クンシランに宿る紅い翅

桑鶴七緒

第1話

優しく歌うその声を奪わないで欲しかった。

貴方は卑劣な人間だ。私達は、そうまでして欲になんか溺れたくないのにー。


昭和35年の東京の下町に位置する鶯谷の繁華街。私が働くローズバインという男色が集まる店。


18時。開店と共に客人が連なる様に入店してきた。私達は笑顔で迎えて、それぞれ常連や新規の客を相手に酒などを提供しては、会話に華を咲かせていた。


私は浦井 直純ただすみ。源氏名でジュートと呼ばれている。店の中では最年長になるが、店主であるローズママに特待という形で、籍を置いてもらっていた。


私にはナツトという同業者で同棲している一回り年下の恋人がいる。彼は店では人気の高い位置に属している。


ある日、楽屋で踊り子達と煙草を吹かしながら、雑談をしている時にママが寄ってきた。


「さぁこっちに来て、皆に挨拶するのよ」

「今日からこちらで働く事になりました、タイチと言います」


タイチという男性。年の頃は23歳だという。緊張した面持ちで、私達に挨拶をした。


「先ずは雑用からよ。ジュート、彼に此処と更衣室、化粧室の掃除を教えてあげて頂戴」

「はい。タイチ、ついてきて」

「はい!」

「ねぇママ。来年で此処をたたむのに、何で新人の子を入れたの?」

「あの子、他の店で働いていたんだけど、事情があって私に其処の店主から引き取ってくれってきたの」

「そうか。まぁ良いや。仲間が増えたら、お客さんも喜ぶしね」

「皆んなで協力して最後まで活気づけていきましょう」

「最後の子か。見物になりそうだね」


私はタイチに各所の掃除を教えると、飲み込みが早いのか、一度話した事を全て覚えてくれた。


「次、教えてください」

「そうだな…カウンターで俺が酒を作るから、補助で傍に居てくれるか?」

「はい。あの、早速お名前で呼んでも良いですか?」

「良いよ。」

「ジュートさんは此処は長いんですか?」

「俺は5年になる。初めは客人としてきていたんだが、ママから誘われて働く様になったんだ」

「色んな方と、相手をしてどんな感じですか?」

「ありがたい事に、皆人当たりが良いんだ。だから、タイチも居るうちにわかってくる事もあるから、色々学んでいけよ」

「僕も早くお客さんの相手をしたいな。沢山働いていこう」


第一印象としては、少年の様に好奇心旺盛な感じに思えた。ママが気にいるわけも分からなくもなかった。


数時間後、私の常連客が来店した。ママはタイチに給仕として酒類を運ぶ様に指示をした。


「こんばんは。来ていただいてありがとうございます」

「ジュート。久々に会えて嬉しいよ。前に怪我をしたと噂で聞いたが、あれから大丈夫なのか?」

「もう昔の話です。すっかり良くなりました」

「顔を見せてくれ…うん、いつものお前の顔だ。さぁ、一緒に飲もう」

「ありがとうございます」


話が弾んでいると、タイチはそれを見て目を輝かせていた。小休憩が入り、楽屋へ行くと、ナツトが従業員と会話をしていた。


「お疲れ。ねぇジュート、タイチって子、ミキトと僕と同世代だって聞いたよ。仕事はどう?」

「前にも他の店で働いていた経験もあるから、覚えが良い。見込みもありそうだよ。」

「へぇ。早く一緒に店頭に出したいよね。タイチ、君の特技ってある?」

「僕、歌う事が好きです」

「どんな曲が好きなの?」

「邦楽もですが、洋楽も好きです」

「流行りの歌も歌えるとか?」

「リクエストはちょっと苦手だけど、レコード盤で聞いたことがあるものなら、歌えます。」

「今度試しに歌ってみようか?」

「えっ良いんですか?」

「やってみる価値はある。今1フレーズだけ、歌える?」

「じゃあ少しだけなら…」


タイチが皆の前で一節だけ歌を歌うと、その場の雰囲気が変わっていったのが明確に分かった。


「凄いじゃない。ねぇ、ママに相談しよう。ナツト、来週でも、お客さんの前に立たせるのも良くないかな?」

「そうだね。あとで、僕から伝えておく。タイチ、楽しみだね」


タイチは照れくさそうに頷いた。


1週間後、店のトップに立つミキトの傍にタイチが客人と共に付き添い、楽しそうに相手をしていた。ママから店内の客人に向かってショーを開催すると言い、踊り子達がダンスを披露し、その後タイチがステージに立った。


曲はコニー・フランシスのボーイハント。

彼が歌声を発すると、皆が聞き入る様にその歌声に酔いしれていた。

曲が終わると温かい拍手が鳴り響いた。

タイチはステージを降りると緊張したのか、深い溜め息をついた。ママは彼の肩に触れて良かったよと伝えていた。


「タイチ、こっちに来て」


ナツトが彼を手招きしてカウンターに呼んだ。


「お客さん皆んな喜んでいたよ。凄いじゃん。」

「実は今日、人前で歌を歌ったのが初めてなんです」

「前の店では歌えなかったの?」

「はい。特技だって伝えても披露する事はありませんでした。だから、此処で歌えたのが凄く嬉しかったです」

「また今度披露してよ。」

「えぇ、是非」


タイチがテーブル席へ戻ると、客人は彼に興味を持ち、音楽の話で盛り上がっていた。私も彼の表情を見て、良いスタートを切ったと思った。


1ヶ月が過ぎた頃、タイチは私に話があると言い、更衣室に呼び出した。


「僕…ジュートさんの事、好きになりそうです。もっと色々お店の事や…貴方の事、教えてください」


私は息を飲んだ。


ただこれが、のちの歯車が狂い出すきっかけになる事態へと繋がる事になっていくなどと、この時はまだ考えもしなかった。

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