道子元顕18 遺児……か?
やがて
「亡き
いま、玉座が我らの手に戻り、世の秩序が取り戻された。ならば国体を明らかとし、旧典に則り式辞を整えるべきであろう。よって司馬道子様には丞相を追贈、殊禮を加えること
司馬道子様の墓所は薄暗く、また薄葬がなされていた。とても位ある方の墓所とは呼べぬ。南道を清めて再整備し、神柩を奉迎せよ。司馬元顕様の墓所も改めて移し替えよ。太史令に吉日を占わせ、改葬を実施せよ」
この指令によって
404 年になり、ようやく王妃陵への合葬がなされた。司馬元顯には忠と諡がなされた。
しかし
結局司馬修之が再び会稽王となったが、子がないまま死んだため、会稽王国は廃された。
及玄敗,大將軍、武陵王遵承旨下令曰:「故太傅公阿衡二世,契闊皇家,親賢之重,地無與二。驃騎大將軍內總朝維,外宣威略,志蕩世難,以甯國祚。天未靜亂,禍酷備鐘,悲動區宇,痛貫人鬼,感惟永往,心情崩隕。今皇祚反正,幽顯式敘,宜崇明國體,以述舊典。便可追崇太傅為丞相,加殊禮,一依安平獻王故事。追贈驃騎為太尉,加羽葆鼓吹。丞相填塋翳然,飄薄非所,須南道清通,便奉迎神柩。太尉宜便遷改。可下太史祥吉日,定宅兆。」於是遣通直常侍司馬珣之迎道子柩于安成。時寇賊未平,喪不時達。義熙元年,合葬于王妃陵。追諡元顯曰忠。以臨川王寶子修之為道子嗣,尊妃王氏為太妃。義熙中,有稱元顯子秀熙避難蠻中而至者,太妃請以為嗣,於是修之歸於別第。劉裕意其詐而案驗之,果散騎郎滕羨奴勺藥也,竟坐棄市。太妃不悟,哭之甚慟。修之復為嗣。薨,諡悼王,無子,國除。
(晋書64-22)
これは、うーん、これかなあ。
https://kakuyomu.jp/works/16816452219408440529/episodes/16816452220324314827
ともあれ、これで司馬道子司馬元顕が終了。いやあ、たっぷりねっぷり書いてくれていてありがたかったですが、正直
ほんに晋末宋初って「お前たちが書くべき箇所はそこじゃねえ」感が凄まじくてイライラしてきます。この辺の時代、小説しか書く気なくないきみたち?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます