八王裔3 司馬越

八王はちおうの乱を制した司馬越しばえつは、字を元超げんちょうという。司馬懿しばいの甥である司馬泰しばたいの次男だ。八王の乱ののち懐帝かいていより警戒され、配下らを率い亡命を志したところで死亡。その妻である裴はい。る氏もまた洛陽らくようよりの脱出を試みたのだが、人買いにさらわれ、氏に売られた。元帝げんていが即位して間もなくの頃、なんとか江南こうなんの地に逃れることがかなう。


裴氏は司馬越の魂を江南の地に呼び寄せ、弔いたいと願い出る。しかし却下された。そこで独断で再び長江ちょうこうを渡り、廣陵こうりょうに墓を立てた。その墓は数年後に取り壊され、改めて丹徒たんとに立てられた。


元帝、裴氏の願い出を却下こそしたものの、そのふるまいは徳あるものであると深く感じ入り、しばしば裴氏の屋敷に赴いた。一方では自身の三男である司馬沖しばちゅうを司馬越の後継として東海とうかい王につけた。


司馬沖が子なくして死ぬと、成帝せいていは末っ子の司馬奕しばえき、つまり後の廃帝はいてい海西公かいせいこうに継がせた。

哀帝あいていが即位すると、その弟の司馬奕は琅邪ろうや王に転じ、東海王の祭祀を継ぐものがいなくなった。

安帝あんていが即位すると、いとこの司馬元顕しばげんけんの次男、司馬彥璋しばげんしょうが東海王に封じられた。桓玄かんげんによって父もろとも殺されると、東海国は廃された。




東海孝獻王越,字元超,高密王泰之次子也。永嘉五年,薨于項。妃裴氏出自京邑,從者傾城,所經暴掠。裴妃為人所略,賣于吳氏,太興中,得渡江,欲招魂葬越。下詔不許。裴妃不奉詔,遂葬越於廣陵。太興末,墓毀,改葬丹徒。元帝鎮建鄴,裴妃之意也,帝深德之,數幸其第,以第三子沖奉越後。薨,無子,成帝以少子奕繼之。哀帝徙奕為琅邪王,而東海無嗣。隆安初,安帝更以會稽忠王次子彥璋為東海王,繼沖為曾孫。為桓玄所害,國除。


(晋書59-3)




諡が色々妄想掻き立てられてアレですね。この感じだと、孝獻王の追贈は間違いなく東晋元帝によるものですし。ここで元帝の子に東海王を祀らせるってのは、「それだけ東海王を重んじた」って意味でいいんでしょうかね。この辺王承おうしよう伝チラ見すると少し違うかなあ。


あと気になるのが、司馬元顕への追贈。これは劉裕りゅうゆう政権でないとできないですよね。まぁ「司馬元顕を裏切って桓玄についた」劉牢之りゅうろうしの振る舞いを否定している以上、理屈としては司馬元顕を否定していることにはならないのか。


劉裕が司馬氏諸王をどのように圧迫したか、は今度調べてみたいなあ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る