第二章 第五話 ~ 虐殺 ~


 戦いが終わって戦斧を下ろした俺は、武器を振るい続けた所為で焼け付くような熱を持った右腕をさすりながら、溜息を一つ吐き出す。


 ──ま、幾ら敵だからって……無理に殺すこともない、か


 その結論は実のところ、ただの思考放棄でしかなかった。

 実際問題、戦争経験などない俺が、捕虜の扱いなんて知っている筈もない。

 だからこそ、捕虜交換やら身代金やら、そういう処理を、サーズ族たちが適当にしてくれると信じていた……いや、そう思い込んで捕虜から視線を逸らしたのだ。

 ……だけど。


「くたばれっ!

 べリアのうす汚ぇクズ共がっ!」


「ぎゃあああああああああ!」


 すぐ近くにいたサーズ族の男が突然、俺に向けて命乞いをしていたべリア族の男に槍を突き刺していたのだ。

 腹を刺されたソイツは、悲鳴を上げ血と臓物を周囲にまき散らしながらのたうち回り、必死に零れた内臓を拾い集めようともがいていたが、その内悲鳴を上げる体力も尽きたのか静かになり……やがて動かなくなってしまう。

 さっきまで生きていた人間が物言わぬ死体へと変わった事に驚いた俺がふと周囲に視線を向けてみれば……いつの間にやら周囲ではサーズ族の手によるが始まっていた。


「やめ、やめてくれぇええええええええっ!」


「いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだぁああああああああっっ!」


「神よ、神よ神よ神よっ!

 助けたまえっ!

 助けてくれぇええええええっっ!」


 怪我の所為で逃げ遅れたのか、それとも恐怖に足が竦んだのか、もしくは先ほどの男のように降伏しようとしたのか……どんな理由かは分からないが、この場に残っていたべリア族の戦士たちは、この世の終わりを思わせるような断末魔の叫びを上げながら、次から次へと物言わぬ死体へと変わっていく。

 それどころか、建物の中にいた戦えない怪我人たちも、サーズ族の戦士たちが次から次へと建物から乱暴に引きずり出し、その場で処分し続けている。

 ……いや、ただ命を奪うのではない。

 サーズ族の戦士たちは、戦えないべリア族の男たちが、腹を裂いたり突き刺したりして……なるべく苦痛と恐怖を味わわせて死ぬようなやり方を選んでいるのだ。


「なん、だよ、これは……」


 その光景を、俺は呆然と見つめていた。


 ──この戦いは、弱いヤツを救う戦いじゃなかったのか?


 ……俺が武器を取ったのは。

 ……滅びに瀕している、哀れなサーズ族をためであって。


 ──決してこんな……一方的な虐殺に加担するためでは……


 ただ「水が飲みたかった」という理由でこの戦いを提案し、先ほどまで嬉々としてべリア族を殺していたにも関わらず、俺の頭にはそんな言い訳が浮かんでいた。

 現実は血みどろの、臓物まみれの一方的な虐殺をしていたにも関わらず、俺は心のどこかで「自分の虐殺」は正当化したかったのだ。

 そして、自分の中の言い訳がようやく形になったその瞬間、俺は大きく声を張り上げていた。


「お、おいっ、止せっ!

 こんな……戦えないヤツらを殺すなんて!」


「ですが、我々にはコイツらを生かすほどの水も食糧もございませぬ。

 破壊と殺戮の神よ」


 必死に虐殺を制止しようとした俺の叫びに、バベルの副官らしきロトという名の男は、返り血まみれの壮絶な顔を拭いもせず、淡々とそう答えを返す。

 その言葉を聞いた俺は……先ほどまであった筈の、自分を正当化させるための道理があっさりと崩れ去ってしまったのを感じていた。


 ──ああ、そうだった。


 これは、そういう殺し合いなのだ。

 水と食料の奪い合い……命の奪い合い。

 サーズ族とべリア族の……生きるか死ぬかの、生存競争。


 ──捕虜に分け与えた所為で水と食糧が減れば、自分の家族が飢えて乾いて死ぬかもしれない。


 ここは、そんな世界だった。

 ……飢えと渇きに無縁の平和な時代からやってきて、なんて、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる彼らに通用する筈もない。

 だったら……非戦闘員だろうが負傷者だろうが、やはり敵は殺すしかないのだろう。

 その彼らなりの道理を理解した瞬間、俺の中にはもう……彼らを止める言葉は存在しなかった。


「助けてくれぇええええええああああああ!」


「あああ。

 嫌、だぁあああああ」


「やめやっやめっやっやめっああああああ!」


 俺がそうして虐殺を止めるのを躊躇っている間にも、あちこちで命乞いの悲鳴が上がり……それらはすぐにただの断末魔へと変わっていく。

 正直、あまり気分の良いBGMとは思えなかった。


 ──だけど、これを止める訳にもいかない。


 それくらいは……幾ら頭のあまり良くない俺であっても、サーズ族の現状を知っている以上、何となくは分かる。

 とは言え、一応なりとも自分なりの正義感を持ち、虐殺を悪だと信じている俺は、狂乱に満ちた目の前の血祭りに参加する気にはなれず、走った疲れもあって近くの石に座り込んでいた。

 それから10分ほどの間、悲鳴から意識を逸らしつつ俺がぼんやりと座っていただろうか。

 気付けば周囲から聞こえていた悲鳴がいつの間にか鳴りやんでいた。

 それに気付いて立ち上がった俺の下に、同時に返り血にまみれたロトが駆けてくる。


「っと、こんなところにおりましたか。破壊と殺戮の神よ。

 すぐさま追撃に移りましょう!」


「……追撃、ねぇ」


 目を血走らせたまま俺を戦場へ急き立てるロトの言葉に、虐殺を目の当たりにしてしまった俺は少しだけ躊躇を覚える。

 先ほどまで続いていた一方的な暴力を見て、ちょっとだけ気分が悪くなったのと……そして、逃げてしまった連中を追いかけるのは正直疲れそうだと思ったのも、俺が躊躇った理由の一つだろう。

 ……と言うか、一度座り込んでしまったこともあって、少し腰が重い。


 ──やっぱり、勝利した今だからこそ敵兵力を出来るだけ減らすべきか。


 何で得た知識だったか……追撃戦こそ敵に最も被害を与えられるという記憶が俺の中には確かにある。

 ただし、戦いに赴く前には既にボロボロだったサーズ族の戦士たちは、今は血に酔っているかもしれないが、恐らく疲労の極致にあるのは確実であり、無理な追撃を行えば確実に損害が増すことだろう。

 いや、それ以前に……


 ──走ると咽喉が乾くんだよな。

 ──それでもここは無理をするべき、なのか?


 副官であるロトの声に、俺がそう悩み始めた……その時だった。

 駐屯地から逃げ出したべリア族の兵士たちへ追い打ちをかけるように、バベル率いる主力部隊が突っ込んでいく。

 どうやら彼らは虐殺をさっさと切り上げ、追撃戦へと移ったらしい。


「破壊と殺戮の神よ、今の内です!

 我々もバベル殿と共に、連中に痛打を与えましょう!」


「……そう、だな」


「そうです!

 此処で連中を叩いておかないと、べリア族の本体と合流された時、厄介になります!」


 勢いと状況に押され消極的に頷いた俺を見て、ロトが畳みかけるようにそう詰め寄ってくる。

 その声に、他のサーズ族の戦士たちも血に酔った顔のまま叫びを上げてロトの声に同意を示す。

 そして何よりも……彼の言葉は至極当然で説得力があったのが決め手だった。


 ──ああ、そうだ。

 ──この一戦で戦争が終わる訳じゃないのだ。


 此処はあくまでも彼らサーズ族の元の居住区でしかない。

 つまり、此処にいたのはあくまでもサーズ族を殲滅するための程度。

 今、背を向けて逃げていく兵士たちを放っておくと、彼らが次に戦場に出てきた時に殺されるのはサーズ族たちの方になってしまう。

 ……しかも、その次に殺されるのは、あの神殿で俺を拝んでいたような、武器を持たない女子供や老人たちなのだ。


「……行くか」


 その納得によって重い腰を上げた俺は、血にまみれた戦斧を肩に担いで立ち上がると、戦場へと向かい地を蹴り始めた。

 走って向かうなんて非効率な行動は、咽喉が渇いて正直遠慮したいのだが……咽喉が多少渇いても、敵の死体から水筒をぶん奪ればそれでチャラだと思い直したのだ。


「……ん?

 なんだ、ありゃ」


 そうして俺たちがようやくバベルたちの追撃部隊に追いつこうとした、その時のことだった。

 べリア族の残党とバベルたちが戦っている場所のまだ先……丘の向こう側から二頭の馬に似た生き物が走って来ている。

 いや、馬だけ、じゃない。

 馬の上に乗っているのは……


「おんな、のこ、か……ありゃ?」


 その二頭の馬にそれぞれ乗っている二人は、遠くから見ても一目で分かるほどだった。

 顔形までははっきりと分からないものの、長い金髪を風になびかせ白いドレスと白銀の甲冑を身にまとった彼女たちは、戦乙女もかくやと言わんばかりに長いスカートを穿いている、という……血と臓物と汗が散らばり、野郎共が血を血で洗うような戦場には、明らかに場違いな存在だった。


「……なんだありゃ」


「べリア族の最強の兵士。

 創造神ラーウェアの戦巫女ども。

 ……我らの天敵、です」


 思わず零れ出た俺の問いに、ロトが憎悪と恐怖が入り混じった、咽喉の奥から何とか絞り出したような声でそう答える。

 「戦場で女性が活躍できるのか」いう俺の至極当然の疑問は、俺の目の前であっさりと打ち砕かれていた。

 何しろ、騎上から繰り出された彼女たちの槍が、サーズ族の戦士たちを次々と血祭りに上げて始めたからだ。


「急いで下さいっ! 

 貴方様以外ではバベル殿しか、アイツらとは戦えないのですっ!」


 ロトの口から漏れ出たその悲鳴は正しかった。

 追撃していたハズのバベル率いるサーズ族の主力部隊は、たった二騎の騎兵に良いように掻き乱され、いつの間にか足が止まってしまっている。

 唯一戦えるというバベルは、追撃部隊の最先端にいた所為で自由に動かず、彼女たちの対応に向かえない。

 その挙句、総崩れを起こしていた筈のべリア族が、気付けば戦場の少し遠くで陣を立て直し始めている始末である。


「……ちぃっ!」


 ──このまま放っておくと、あちら側が全滅するっ!


 俺は舌打ちを一つすると、足に力を込めて全力で戦場へと走り始めたのだった。

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