第43話 10年越しの再会
一瞬の静寂が2人の間を支配し、吹き抜ける夜風が再び時間を動かす。
「今、なんて?」
「フラムベルクと、そう」
「フラム"ヴェ"ルクな。ヴェ、だぞ。下唇を噛んでしゃくれるように発音しろ」
「あっすまない、しかし女性としてそのしゃくれ顔はどうなんだ」
先程聞いた名前が間違いでは無かったことを確認して、私は内心でちょっと……いやミジンコが震えたくらいの極々小規模で動揺していた。
過度に正体を隠していたわけではないが、今まで殆ど言及されなかったから安心していた所にこれだ。正直驚いているし、一体どこでバレたのかが分からない。
リアは私に熱っぽい視線を送りながら微笑む。
「10年前のあの日、森の中でカニバルに襲われたわたしを助けた時から、ずっと」
「カニバル……?」
記憶にあるような無いような……ラトニアの森でカニバルと言うと、フィールドクエストにそんなのがあった気がするが――――
「あっ」
カニバルに襲われた薬草摘みのNPCを助けるクエスト。確かにあの場には8歳くらいで茶髪の女の子がいた。ぱっちりとしたどんぐりまなこで、そばかすのある小動物のような子だ。
「えっ、じゃああの時!?」
その問いにこくり、と頷くリアの胸元を凝視する。
「……ほぉん、そっかぁ、へぇ」
立派に成長したなぁ、主に胸が。ラナといい、何食ったらこんな顔面と同じサイズまでデカくなるんだろう。後でリアの食事メニュー聞いて
それから良く顔立ちを確かめてみると、当時の面影が微かに感じられる。
1回限りのクエストだったせいでそれ以降情報が無かったが、ラナが死んだら嫡子がいなくなるから、今になって思えばあれってラトニアの都市陥落フラグイベントだったんだな……。
「やはり、覚えてはいなかったか。いやいいんだ、貴公のような英雄が一々子供の顔など覚えてなどいる暇はあるまい」
「うん」
「そこは嘘でも言い訳をするところだぞ」
私フラン、嘘が吐けない性格。
というか10年って、落日の空事件から5年だろ? それとゲームのサービス期間を合わせると丁度10年になるが、まさかあっちと時間の流れが共通しているということか?
ただ、そうなると私が何故5……いや4年分の年月を無視して転移したのかは謎だ。いや、今はそんな考察をしている場合じゃない。
「しかし、ローンデイルの五英傑と呼ばれた貴公が帰還したとなれば噂くらいは立つだろうに、それが一切無かった。何故正体を隠しておられるのだ?」
「実は言いたいけど、言ったら――――」
「言ったらなに?」
「私のことを神レベルで崇拝しているファンが押し寄せて来て、生活がままならなくなる可能性がある。家の前に毎日富士山と同じ高さまで花束が積まれて、エヴェレストと同じ標高のプレゼントが送られてくるに違いないから」
「貴公さては馬鹿だな?」
可能性は大いにある。確定していないということは、そうなるかも知れないという話だ。つまりシュレディンガー理論である。
私のファン、悪いけどもう少しだけ待っていてくれ。正体を明かすのはエヴェレスト並の高さにプレゼントが積まれても大丈夫な家と、名声に違わぬ力を手に入れてからなんだ……。
「それでその、本当の事情というのは話してはくれないのだろうか……?」
「面倒だから、英雄なんて大層な肩書で呼ばれるの。ましてや何だよローンデイルの五英傑って、中二か? お前そんな二つ名付いた奴がその辺歩いてたらなんかアレだろ!」
ゲームならまだそういうストーリーで済むが、現実で英雄と持て囃されるのは御免だ。担ぎ上げられて、面倒事に関わらされるのが目に見えている。
あと五英傑についてはマジでなに? 図書館の本にも書いてあったけど、そんな崇め奉られても困るんだが。
「なんだか変わらないな、あの時もそんなことを言ってお礼を拒んだだろう」
「物でお礼とか、子供はそういうのしなくて良いんだよ。大人が守る義務があるんだから、『ありがとう』の一言で十分だろ」
「フッ……成程、真の英雄とはなりたいと望むものではなく、自然とそう有る者が英雄と呼ばれるのだな」
「英雄というのは、キャラデータを作って最速で悪徳貴族を成敗捕獲、人間トレーニングダミーに改造して死なない程度にボコスカ殴りつけるような奴のことを指す」
「なんて?」
プレイヤーが英雄の称号を手に入れるにはメインクエスト第14章まで進める必要があり、その前準備に最速で鍛錬値と経験値を稼ぐために、その辺で捕まえたカルマ値の変動しない犯罪歴のある人間を殴るのが最も手っ取り早く効率がいい。
ザグリスの北方は定期的に悪いことをする貴族が湧くから、適当に見繕って拉致監禁出来る。あとはサンドバックにするも、攻撃力が1の武器を渡して殴ってもらうも自由だ。
「そうか、悪徳貴族を捕まえたこともあるということか」
「もうそれでいいよ」
なんかリアの私に対する好感度がとんでもなく高い気がする。小さい時に助けて貰った恩人で、それが時を超えてまた助けに来たって考えると……まあ。
「しかし、なんだ。今はわたしももういい大人だろう。領主としての面目もある、なんでも礼の品を送るぞ。例えば、この街でうちの次にデカい屋敷とか……」
「いらない」
「そうか……じゃあ我が家の家宝である、マジックアイテムはどうだ? [五霊宝書]という、精霊の言葉が綴られた本なのだが」
「い……らない、と言いたいところだが、精霊の魔導書か……」
欲しくないと言ったら嘘になる。精霊術士の装備出来る魔導書は、高レベルモンスターのドロップアイテムと、一定ランク以上のクエストからしか手に入らない。
精霊術士にとってはあくまで補助器の役割だが、素手のランドにそろそろ持たせようと思っていたところだ。タイミングが良いのは確かだろう。
「分かった、ありがたく受け取ろう」
「そうか!」
「ただし、あくまで貸与したという形でな」
「そうか……」
「形見なんだろ、おふくろさんの」
「……ッ! すまん、恩に着る」
[五霊宝書]は精霊術士だった前ラトニア領主、その亡き妻の装備だ。存在と持ち主自体は知られており、入手方法が謎のままだった。
領主との親密度を上げれば貰えるというガセ情報が流れたりしたが、恐らくあのカニバルの
ラトニアなんて特に用事がなければ行かない都市だし、途中で切ったまま放置してたからな。ユニーク発生させておいて放置とか、我ながら贅沢なことをしたもんだ。
「ところで、正体を隠しているということは、もしや貴公の仲間も知らないのか?」
「厄介オタクいるからなぁ」
言っても信じないだろうし、ソフィアとランドはともかく、知られたらなんかヤバそうな男が1人いるからあんまり言いたくない。
「あれだけの戦いをして、気づかない方も方だが……確かに今の若い世代は実物を知らない者も多いだろうな」
私とこの世界の住人とは最低でも5年、最長だと10年間のラグがある。もし幼少期のリアのように、サービス初期で出会ったりしていなければ、プレイヤーを見ずに育った者も多い。
そもそも今5歳の子は見る機会すら無かったしな。弱冠19歳のソフィアたちも然り、9歳から14歳の間にストーリーに絡むことが無かったのだろう。
「では、この件は内密にしよう。誰にも言わんと約束する」
「そうしてもらえると助かる。
NPCではなく、主にプレイヤー関係で不都合が多い。こっちに私以外のプレイヤーが来ていることが判明している以上、容易に正体を明かすとちょっと面倒だ。
「しかし、あんな小さかったリアが今じゃ私よりしっかりとしてるのを見ると……」
なんだか姪っ子の成長を感じるおじさんのような感覚である。背も高いし、客観的に容姿を見比べると年下と思われるのは私の方だろう。
「そう、折角のめでたい再会だ。これで堅苦しい話は終わりにして、呑もうではないか」
「あ、ちょっと? 酒はあんまり……」
そう言いつつもウェイターを呼んで渡された断らないわけには行かず、カパカパ飲んでいると段々気分も良くなって来て、頭がふわふわしてくる。
「おお、中々行けるクチだな。やはり英雄殿は酒も強いのか」
「まあな! このていどたしなみよ!」
今日くらいは飲んでも罰はあたるまい。久しぶりに飲むウィスキーも美味しいし、この体になって酒も色々いけるようになったようだ。
「では部屋に秘蔵のワインがあるのだが、パーティーの後は2人で飲み直しといこう! よもや英雄殿が、この程度で音は上げまい」
「当然だろ! 二次会ばっちこい! 今日は朝まで飲むぞぉ!」
思えばあの時既に酔っていたのだろう。そうでない時に自分が正気かどうかなど判断が付くわけもない。久しぶりに摂取したアルコールの分量を把握しきれなかったのだ。
一応辛うじてパーティーが終わった後に、リアの自室へと案内されたところまでは記憶が残っている。そこからグラスいっぱいの赤ワインを飲み干した後くらいから何も覚えておらず――――
「あたまいったぁ……」
頭を苛む鈍痛で意識を取り戻した。
見知らぬ天井が寝起きを出迎え、いつの間に寝かされていたのか、ベッドの上で体を起こす。
「……なんで裸?」
ただ、何故か上はシャツはおろか下着すら着けておらず、下もショーツ一丁。寝る時に服を脱ぐ習性は無かったはずが、ベッドの下に脱ぎ散らかしたドレスとロンググローブが転がっている。
やばい、マジで何も覚えてない。ゲームでも種族関係なく、毒耐性が無いと酒類の食事で[酩酊]の状態異常になったのだけは何故か思い出した。
「んぅ……」
「!!」
そしてふと寝息が聞こえて横を見ると、掛け布団の中でもぞもぞと動く何かがいる。猛烈に嫌な予感がして、顔から血の気が引いていく。
――――えっ、もしかしてワンナイト? 誰と? と言うかこの部屋どこ?
様々な疑問が脳裏を過り、最後に今の自分が女であることを思い出した。いやいやまさか、流石に酔った勢いとは言え男と一夜の過ちを犯すなんてそんな……。
事実確認をせずにはいかず、恐る恐る布団をめくる。その数秒後、まさかまだ男の方が良かったなんて思う羽目になるとは思わなかった。
「あ゛」
そこにいたのは、リアだった。
生まれたままの姿で、幸せそうな寝顔を晒している。と言うか脱いだら更に凄いな、ラナよりは小さいが、それでも両手で支えきれないサイズだ。
私はそのままそっと布団を戻し、1度深呼吸をしてから静かに頭を抱えた。
◇TIPS
[五霊宝書]
見えざる精霊のことばが綴られた魔導書。
精霊術を行使する際に
そのことばに籠められた力を借りることが出来る。
著者は不明、いつ頃からか
幾人もの持ち主の元を渡り歩いてきた。
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