第一章 第二話 ~ 滅びゆく民 ~



「現在この荒野では、我らがサーズ族と、憎きべリア族という二つの部族が戦をしております」


「……はぁ」


 俺の置かれた現状について懇切丁寧に話してくれる、チェルダーという名の山羊の骨を被った神官の話を、未だに放心状態の俺はただひたすらに聞き流していた。

 そんな他人事でしかない戦争の背景や、何処かすら分からない遠い国の現状なんかより、先ほど告げられた言葉があまりにもショック過ぎて、俺の脳みそはさっぱり回っていなかったのだ。


「ですから、我らが神……貴方様には、憎きべリア族を根絶やしにする手助けをお願いしたいのです」


 眼前の神官が頭を下げながら告げたその言葉を聞く限り、彼は心の底から俺にそう願っているのが分かる。

 だけど、そんな素性に興味もなく顔も知らない男の話よりも……俺は自身の未来の方が遥かに重要だった。

 色々と語ってくれたチェルダーとかいう黒衣の神官が口を閉ざした頃合いを見計らい、俺は必死に口を挟む。


「な、なぁ。

 あんたの事情は分かったけど……頼むから、帰してくれって。

 俺は戦いなんて出来やしないんだから」


「はっはっは、破壊と殺戮の神の化身である御身が何を申しますか。

 先ほどもその膂力の片鱗を披露されたばかりではありませんか」


 だけど……僅かな救いを求めて告げた割と真剣な俺の頼みは、俺に対して臣下の礼を取る神官に笑いながら一蹴されてしまう。

 ……さっきからこうなのだ。


 ──俺の言葉を聞きはするけど、取り合ってくれない。


 どう見てもこの辺り一帯は異国であるにもかかわらず、そして彼らは外国人そのものであるにもかかわらず、何故か言葉は通じていると言うのに……幾ら言葉を交わしてものだ。


「武器は何がお好みでございましょう。

 取りあえず戦斧をご用意しておりますが」


「……いや、だから」


 流されるまま俺は、黒衣の神官たちの持つ長柄の戦斧に目を向ける。

 ずしりと重そうな外見の『ソレ』は、二メートルほどの太い金属の棒で、その先端には凄まじく重そうな斧がついていた。

 どう見ても実用品に思えない重過ぎるだろう『ソレ』は、恐らくはこの神殿の飾りか何かであり……何とかこの戦で使うべく、錆に浮いていたのを雑に磨いたような光沢を放っている。

 だけどそんな飾りに等しい戦斧でも、人を殺傷し得る斧の刃だけはよほど綺麗に研いだのか……禍々しく鈍色に輝いていた。


「って、おい」


 そんな俺の身長を軽く超える長さの、とても扱えそうにない重過ぎる戦斧を、神官たちは数人がかりで俺の前へと持ってきたのだ。


 ──こんなものを俺にどうしろと?


 どう考えても持てる訳がないそんな超重量物を差し出された俺は、何も考えることなくただ言われるがままに『ソレ』を手に取ってみたのだが……コイツら黒衣の連中が数人がかりで何とか運んでいたのがまるで冗談のように、何故か軽々と持ち上がってしまう。

 戦斧を手にしたまま首を傾げている俺に向け、チェルダーという名の神官は憎悪にかすれた口調で言葉を重ねる。


「我らサーズ族は、今滅亡の危機に瀕しております。

 このところの戦いでは、実に連戦連敗。

 水場も猟場も畑も家畜も奪われ続け、唯一残されたこの神殿も今日の戦次第ではどうなることか」


 ……そう。

 俺があまり強く反発出来ないのも、チェルダーと神官たちの言うがままに血に濡れた手と顔を拭かれ、錆の浮いた小さい鉄板を貼り合せた鎧……恐らくラメラーアーマーとかいうヤツを胴と手足に着込んだのも……。


 ──彼の声色が必死で、追い詰められたギリギリのところで信仰に縋りついているのが分かったから、だった。


 勿論、その信仰の対象が俺なのだから、断りたくて仕方ないのが実情ではあるが……とは言え、友達が全くいなかった俺はそんな「断れない雰囲気」に押されてしまい口を開くタイミングも掴めないまま、ただ彼の後ろを付いて行くことしか出来ない。

 神殿から出ると、その先は街……と言うか集落だった。

 そこにいるのは数百名くらい、だろうか。

 赤銅色の肌とこげ茶の髪をした人々たち……それらの殆どが老人と女子供であり、若い男の姿なんてろくに見ることも出来やしない。

 挙句、全員がやせ細っており、五体満足な人間よりも怪我人の方が多い始末である。

 座り込んだ彼ら全員の目の光は絶望を映し、もうどうしようもない未来を憂い嘆いている……集落というよりもニュースで目にした難民キャンプの様相が一番近い。

 それが、彼らサーズ族の集落を一望した俺の抱いた素直な感想だった。

 そんな彼らの中を歩く俺たちに向けて、立ち並ぶ粗末なテントのような家々からは恐る恐る窺うような視線が投げかけられる。


「我々にはもうこの冬を越す食糧も、戦力すらも残っておりません。

 今、べリア族に攻め込まれると、我々は為す術もなく皆殺しに遭うだけでしょう」


「……っ」


 そんな話を聞かされながら、俺はボロボロの彼らの中を突っ切って歩いていく。

 彼らは何をどう誤解しているのか、山羊頭の神官に連れられた俺を見るなり、突如として跪くと両手を合わせ頭を垂れ。

 まるで、神に縋るように拝み始めたのだ。

 ……ただの無力な学生ガキでしかない、俺に向けて。


 ──こんなの、一体どうしろって言うんだ?


 これだけの人たちに縋られている状況を……段々逃げられなくなっている現状を理解しつつある俺は、内心で焦りまくっていた。

 正直、頼りにされるのは嬉しい。

 元々脛をかじるだけの学生でしかなかった俺は親に頼られることなどある筈もなく、学校でも頼られるような友達なんていやしなかったのだから。

 ……だけど、幾ら祈られたところで、俺には何も出来やしない。

 剣道をやっている訳でもなければ、喧嘩をした覚えもなく、運動神経に自信がある訳でもない。

 超能力がある訳でも、諸葛孔明のように軍略に秀でている訳でもない。

 ……いや。

 元々、何も出来やしないから毎日のように世界の破滅を、周囲の人間たちの死をのだ。。


 ──そんな俺に、何かを期待されても……


 結局、逃げる度胸もなければ誤解を解く声も出せない俺は、そのまま群衆の視線から逃げるように、彼らの顔を見ないように、必死に顔を伏せたまま歩く。

 そんな居た堪れない状況の中、十分も歩いた頃だろうか。


 ──何処なんだ、此処はっ!


 集落の外れへと歩いてきた俺は、ようやく顔を上げて周囲の景色を見渡し……内心でそう叫んでいた。

 見渡す限り、一面の灰色の丘とゴツゴツとした白い巨石が転がる、酷く荒れ果てた荒野しか見えないのだ。

 草木や川や、動物すらも見えやしない……まさに、荒れ果てた不毛の荒野という景色である。

 そんな、ゲームや映画では見たような景色であっても、こうして肉眼で目の当たりにしてしまえば、日本で生まれ育った俺にはただの見知らぬ遠い異国の、信じ難い光景に映ってしまう。

 むしろ、非現実的としか表現できない景色の所為か、俺が今この場所に立っていること自体、夢か幻の類だと錯覚しそうになっていた。

 だけど、先ほどから歩く度に踏んでいる小さな白灰色の砂は踏みしめる度にカサカサと崩れ……その足から伝わる感触が、肌を日の光が焼く感触が、そして鼻を突く乾いた空気が、この俺の置かれている状況が夢ではないと嫌でも教えてくれる。


「ああ、着きました、我らが神の化身よ」


 景色に呆然としたまま足を運んでいた俺がその声に我を取り戻すと、いつの間にか俺たちは百名余りの戦士の集団と合流してしまっていた。


 ──そこにいるのは男たちばかりだった。


 ほぼ全員が怪我をしていて、ボロボロの革鎧や毛皮を着込み、その手には錆びたまま手入れも怠っているような、粗雑な鉈や槍などを手にしている。

 しかもそんな武器を手にしている全員が、俺の素性と先ほどやらかした一連の経緯を知っているのか……まるで親の仇とばかりに俺を睨みつけてくるのだから生きた心地がしないとはまさにこのことだろう。

 その突き刺さるような殺気混じりの視線を正面から受け止めることも出来ない俺は、彼らと視線を合わせないように俯いて、ただ震えながらこの夢が醒めることを必死に願うばかりだった。


「……来たか」


「当たり前でしょう。

 我らが神の愉しみである戦が……破壊と殺戮が始まるのですから。

 では我らが主よ、後は彼らが貴方様をへと案内してくれるでしょう」


 チェルダーとかいう神官はそう告げると、案内は終わったとばかりに俺を置いてその場から立ち去ろうとする。


「ちょ、ちょっと」


 殺気立った男たちの間に取り残されてしまった俺は、唯一の顔見知りであり頼れる相手だったチェルダーの背中を追いかけるべく声を上げる。

 ……だけど。


「貴様はシュアルの仇だ。

 ……逃げれば、儂が貴様のそっ首を叩き斬る」


「~~~っ!」


 何気なく告げられた巨漢のその一言を聞いた瞬間、俺の両足はあっさりと大地に縫い付けられてしまう。

 俺は、男が放った殺気に呑まれてしまい、足先すら動かせなくなっていた。

 ……いや、違う。

 恐怖のあまり、両足を動かすどころか、足先の感覚すらもが感じられない有様だったのだ。


「おいおい、こんな餓鬼が一体何の役に立つんですか?」


「ビビりまくってるじゃないですか、頭」


「知るか。

 恐怖でトチ狂ったあのイカレ共が何を考えているのかなんざ、儂に分かる訳もないだろうが」


 バベルという大男が吐き捨てたその言葉に、何が面白いのか武装した男たちは大声で笑い始める。

 何も分からない、何もできない無力な俺にはその笑い声すら恐ろしく、ただ脅えることしか出来ず……この場から逃げようにも足は震えるばかりで全く動こうとせず。

 ……俺はただ、持たされた戦斧を握りしめ固まっていることしか出来なかったのだ。


「まぁ、最前線で矢避けくらいにはなるだろう。

 ……ほら、来たぞ」

 

 遠くを眺めながら告げた巨漢のその言葉が響き渡った瞬間、男たちの雰囲気は一変していた。

 笑い声は瞬く間に止み、先ほどまでと違って張り詰めた空気が辺り一帯を支配する。

 正面の小高い丘には、いつの間にやら土煙が上がっていて……その巨大な土煙は映画なんかで見かけた覚えのある、まるで大勢の人間が怒涛の如く押し寄せているシーンで流れていたものに似ている、ような……


「クソ垂れ流すしか能のない連中、薄汚いべリア共がっ!」


 俺には、真横にいるハズの巨漢がそう毒づいた呟きが、何処か遠くで呟かれたように聞こえていた。

 この状況が……いや、そもそも今俺の立っている場所すら、まるで現実感がない。


「何だなんだなんだなんだなんだなんだ……」


 俺は真正面の土煙を呆然と見上げ、現実逃避気味にそう呟くことしか出来なかった。


 ──だって、仕方ないだろう?


 その巨漢が言うところのべリア族という連中は、ざっと見て千や万もいそうな軍勢で、丘の上からどんどんどんどん土煙を上げて向かってきているのだ。

 視認できる距離まで近づいてきたべリア族という連中は全員が全員、鋼鉄の鎧や鎖帷子を着込み、鉄で造られた剣や槍を携えて向かってきている。

 喇叭の音、金属の音、軍靴の音、怒号、荒野を舞う風の音。

 それら全てが、凄まじい音の波となって、俺の鼓膜と身体中とを叩き続けているのだ。

 ……ゲームや映画ではない。


 ──現実の、確実に存在する、身体中を腹の底から響かせるような、とてつもない音の津波。


 そんな中で、ガチガチという音が妙に耳につき、俺は周囲を見渡して音の出所を探し、すぐに気付く。


 ──何のことはない。

 ──俺の歯が恐怖で噛み合ってなかっただけだった。


「さぁ、もう逃げ場はないぞ、てめぇら!

 背後は塩の荒野、ここから先は水場すらない。

 残っているのは女子供と老人でっ、戦えるヤツなんざ一人も残っていやしない。

 食糧ももう残されていないっ!」


 バベルの怒号は、その勇ましい雰囲気とは打って変わって、どうしようもない内容だった。


 ──そんなの、勝てる訳、ない。


 俺はその怒号を耳にしてようやく、自分の立たされている状況が如何に救いようがないかを実感していた。

 これは……負け戦なのだ。

 幾度となく戦い争い殺し合った末に、傷つき敗れ逃げ惑うしか出来なくなった民があの集落へとたどり着き。

 そして今、彼らサーズ族という連中にどうしようもない滅びを与えに来る軍勢が、こうやって迫って来ていて。


「だが、ただでは死んでたまるか!

 儂らサーズの名を、恐怖と共に連中に刻みつけてやる!

 あの薄汚いべリアの猿どもをっ、一匹でも多く道連れにしてやろうぞ!」


「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」


 ──おいおいおいおい。


 そして、ここにいるボロボロの百名余りがこれから始める戦いは……本当に『ただ一矢を報いる』ためだけに集まった、滅びを前にした彼らサーズ族の『最後の足掻き』でしかなかったのだ。


「……そんな戦いに、他人を、巻き込む、なよ」


 俺のそんな愚痴は、声になったかどうか。

 正面からゆっくりと迫って来る死の濁流に、咽喉は掠れ歯は噛み合わず、膝は震え胃は痛む、腕には力が入らないにもかかわらず指は固まってしまって動かない。

 この状況でも、まだ自分が正気を保てているのが正直、不思議なくらいだった。

 いや、俺がこうして妙に冷静に周囲を観察出来ていたのも、ただこの状況に現実感が全くなかったお蔭でしかない。

 ……つまり。

 この状況に耐えられなくなった俺の精神は、あっさりと危機感を放棄し、現実逃避という手段を選んだ……ただそれだけなのだ。


「来るぞっ!」


 そして、何も分からないまま棒立ちになっている俺の、横合いから聞こえてきたバベルのそんな怒号を合図に。

 俺たちに目がけて凄まじい数の矢が降り注いできたのだった。


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