第二章 第四話 ~ 水場 ~


 奪われた水場……サーズ族の元居住区は思ったよりも近くにあった。

 直線距離で考えると、徒歩で二時間ほど、だろうか。


 ──絶滅寸前だってのに……敵がこんなに近くに居て大丈夫なのかよ。


 第三者でしかない俺なんかはそう考えるのだが、どうやらサーズ族たちはべリア族に奪われた居住区をすぐに取り戻せるように……いや、生きるために絶対に必要なからこそ、「これ以上遠くに逃げられなかった」のが正解らしい。

 そして、小高い丘から眼下に見える元居住区とやらは簡単な石造りの家が百近く並んでおり……一部は先の戦闘で壊れたままだったが、べリア族はその奪った居住区の家を占拠して駐屯地にしているようだった。

 連中は油断していると言うよりも、もはや戦う力すらないサーズ族からの反撃を殆ど考慮していないらしく、その居住区の防衛と言えば、簡単な木の柵……拒馬槍とかいう尖った木を×の字に組み合わせたヤツ……を居住区の周りに幾つか並べ、二つある小さな櫓にそれぞれ一人ずつ見張りを立たせているだけという、非常に簡素なものだった。


「じゃ、作戦通りに進めるぞ」


「ああ、了解した」


 俺の言葉にバベルたちが頷く。

 俺はと口にしたものの、彼らの戦術は作戦と名付けるのも烏滸がましいほど単純なものだった。


 ──俺を始めとするサーズ族40名弱が敵陣に突っ込んで陽動する。

 ──その隙を突いて側面に回り込んだバベル率いる主力が襲い掛かる。


 ……ただそれだけである。

 連中を追い出せば、最低でも水場の確保が……上手く進めば連中の糧食や武器なども手に入るに違いない。

 バベルが提案したこの作戦を聞いて、戦士たちの一部からは寡兵を分けることへの反対意見も出たものの、相手が先の敗戦で意気消沈している上に、こちら側の攻撃を想定していない今なら、挟撃による動揺を誘った方が効果的……らしい。

 俺も何作か戦略ゲームを齧っているものの、この世界の戦略には疎く……それに幾ら魔法の戦斧と鎧を手にしているとは言え、新参者でしかない俺に意見なんて言える訳もない。

 とは言え、「連中から物資を略奪しよう」と言い出したのは俺自身であり、だからこそこうして陽動部隊の最前に立っている、という訳だ。


「さぁ、行くぞ行くぞ行くぞ行くぞ」


 これから戦場となる居住区を睨みながら俺はそう呟くものの、身体が思うように動いてはくれなかった。

 先の戦いの通り、一切の矢を通さなかったラメラーアーマーは着ているし、人間を簡単に真っ二つに叩き切った戦斧の感触はこうしてしっかりと両手の中にあるというのに、だ。


 ──大丈夫。勝てる。

 ──俺は、無敵だ。


 心の中でそう呟くものの、やはり俺の中では戦場へと飛び込む踏ん切りがつかない。


 ……つく訳がない。


 これから、戦いを始める……要するに人を殺すのだ。

 訳が分からないままに最前線に立たされ、怯えて竦み、状況に右往左往している内に血に酔って暴れ回っただけの前回とは違う。

 俺自身の意思で武器を振るい、この刃を突き立る……動いている動物を、意思ある生き物を、喋っている人間を屠るのである。

 戦争と人殺しを忌避する環境に育った俺にとって、人間を殺すと決断すること自体がとてつもない禁忌に他ならない。

 いや、それ以前に……べリア族とやらを人間として見ず、ただの敵でしかないと自分を騙したところで、スーパーに行けば肉や刺身が置いてあるような、狩りや屠殺とは縁遠い生活をしていた現代っ子の俺には……人を殺すどころか「生き物を殺す」行為ですらひどく抵抗があるのだ。

 だからこそ俺は、ただ戦斧を握ったまま、ただかみ合わない歯と震える膝を必死に押し殺すだけで精いっぱいだった。


 ──っ!


 そうしている間にも、居住区を挟んで反対側にある丘からキラキラと鏡が太陽光を反射してくる。

 それはバベルが率いていた向こうの主力部隊も突入の準備が出来たという合図であり……俺が覚悟を決めるための猶予期間が終わったことを意味していた。


「あの、破壊神、どの?」


「……あ、ああ」


 合図に気付いたらしき部下として付けられた一人……前にバベルの隣に立っていたもう一人の男でロトという名前らしい……その男が、俺の動揺が伝染したかのように、不安げな声をかけてくる。

 その言葉を聞いて、俺はようやく我に返る。


 ──ああ、そうだった。


 ……少なくとも今は、俺がコイツらの命を預かっているのだ。

 部族全員が滅亡寸前に立たされている彼らの視線は、俺を……俺だけを最後の希望として信じ切っていた。

 そんな簡単なことで、友達もおらず誰にも頼りにされることもない日々を過ごしていた俺は戦場に立つ恐怖よりも人殺しへの禁忌よりも……

 ただ「誰かの役に立ちたい」という人としてはに分類されるだろう感情に突き動かされ、気付けば俺はこれから戦場になる居住区へと走り出していた。


「いくぞぉおおおおおおおおおおっ!」


 そうして走り出してしまった俺は、身体の震えを誤魔化すようにそう吠える。

 恐怖を忘れるよう無我夢中に叫びながら、一心にただ両足を動かしながらも……俺は自分が無敵であることを確認するかのようにラメラーアーマーの感触を確かめる。


 ──大丈夫。

 ──俺は、無敵だっ!

 ──絶対に負けない、死なないっ!


 心の中でもう一度叫んだ俺は、連中の居住区にあった邪魔な拒馬槍を戦斧の一撃で薙ぎ払うと、連中の陣地へとなだれ込む。


「て、敵襲~~~っ!」


 見張り台の上で鳴らされる銅鑼を耳触りに感じた俺は、見張りの立っていた櫓ごと叩き壊すべく力を込めて戦斧を振るう。

 大人の胴ほどもあるその丸太組みの見張り台は、俺の戦斧の一撃であっさりと砕け散っており……その一撃によって敵襲を知らせる銅鑼の音はぴたりと鳴り止んでいた。


「うぁあああああああああっ」


 とは言え、砕けた櫓から落ちていく兵士の悲鳴は止められる訳もなく……その哀れな男の叫び声は残念ながら居住区中へと銅鑼と大差ない音量で響き渡ってしまう。

 実のところ、俺たちは夜襲をかけたって訳でもなく……そもそも俺たちは陽動なのだから目立つことこそが目的なのだが。


「くそっ! こいつらっ!

 サーズ族の分際で調子に乗って攻め込んでくるとはっ!」


 俺たちに気付いたのだろうべリア族の兵士たちが、そう吐き捨てながらぞろぞろと家々から出てくるのが見える。

 もう居住区に飛び込んだ俺の目に全体が見える訳でもないのだが……恐らく彼らの数は百を超えるほど、だろうか。

 ……だけど。


 ──全員、前と比べると装備が甘いっ!

 

 前の戦闘ではほぼ全員が金属鎧を着ていたというのに、今日の連中は武器こそ手にしているものの、鎧を着ているヤツなんて半数にも満たない。

 戦列も組まれておらず、ただ戦士たちがばらばらに散らばっているだけだ。

 そんな連中の様子を見る限り……どうやら奇襲は完璧な形で成功したらしい。


 ──しかし、コイツら。


 前の戦いでは鎧を着込んでいたから分からなかったが、こうして見ると……べリア族というのはどうやら金髪碧眼に白い肌の民族らしい。

 赤銅色の肌と褐色の髪であるサーズ族と毛色が違うことも、こうして交渉の余地もないほどの戦争状態になった原因でもあるのだろう。


 ──っと。


 そんなことを考えていた俺は、首を振って不要な思考を振り払う。

 何しろ、既に敵は剣を抜いて襲い掛かってきているのだから、要らぬことを考える暇などありはしない。


「ぅおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 俺は自分を奮い立たせるために叫ぶと同時に、向かってきた兵士の一人に向けて、大上段から全力で戦斧を叩き付ける。

 ドンッという鈍い音と共に、あっさりと兵士はその手に持っていた剣ごとその身体を真っ二つへと分かたれていた。

 さっきまで生きていた兵士を瞬きの間に肉塊へと変えてしまったその一撃を……人間が脳味噌も肉塊も骨粉も臓腑も血も服すらも混ざり合った物体へと変化させたその一撃を目の当たりにしたべリア族の兵士たちは、先ほどまでの威勢を瞬時に失い、立ち竦んでしまう。

 尤も、俺自身もそのあまりの惨状に怯み、必死に自分が作り出したグロい肉塊から目を逸らす羽目に陥っていたが。

 直後、吐き気を催すほど濃厚な血と臓物の匂いが周囲へと広がって行く。

 その匂いが……この場所が人の死ぬ、命のやり取りをしている戦場であることを俺に実感させてくれていた。


 ──そして、気付く。


「う、うわぁああああああああっ!」


「甘いわっ!」


 恐怖で錯乱したのか悲鳴を上げながら手にした槍で我武者羅に突きかかってきた男の一撃を、俺は鎧で受け止め……同時に戦斧をソイツの胸へと叩きつける。

 軽く振るったその一撃だけで、男は2メートルを超えて吹っ飛んだ挙句、口から血の泡を吹いて明らかに助からないだろう痙攣を始めていた。


 ──命のやり取りをしている戦場の中で、この装備をつけている俺は唯一命のやり取りの外にある。

 ──つまり無敵である、ということを。


「どうしたぁっ!

 かかってきやがれぇええええええぇぇっっ!」


 無敵という、この場の誰よりも自分が強いという確信が持てた瞬間、俺は恐怖から解き放たれ、血と臓物の匂いに酔いながらそう吠えていた。

 そう叫んだ所為か、俺はようやく自らの咽喉の渇きに気付く。

 いや、渇きなんて可愛いものじゃない……それは今まで経験したことないほどに咽喉が焼け付く感触であり、叫ぶどころかもう息すらしたくないと思うほどの激痛だった。


「うぉおおおおお!」


「~~~っ!」


 咽喉の痛みに気を取られた一瞬の隙を狙って斬りかかってきた敵の頭蓋を、俺は力任せに振るった戦斧でまたしても敵の剣ごと叩き割る。

 頭蓋からこぼれでた眼球が宙を舞うという、ある意味シュールなその光景を眺めたその時に、俺はふと気付く。


 ──コイツら……腰のところに皮で出来た水筒を持ってやがる。


「は、ははっ。

 水だ、水」


 返り血と脳漿を浴びながらも、俺は頭蓋が割れて倒れ込もうとしている遺体を無造作に掴むと、その水筒を力ずくでもぎ取り。


「っぷはぁっ!」


 戦場のど真ん中にも構わず、ただ喉の渇きを癒したいその一心で水筒へと口をつけ、中の水を咽喉へと流し込む。


 ──生ぬるいし皮臭い。

 ──周囲に充満している血と臓物の匂いが吐き気を催す。


 だと言うのに、不味い筈のその水は、咽喉に臓腑に全身へと染み渡っていく。

 その一口は……今まで呑んだどんなジュースより、どんな水より、そして恐らくどんな美酒よりも美味いと思えるほど、最高の味だった。


「ふ、ふざけるなっ!

 小僧がっ!」


「……ははっ」


 戦場で水を飲むという無防備極まりない姿を晒す俺を放っておくほど、敵は優しくなく……隙だらけだった俺は、あっさりと敵の長剣による袈裟斬りを喰らってしまう。

 だが、この奇跡の力が込められている鎧の前ではそんな一撃など、気にするほどのこともない。

 現実問題、その男の渾身の一撃は、鉄の鎧の上から竹刀で叩かれたらこんな感じだろう程度の、肌の表面を撫でたくらいの衝撃しかなかったのだから。

 ……それどころか。


「馬鹿なっ?」


 相手が叩き付けてきた粗雑な長剣の方が砕けてしまう始末だった。

 幾ら粗雑な造りの錆びも浮いているようなボロ剣とは言え、そのあり得ない光景に相手の動きが完全に止まり……俺はその隙を逃さない。

 水を味わっているのを邪魔された怒りに加え、攻撃を喰らってしまった苛立ちもあり、俺はそのがら空きの胴目がけ戦斧を叩き付ける。


「……あ、しまった」


 身体ごと内臓をまき散らしながら吹き飛び、建物の壁で真紅の壁画と化した敵を見て、俺は思わず舌打ちをしていた。


 ──しくじった。

 ──ああなってしまったら……水が飲めないじゃないか。


 その男の水筒は砕け、臓物なんかと一緒に血だまりに沈んでしまっていて……残念ながら俺の知識には、混ざり合った血と水とを分かつ術などありはしなかった。


「ああ、もったいない」


「「「うわぁああああああああああああああ」」」


 次の瞬間、俺を取り囲んでいた敵からこの世の終わりのような悲鳴があがる。

 あの常識外れの一撃が……もしかしたら俺のバカみたいな鎧の強度の方かもしれないが、兎に角、俺という存在が彼らに恐怖心を呼び起こしてしまったらしい。

 その恐怖が周りへと伝播したのか、べリア族の兵士は一斉に俺へと背を向けると、秩序も何もなく全力での逃走を開始し始めていた。

 ……いや、違う。


「た、助けて下さい、神よ。

 俺たちは……」


 数名の兵士たちは武器を取り落して膝を折ったかと思うと、手を組んで俺を拝み始めやがったのだ。


 ──こういう場合、どうすりゃいいんだ?

 ──俺は捕虜の扱いなんて知らないんだが……


 とは言え、敵が逃げ始めてた以上、武器を持たないヤツを殺すことに躊躇を覚えた俺は、大きく息を吐き出すと……数多の命を奪い返り血にまみれた戦斧を、近くの壁へと無造作に立てかけたのだった。

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