過去に劉裕を軽侮していた。このため不安を覚え、ひそかに
愷字茂仁,愉字茂和,並少踐清階。愷襲父爵,愉稍遷驃騎司馬,加輔國將軍。愷太元末為侍中,領右衛將軍,多所獻替。兄弟貴盛,當時莫比。
及王恭等討國寶,愷、愉並請解職。以與國寶異生,又素不協,故得免禍。國寶既死,出愷為吳郡內史,愉為江州刺史、都督豫州四郡、輔國將軍、假節。未幾,征愷為丹陽尹。及桓玄等至江寧,愷令兵守石頭。俄而玄等走,復為吳郡。病卒,追贈太常。
愉至鎮,未幾,殷仲堪、桓玄、楊佺期舉兵應王恭,乘流奄至。愉既無備,惶遽奔臨川,為玄所得。玄盟于尋陽,以愉置壇所,愉甚恥之。及事解,除會稽內史。玄篡位,以為尚書僕射。劉裕義旗建,加前將軍。愉既桓氏婿,父子寵貴,又嘗輕侮劉裕,心不自安,潛結司州刺史溫詳,謀作亂,事泄,被誅,子孫十餘人皆伏法。
(晋書75-2)
■斠注
「愉既桓氏婿,父子寵貴,」について、『世説新語』方正編にある注には『王氏譜』が引かれています。いわく、
「坦之子愷,娶桓溫第二女,字伯子。案下文又云:綏,桓氏甥。是愉娶於桓氏也。『世說』注引『譜』誤作愷。」
王愷が桓溫の次女
きキターもろもろうさんくさい太原王氏誅殺! 後世(ぼく)の目線からだと「劉裕を危険に押し上げるに当たって東晋貴族らが人身御供として太原王氏を生贄に捧げた」に見えて仕方ないやつ! もうちょいこの辺楽しむためにも、周りの人たちの伝を読み込んでかなきゃですね。
ところで王愉親子が処刑されたことについてやけに長く注が引かれています。次の記述に移る前に、まるまる一話分をそこに当てます。いや長すぎだわ。
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