王珣4 死後のこと
「王珣は明察にして經史に通じ、その風流さは公人私人とを問わずに惹きつけました。誹謗にあいその才覚を十全に発揮こそできなかったものの、かの君子が朝廷におることで、多くの利益がもたらされたものでございます。この困難きわまりない時代にあって突如王珣を失ったことに、深く嘆息を禁じえませぬ。それは何も風流の極みを喪ったから、と言うだけではござらぬ。見通しのきかぬ道のりに吹き付ける風、降り積もる霜の厳しきを目の当たりとすれば、たとい明公のすべてを見通される目をもってしても「會居の故事」を繰り返すとお気付きになるに過ぎぬでありましょう。いま、王珣のために悲しんでおる余裕なぞまるでございませぬ。しかし溢れ出すこの思いは、どうにも留めようがないのでございます」
桓玄が実権を握ると、王珣の追贈官位が司徒に引き上げられた。
「謝公の弔問に出たいのだ」
当時病床にあった王獻之は驚いて跳ね起き、言う。
「まさしく、君にそれを望んでいたのだ」
王珣は謝安の葬儀に赴くと霊前で号泣した。ただしその後は喪主である
王珣には五人の子がいた。
桓玄與會稽王道子書曰:「珣神情朗悟,經史明徹,風流之美,公私所寄。雖逼嫌謗,才用不盡;然君子在朝,弘益自多。時事艱難,忽爾喪失,歎懼之深,豈但風流相悼而已!其崎嶇九折,風霜備經,雖賴明公神鑒,亦識會居之故也。卒以壽終,殆無所哀。但情發去來,置之未易耳。」玄輔政,改贈司徒。
初,珣既與謝安有隙,在東聞安薨,便出京師,詣族弟獻之,曰:「吾欲哭謝公。」獻之驚曰:「所望於法護。」於是直前哭之甚慟。法護,珣小字也。珣五子:弘、虞、柳、孺、曇首,宋世並有高名。
(晋書65-4)
會居の故
わからん。なんだこれ。「昔あった会居みたいな事態の只中にあることにあんたも気づきなさいよ」的ニュアンスかとは思うのだが、どこの故事を指してるのか不明。
■斠注
『世說新語』品藻篇には、王珣が病でふせっていたとき、いとこの
王坦之は謝安とともに
謝安をライバル視する王珣としては、父が謝安以下などとは到底認められないでしょう。ましてや王坦之、
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054891217479
宋書王弘伝や
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888050025/episodes/1177354054889868781
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