郗恢2  両慕容相克

西で姚萇ようちょう苻登ふとうがバチバチにやり合っていたころ、東では慕容垂ぼようすい慕容永ぼようえい潞川ろせんにてぶつかり合っていた。とは言え慕容永は追い詰められており、子の慕容弘ぼようこうを使者として郗恢ちかいのもとに遣わせ、玉璽一紐を献上の上救援を依頼してきた。


郗恢は玉璽を建康けんこうに送り届けて、あわせてその書面にて言う。


「もし慕容垂が慕容永を併呑してしまったら、その後の趨勢を測るのは難しくなってしまいます。中華の統治を思えば、ここは慕容永を救援するのが上策でございましょう。奴らの勢力を併存させておけば、それぞれが仇敵のごとく食い合います。戦国策せんごくさくにて、しん惠王けいおう寒泉子かんせんしに申しております、連なる鶏が仲良く棲まい合うことはない、と。奴らにいがみ合わせておけば、我らの脅威ともなりにくくなりましょう。そうして奴らの疲弊する隙をうかがい、ともに打ち倒してしまえば良いのです。さすれば河北かほくの平定も叶いましょう」


孝武帝こうぶていはその通りであるとし、王恭おうきょう庾楷ゆかいに慕容永救援の軍を編ませた。しかし救援の軍が発するよりも前に慕容永の敗亡が伝えられた。


このタイミングで楊佺期ようせんきは病にかかったと言い出し、職を辞した。




尋而慕容垂圍慕容永於潞川,永窮蹙,遣其子弘求救於恢,並獻玉璽一紐,恢獻璽於台,又陳「垂若並永,其勢難測。今于國計,謂宜救永。永垂並存,自為仇讎,連雞不棲,無能為患。然後乘機雙斃,則河北可平」。孝武帝以為然,詔王恭、庾楷救之,未及發而永沒。楊佺期以疾去職。


(晋書67-3)




■斠注


『太平御覽』は『玉璽譜』を引き、慕容永が届けた玉璽がどんなものだったかを語ります。えっそんな話が残ってんの?

それによると六寸四方、厚さ七分。一辺 20cm 弱の正方形で印字するところの厚さは 2cm 強、結構ズドンとした大きさですね。印の上には曲がりくねった螭(角のない龍みたいな動物だそうです)が乗って持ち手になっていて、持ち手も含めた高さは 15cm ほど。とにかくでかい。印の外側四辺にはそれぞれ亀甲紋が刻まれており、印の本文は「受天之命,皇帝壽昌」だったそうです。天命を受けた皇帝は長命となり、その威徳も盛んとなる、的な意味ですね。鳥篆ちょうてんと言う、鳥が羽ばたくかのようなフォントの超絶な美しさがめっちゃヤバかったのだそうで(巧麗驚絕)。ただこれは明らかに慕容たちが作ったやつなので、正直由来はよーわからん、とのことです。

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