王廞   王廞叛乱

王導おうどうの五男、王劭おうしょう。字は敬倫けいりん。子が3人いた。

王穆おうぼく臨海りんかい太守。子は王簡おうかん王智おうち王超ちょうである。

王黙おうもく呉國ごこく內史。子は王鑒おうかん王恵おうけいである。

王恢おうかい、右衞將軍。

王劭の子や孫はみな義熙ぎき年間に顕職についた。



王導の末っ子、王薈おうわい。字は敬文けいぶん王廞おうきんを産んだ。


世説新語注によれば、王廞の字は伯輿はくよである。太子中庶子、司徒左長史を歴任した。母が死亡したためにて喪に服した。


王恭おうきょう王国宝おうこくほう討伐のために挙兵すると、王廞に建武將軍、呉國內史の仮官位を授け、呼応するよう命じてきた。王廞はすぐさま兵をかき集め、王恭に合流しようとした。はじめに先に呉國內史を努めていた虞嘯父ぐしょうふらを呉興ごこうに向かわせ、大義をかざして募兵させる。集まった俠者たちは一万を数えた。その名目は、この争乱に便乗すれば、うまいこと金持ちになれるぞ、というものである。


しかしそれから十日もせず、王国宝らは処刑された。王恭もまた募兵権を返上。これによって王廞が集めた兵はただ集めただけで解散とするしかなくなった。王廞は大いに怒り、集めた兵で王恭を討伐せん、と動いた。対する王恭は副官の劉牢之りゅうろうしを派遣。曲阿きょくあにて戦闘となり、王廞軍が大敗した。王廞は逃れる兵に紛れ、その後の行方は知れない。


王廞の長子である王泰おうたいは王恭に殺された。末っ子の王華おうかは王廞の生死が不明であることからただ粗衣粗食のみを貫き、その後いとこの王謐おうひつより死亡の確定が伝えられ、初めて喪につき、その後出仕した。




劭字敬倫,三子:穆、默、恢。穆,臨海太守。默,呉國內史,加二千石。恢,右衞將軍。穆三子:簡、智、超。默二子:鑒、惠。義熙中,並曆顯職。

薈字敬文。子廞,歷太子中庶子、司徒左長史。以母喪,居於呉。王恭舉兵,假廞建武將軍、呉國內史,令起軍,助爲聲援。廞即墨絰合眾,誅殺異己,仍遣前呉國內史虞嘯父等入呉興、義興聚兵,輕俠赴者萬計。廞自謂義兵一動,勢必未寧,可乘間而取富貴。而曾不旬日,國寶賜死,恭罷兵符,廞去職。廞大怒,回眾討恭。恭遣司馬劉牢之距戰于曲阿,廞眾潰奔走,遂不知所在。長子泰爲恭所殺,少子華以不知廞存亡,憂毀布衣蔬食。後從兄謐言其死所,華始發喪,入仕。


(晋書65-8)




王華については、下手に斠注がどうこうと言うよりも宋書にリンクを貼ってしまったほうが早いでしょう。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054895306127/episodes/1177354054896508765


この、つくづくのとばっちりっぷり……王恭にひとの心はないのか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る