桓胤   桓沖の孫桓嗣の子

桓沖かんちゅうの孫、桓嗣かんしの子、桓胤かんいん。字は茂遠もえん。若い頃より清廉にして節度ある振る舞いをし、桓彝かんい以来の貴顕の生まれであったにもかかわらずその慎ましやかさを貫き、世に称えられていた。


はじめ秘書丞ひしょじょうとなり、中書郎ちゅうしょろう秘書監ひしょかんに累進。桓胤からしてみれば父のいとこに当たる桓玄からも大いに愛された。桓玄かんげんが晋の実権を握ると中書令ちゅうしょれいに任じられ、桓玄が簒奪をなすと吏部尚書りぶしょうしょとされた。

そして、桓玄が敗北。桓玄とともに西方に逃れたが、ついには投降した。


桓胤の投降に際し、詔勅が下される。

「よきものの一門の祭祀は長く続くものであるし、著しき功績については特別な顕彰がもたらされるものである。春秋しゅんじゅうの昔にもしん趙盾ちょうとんの手のものが晋霊公しんれいこうを殺害するという大逆を犯しながらも、その忠誠の故に子孫を長らく残している。闘穀於菟とうこくおととて、甥が大逆を犯したにもかかわらず、その徳高さの故に楚王より闘穀於菟の子孫を絶やしてはならぬ、との命が発されている。

亡き桓沖は洛陽らくようまでの統治を為し遂げ、晋室への忠誠を尽くした。諸子が桓玄の凶性に染め上げられ、罪に伏されることとなったが、桓沖が示した偉大なる功績を思えば、その祭祀が絶えてしまうのは悲しみに耐えぬ。

このため、桓沖の孫、桓胤を特別に赦免とし、以後のよき働きを期待するものである。その命を保証し、新安しんあんに移送せよ」


しかし新安で殷仲文いんちゅうぶん駱球らくきゅうらが謀反を企み、桓胤をその旗印として桓氏の後継者に仕立て上げようとした。このことが露見し、殷仲文らと共に処刑された。




胤字茂遠。少有清操,雖奕世華貴,甚以恬退見稱。初拜秘書丞,累遷中書郎、秘書監。玄甚欽愛之,遷中書令。玄篡位,為吏部尚書,隨玄西奔。玄死,歸降。詔曰:「夫善著則祚遠,勳彰故事殊。以宣孟之忠,蒙後晉國;子文之德,世嗣獲存。故太尉沖,昔籓陝西,忠誠王室。諸子染凶,自貽罪戮。念沖遺勤,用悽于懷。其孫胤宜見矜宥,以獎為善。可特全生命,徙於新安。」及東陽太守殷仲文、永嘉太守駱球等謀反,陰欲立胤為玄嗣,事覺,伏誅。


(晋書74-8)




突然の春秋! けどおかげさまで「あっ知ってるひとだ! 助かった!」ってなってる! ありがとう左伝! ありがとう父の仇に許された!

https://kakuyomu.jp/works/16817139555463331404


趙盾くんとは結構「知人からよくその名前を聞く人」くらいにはなれました。直接のお知り合いにもなりたいですが、焦らない、焦らない。

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