道子元顕8  世子元顕

司馬道子しばどうしの嫡子、司馬元顯。王国宝おうこくほうまわりの騒動が起こっていた頃十六歳であったが、すでに侍中に任じられていた。内心で王恭おうきょうを憎んでおり、父に対して討伐すべく訴え出る。そこで司馬元顕は征虜軍将軍に任じられ、衛将軍府、徐州刺史府の文官武官がことごとく預けられた。


同じ頃、司馬元顕の母が死亡。孝武帝は詔勅を下す。


会稽かいけい王妃の尊さ、賢さは無二であり、実母のようにも慕っていた。葬礼に際してはいにしえの琅邪ろうや王、司馬抽しばちゅう様の妃にあらせられた諸葛しょかつ太妃と同様に執り行え。

司馬元顕は早くから大任を負い、朕も信任を置くところではあるが、その厚き孝心を思えば、その心痛を取り除くことは難しかろう。

なれど春秋にも載る通り、家のことをもって王の補佐を辞退することは許されぬ。また時が下っても、プライベートを理由に公の取り決めを破らないとも記されておる。このために閔子騫は喪服のまま職務につき、「○山王(おそらく過去の国の中山王、恒山王辺かと思われるが 詳細不明)」も迫られることで膝を屈した。

宮中の規範を親しき者にて固めることで、また外部の教化も進もう。哭泣の礼はいつでも示し得よう。賢哲はなすべきことの優先順位を知るものである。妃の葬儀が済み次第、速やかにもとの職務に復帰するように」



道子世子元顯,時年十六,為侍中,心惡恭,請道子討之。乃拜元顯為征虜將軍,其先衛府及徐州文武悉配之。屬道子妃薨,帝下詔曰:「會稽王妃尊賢莫二,朕義同所親。今葬加殊禮,一依琅邪穆太妃故事。元顯夙令光懋,乃心所寄,誠孝性蒸蒸,至痛難奪。然不以家事辭王事,《陽秋》之明義;不以私限違公制,中代之變禮。故閔子腰絰,山王逼屈。良以至戚由中,軌容著外,有禮無時,賢哲斯順。須妃葬畢,可居職如故。」


(晋書64-12)




わか

らん

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