あなたは国を救う便器です

天西 照実

第1話 とんでもない始まり


『あなたは、これから便器になります』


 突然、その声は僕の頭に響いた。

 ここはどこか。声の主は誰か。そんな事より……。

 いま、とんでもない事を言ったのではないか?


『あなたには、意志をもつ便器となってもらいます』

「……便器になれって、卑猥な話じゃないですよね」

『あ、違います、違います。普通の陶器の便器です』


 言葉は通じるらしい。

 とりあえず、この状況の説明を求めた。

「なに言ってんですか?」

『私はトイレの神。ニッホン国を見守り、トイレの守護をしています』

 透き通った声が言う。しかし、その姿は見えない。

「……ここは、日本なんですか」

 周囲を見ても真っ暗だ。いや、黒い空間だろうか。

 自分の姿は見えるが、宙に浮いているような感覚だ。

 僕は自分の手を見下ろした。

 光もなく、なぜ自分の手が見えるのだろう?

『ここはニッホン国。あなたの住んでいた日本とは異なる世界です。ただ、八百万やおよろずの神がいる事は共通しています。トイレの神である私の話も、受け入れやすいものと思いましてね』

「まあ、トイレの神様は有名ですよね」

『あら、嬉しいこと』

 トイレの神という女性はフフッと笑った。

 その姿は見えないが、優しげな声がすぐ近くから聞こえる。

『ニッホン国では前王が亡くなり、第一王子が王位を継承しました。ですが元々、なんのある王子だったのです。新体制に伴い王室付きの魔女も代替わりしたのですが、新王は魔女が美しくないと笑い、肥溜こえだめの魔女などと発言したのです』

 そう言って、トイレの神は溜め息をついた。

「こえだめ……」

『怒った魔女は、恐ろしい魔法を発動させました』

「呪いの魔法ですか?」

『その魔法は、国中の便器を消してしまうというものでした』

「……は?」

『トイレという概念ごと消えてしまいそうだったのです。なんとか地下や水に関わる神々の力を借りて、下水設備は守ったのですが、地上の便器が全て消えて――』

「待って下さい。僕に、実際に使われる便器になれって言うんですか」

『その通りです』

 即答だ。

「その通りなんですかっ?」

 僕も、即オウム返しした。

『国民は、新しい便器を作りました。ですが、新たな便器も破壊する魔獣が召喚されてしまったのです。魔女の怒りが鎮まるまで、魔獣から逃げつつ求める人々の元へ駆けつける、意志をもつ便器が必要なのです』

「意志をもつ便器……」

 トイレの神様とやらは、いたって真面目な声で話しているのだ。

「便器ひとつで、国中の排泄物を受け止めろとでも?」

 と、聞いてみる。

『あなたの仲間は99人います。あなたを含めて100人の便器です』

「100人の便器……」

 オウム返し以外、反論する言葉も思いつかなかった。

『女性もあなたを使いますよ』

「――!」

『座られたいでしょう?』

 その声に、笑いが含まれている。

「……いや、いやいや。トイレの神様でしょう? だめでしょ、普通にそんなの。僕、成人男子ですよ!」

『便器に目はありません。触る手もありません。魔獣から逃げられると言っても、その便器の性別を気にする人はいないでしょう』

「普通の便器に逃避本能を埋め込むとか出来ないんですか。あなた神様でしょ?」

『我が国の神は万能ではありません。何度も言いますが私はトイレの神ですよ。万能など求められても困ります』

 小さな溜め息をもらしてから、

『洋式便器で良いですか。和式便器でも構いませんよ』

 と、トイレの神は聞いた。

 全く頭は働かなかったが、

「……座れる方でお願いします」

 と、僕は答えていた。

『洋式便器ですね』

「でも、魔獣って……」

川谷かわや十入とい。八百万の神が見守っていますよ……』

 声が遠ざかっていく。

 暗闇が突然、白い光に包まれた。



 魔獣から逃げながら、トイレを求める人々を救うことになるらしい。

 ……もちろんまだ、何も理解できていない。

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