第36話 動き出す黒き神の輩

 涼やかな風が頬を撫で、覚醒を促す。起き上がり、少し開いた窓の外を見れば丁度夜明けだった。雲はまばらで、昨日同様に天気は良い。


「いよいよか」


 ラトニア領主、リアはそう呟いて街から望む山々を睨んだ。


 起床を察したメイドが部屋にやってくると、身支度を整えて軽い朝食を取る。その後はすぐに屋敷を出て、出立の為に集合を始めている冒険者たちの元へと向かった。


 街はまだ起き出す前で、歩き慣れた通りにはまばらに朝の準備をしている人々がいるのみ。リアを見つけると、皆が頭を下げる。幼い頃からの顔見知りが多く、昔は気さくに手を振ってくれたものだが、今の立場上そうも行かない。


 通りを抜けて、西門の前まで辿り着く。既に冒険者は殆ど集まっており、パーティー毎に別れて、恐らく今日のことについて話し合っていた。邪魔するのも悪いかと、リアは先にクラインを探す事にした。


 しかし、どこを見ても騎士たちの姿は見えない。予定では先に来て作戦の概要を説明している手筈だったと訝しんでいると、西門の外からクラインが入ってくるのが見えた。


「クライン殿」


「おや、リア様。お早う御座います。もしや待たせてしまいましたかな? 警邏の為に出ておりましたので、申し訳ございません」


「構わん、私も今来たところだ」


 軽く挨拶を交わすと、クラインは部下に冒険者たちを呼びに行かせた。


「いよいよ、ですな」


「ああ。お前たちが出てくれるのなら、心配はしていない」


「過分な評価痛み入ります、領主様。私としても、今日の為に念入りな準備を重ねて来ましたので、ご心配なく」


「そうか」


 頼もしいな、とリアは言い、長駆の騎士を見上げる。過酷な鍛錬の末に鍛え上げられた肉体に、聖なる加護を持つ秩序の騎士たちは強い。隊長ともなれば、1人で軍勢を相手取ることすら出来るのだ。


 クラインは代理という肩書ではあるが、十分それに匹敵する能力を持っている。賊程度に遅れを取るはずもなく、今回も彼に任せておけば万事問題は無いと思っていた。


 この瞬間までは。


「ええ」


 ふと、クラインの後ろに見える騎士の1人が、徐に腰に提げた剣を抜いたのが見えた。目の前にはこの都市で活動する冒険者が立っている。リアも何度か見た覚えがあった。つい数日前も、今回の仕事に関して熱心に質問をしに来ていた。


「勿論」


 それが、死んだ。


 抜剣した騎士が心臓を貫いて、抵抗すら出来ずに血を吐いて倒れた。リアは何が起きたのか分からず、呆然とその光景を眺めることしか出来ずにいた。


「お、おい!? あいつ何をしてるんだ!?」

 

 動揺が広がる中、1人の冒険者が困惑の声を上げて別の騎士に詰め寄る。あれは確か、古株で先代とも繋がりのあったパーティーのリーダーだ。


「早く取り押さえて――――」


 その男は、乱心した騎士の同僚に止めるよう言い募った。だが、


「え?」


 腹部にナイフを差し込まれ、そのまま頭部を強打される。頑強な騎士の手甲は、一撃で頭蓋を粉砕した。男が倒れ込んだその場に血の染みが広がり、数度痙攣して動かなくなった。


「ク、クライン、お前の部下が、冒険者を殺して……一体、何が……」


 あまりの光景に、冷や汗が出て口の中が渇ききっている。リアはなんとか掠れる声でそう尋ね、クラインを見上げると――――






「だから言ったじゃあないですか。準備をして来たと」





 笑っていた。


 今まで1度も見たことが無いような、酷薄な笑みを浮かべてリアを見ていた。その表情にゾッとして、腰が抜ける。へたり込んでいる間にも、また1人冒険者が殺された。


 間違いようもない、この目の前の男は意図して、計画的にこの殺戮を起こしている。理由は分からない、分かるはずもない。


「盗賊なんて最初からいなかったんですよ。少々彼らの動きが派手過ぎて、偽装する必要があっただけです」


 今までの彼は気障で善良な神の使徒だった。それが、突然こうも豹変することなど、リアは想像も出来なかった。


「どうして……」


「この街を滅ぼすため」


「だからって、こんなこと……許されるはずが無い!」


「……こんなこと? 貴方今、こんなこと、と言いましたか?」


 困惑するリアをよそに、クラインは顔を歪めた。ゆっくりと歩み寄ってくると膝を着き、目線を合わせて目を細める。


「黙れッ! 弱く傲慢で何も出来ない無能女がッ!! 貴様のような雌豚に、私の正義を否定される筋合いはないッ!! 」


 それから烈火の如く怒り狂った。リアの頬を掴んで、唾が飛ぶのもお構いなしに絶叫する。何故クラインがここまで怒るのかが分からず、ただ本当に目の前の騎士が自分の知っている男ではないのだと悟った。


「私は今、黒き神の大主教の命で動いているのです。5年前のあの日から」


「5年、じゃあ……まさか……」


 また唐突に怒りを収め、静かな声色でそう言ったクラインに瞠目する。つまり、今起こっている事態は、黒き神の教団による計画的犯行。


「そうです、貴方の父君と、隊長殿を殺したのは私ですよ」


 そして、それは既に5年前から始まっていたことだった。


「あの時、私は女神の加護を捨て、黒き神の神秘を得た。売女に与えられた紛い物の力より、よっぽど強力なものをね」


 その言葉通り、クラインの肉体には禍々しい気――黒き神トロンの加護が満ちている。


 信じられない話を聞いて、リアは頭がどうにかなりそうだった。今まで、ずっと自分の父を殺した相手を信頼して、重用していたのだ。


「実に滑稽でした、後ろから心臓を貫かれた時の隊長殿の顔は。聖騎士の加護を受けたあの老害が死んだ時、やはり私が正義であると確信しました。そう、いつ何時においても私が正しいのです!」


「きさま……貴様、貴様ァ!! よくも父を、レーベルハイト殿を!!」


 リアは去来した全ての感情が一周した後に激昂し、殴りかかろうとするが文字通り一蹴される。蹴り飛ばされ、地面を転がり、無様に這いつくばった。


「かはっ……」


「ここまで来るといっそ哀れですね」


「く、そ……このクズが……」

 

「クズというのはあなたのような、力のない人間を指す言葉です。その弱者を殺す権利が、力を持つ私にはある。これが事実であり、現実なのですよ」


 優越感を含んだ笑みを浮かべ、リアの頭を踏みつける。


 本当のクラインは、唾棄すべき本性の人間だった。もしかすると、5年前まではまだまともだったのかもしれない。しかし、黒き神に魅入られるということは、その素養があったと言うことだ。


「ああ……そうです。理不尽な暴力に晒されて、何も出来ずに絶望するその顔が見たかった……。弱者が自身を間違った存在であることも知らないまま、今日この日まで生きて来た罪を存分に、永遠に後悔し続けてくださいッ!」


 今まで持っていた信仰を捨て、崇める相手を変えるというのは、それほどの事態であるのをこの世界の人間は皆が知っている。


「では、そろそろ作戦の本命に入らせて頂きますよ」


 クラインがそう言うと、西門から大量の黒いローブの集団――黒教の信徒たちが入ってきた。各々が武装しており、200を超える数のそれは真っ直ぐに都市の中心を目指して進んでいく。


 冒険者たちは、騎士を装った黒教信徒に対する防衛で手一杯。1人として、街を助けに行ける余裕のある者はいない。都市中央には本物の騎士たちがいるとは言え、敵の数が多すぎる。


 間違いなく、5年前の凄惨な殺戮劇を再び起こす気だった。


「あ……あ……」


「民の心配をするより先に、傲慢で無能な貴族らしく自分の身の心配をしたらどうです? 貴方も今から、殺されるんですから」


 父が命を賭して守った土地が、踏み荒らされていく。それなのに何も出来ずに地を這い、ただ見ていることしか出来ない。


 不甲斐なさに涙が溢れ、地面を濡らした。


「だれ、か……」


 結局、憧れた所で強くはなれなかった。あの時と変わらない、戦うという選択肢を手にすることすらない。


 クラインが剣を抜き放ち、頭上に掲げる。その刀身と、周囲にはどす黒い瘴気が纏わりついていた。あの時、彼の背中に見たものは幻覚ではなかったのだ。


「誰か」


 剣が振り下ろされる。リアは反射的に、瞳を強く閉じた。


「助けて……!」


 最後に届かない祈りを吐き出し、痛みに備える。











「任せろ」


「ほごっ――――」


 死を覚悟した彼女に聞こえたのは、鋼が血肉を断つ水音ではなく、凛とした女性の声だった。それと、間の抜けた男の、まるで全力で顔面を殴り飛ばされたような声。


 閉じていた瞼を開けると、吹き飛ばされたクラインが地面に転がっている。


 それを成したのは、彼女の前で残心する少女――フランだった。朝焼けを受けて輝く白銀の髪に、まるで血を宝石にしたような紅い瞳。


 リアがそれに見惚れていると、200いた信徒の半ばから巨大な竜巻が巻き起こった。分断され、およそ半数程が街の方へと向かえずに立ち往生する。


「ランドくん、街の方へ行きたまえ。ソフィアとケインが見当たらない」


「え゛っ!? ボク1人で!?」


「安心しろ、心強い味方を付けてやる」


 フランはそう言うと、ランドと呼んだ猫獣人へと赤い宝玉を投げて寄越した。それは宙空で黒い粒子を発散させると、同じく黒い霧で構成された人型が生まれる。


「効果時間は10分、そんだけあれば十分だろ? アイツらを守ってやれ」


「……ッ! 分かったにゃ!」


 ランドは力強く頷き、黒霧を伴ってそのまま街へと駆け出した。


「さて」


 フランは草臥れた外套をその場に脱ぎ捨て、腰に提げた独特な意匠をした片刃の剣を抜き放つ。至る所に傷の付いた手甲と肩当て、激戦の痕跡が残る防具は駆け出しのDランク冒険者のものとはとても思えない。


「殺し合いの時間だ、纏めてかかってこい」


 そして、100人の黒教信徒と――堕ちた聖騎士を前にして、余裕の表情を崩さずにそう言った。







◇TIPS


[黒き神の信徒]

混沌の神トロンを崇める信徒たち。

この括りで呼ばれる者は

立場が最も下であり、最も数が多い。


単なる宗教信者とは違い

一般市民になりすまして各地に潜伏し

工作や戦闘などを行う兵士でもある。

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