第一章 異世界転移ってもっとこうなんかいい感じのチュートリアル的なものからはじまるんじゃないんですか
第1話 なんでもするって言う奴はなんでもしない
どうしてこうなった。
背後からそれはもう非常に気持ち悪い動作で高速移動してくる、人よりも大きな悍ましいカマキリ。それを横目に、息切れを知らない体はひたすらに木の根と枝草を乗り越えて全力疾走する。
「しつこいしつこいしつこいしつこいぃぃ!!」
私はただ、ネトゲをやっていただけなのに。大事な物を色々と奪われた挙げ句、何故の敗走を余儀なくされなければならない。
何故、こんなことになってしまったのか―――――
はっきりと、それでいて余韻を残さない目覚めだった。
「おおう……?」
肌を撫でる温い風に閉じていた目蓋を開けば、高いところまで昇り切った太陽が頭上を照らしていた。
数度瞬きをしたのちに改めて周囲を見渡せば、鬱蒼とした木々の連なりの最中に自分がいることに気付く。呻き声にも聞こえる風の音と、遠くで鳥らしき生物が金切り声を上げていてなんとも不気味さが煽られる。
「……ここは、LAOの中か?」
ラスト・アルカディア・オンライン、略してLAO。フルダイブ型VRMMORPGであり、オンラインゲーム同時接続数ランキング堂々の1位という神ゲー。
ジャンルはファンタジーRPGで、メインストーリーの質だけでもソロゲーのそれを凌駕する。その上NPCには実際の人間や動物の思考回路に限りなく近い学習型AIを搭載しており、本物と触れ合っているようなリアリティが最大の特徴。
没入型のメリットを最大限活かし、思考による魔法やスキルの発動を可能にしている。また、モーションアシストという本物の武術家たちに監修された動作補助システムによって、合理的でスタイリッシュな戦闘も体験出来る。
俺――いや、ゲーム内では"私"か。ともかく私は直前の記憶を辿る限り、そのゲームへログインした筈だった。そして、この様子だと実際にログインは出来ているのだろう。
ただ、知っている筈の光景に私は、どうにも違和感を拭えずにいた。今いるここが、ゲーム内エリアの[亡憶の都市オスカント]近隣の森なのは分かる。しかし先日ログアウトしたのは、私が所有する城――マイハウスの自室だった。
それからもう1つの違和感は、どうしても不具合で片付けられるものでは無い。
それは鼻腔へと届く土の匂い、風が運んでくる湿った空気だ。VR技術は昔より進歩したとは言え、匂いや味覚は現実の肉体に悪い影響を与えかねないため実装されていない。
試しに近くにあった木に触れてみると、ザラついた樹皮の感触が掌へと直に伝わってくる。足元の土を掬い上げ、鼻先を近づければ少し焦げたような土の香りが鼻腔に巡る。
「おおん……」
おかしい、普段なら匂いもしない上、木に触ったところでここまで明瞭に感触が分かるはずもなかった。
どうなっているのか困惑が広がる中、ふとあることに気付く。自分の体を見下ろすと、現実の肉体には無い柔らかい胸部装甲が。本来なら男に未搭載の感覚であるお……おっぱいの重みが確かに感じられる上、逆に股間の辺りからいつも慣れ親しんだものが消失していた。
「ヒュッ……」
両手で抑えた足の付け根にいつもある特大聖剣エクスカリバーの感触が感じられず、思わず喉から空気が漏れる。
お、おちつけ……。確かに現実世界の"俺"は、大いなる目的とちょっとした下心から銀髪紅目の美少女アバターで――ネカマとしてLAOをプレイしていた。しかし、しかしだ。幾ら仮想現実と言えど、ここまでリアルにパイオツの触感はなかった。
具体的には、触った際に――手ではなく胸の方に確かな感覚がある。柔らかい自分の体の一部が、フニフニと指先で押される感覚だ。自分で触れていながら少し擽ったい、なんかえっちだな。
身体的変化を見て、私は何だか段々と嫌な予感がして来た。普段と何かが決定的に違う状況、それが突飛な思考に繋がる。
これは、本当に私のアバターなのか?
「まさか……いや、そんな筈は無いよな……」
不安になり、ジェスチャーを用いてメニューを開く。そこから簡易ステータスを表示させ――今度は驚く間もなく絶句した。
===================
[名前]フラムヴェルク・フレアウォーカー
[メインクラス]剣士
[種族]吸血鬼
[性別]女
冒険者等級:未登録
称号:無し
Level:1
HP:120/120
MP:50/50
EXP:0/250
===================
名前は合っている、私のプレイヤーネームはフラムヴェルク・フレアウォーカーで間違いない。因みに別個で付けられるNPCから呼ばれる際の略名は"フラン"である。
残る種族も性別も特に問題は無いが、肝心なのはクラスとレベルだ。
「あ、あれだけ苦労して上げたレベルが……クラスも、初期……」
あまりの事態に卒倒しそうだった。
本来のキャラデータではレベルがカンストしており、クラスも剣士から五度覚醒と派生を繰り返した[夜叉剣豪]。HPを含む全ての能力は、ゆうに四桁を超えていた筈なのだ。
現行レイドボス最速ソロクリア記録を幾つも持っていた。攻略wikiには私専用のページが作られ、雑誌にインタビュー記事が載ったこともある。
自惚れではなく、間違いなく最上位プレイヤーの内の1人だ。プレイヤースキルだけで言えば、恐らく私が1番だった。
それが、全部消えた。
私が5年間積み上げて来た全てが、無くなってしまった。
◇
途方に暮れ、宛もなく森を彷徨い始めて早2時間。運営から不具合報告のメールが来るどころか、メニューに[メール]のタブが無くなっていた。
他にも[フレンド]欄も消滅しており、[インベントリ]は初期に貰える装備一式とクローズドβ参加記念のアクセサリー、それからレベルとクラススキルを一度だけリセットする[リセットポーション]のみ。
「ほげええええぇ……!」
思わず奇声を発してしまう程に、私は参っていた。
歩いている内に感じ始めたが、しっかりと足の裏が痛い。時々木枝に当たった腕にも痛みの感覚があった。もう、ここが本当にLAOの仮想空間なのかすら分からない。
ヨタヨタと覚束ない足取りで歩を進めているのも、何かしていないと本当に気が触れそうだったからだ。
本当に突拍子も無く、根拠も無い空論だが、もしかすると私は、現実となったLAO――あるいはそれに酷似した世界にやってきてしまったのかもしれない。
そう考えないと、キャラデータが丸々初期化されたことのショックに耐えられなかった。いや、もう半分くらい耐えられてはいないけど。
それよりもだ、ここがもし本当に現実世界だとしたら結構
「[
オスカントはパッチ2.0――1度目の大型アプデの際に追加されたエリアだ。正確に言うと、[オスカント]というエリア自体はサービス開始初期からあり、キャラメイク後にランダムで選ばれる初期スポーン地点でもあった。
2.0で追加されたのは、ストーリーを進めてから戻ってくると行けるようになる新たな区域である。
つまり、ここは高レベルのモンスターが徘徊する区域と、初期の弱いモンスターがいる区域が隣接した場所ということだ。スポーン地点からは直接高レベル地帯へは行けず、そのまま一度チュートリアルとして、他の都市に向かうことになるのだが――
「ッ!」
と、考え込んでいた私の背後から、草の揺れる音がした。慌てて振り向くと、そこには身の丈程もある巨大なカマキリがこちらを見つめていた。なんかデカくて顔がキモい。
「……」
ただ、普通のカマキリと違い、体に赤いラインが走っている。これは別に存在する[キラーマンティス]と言うモンスターの上位種であることを示すものだ。
奴の名は[アークマンティス]、出現する際のレベルは下限でも80。
つまり、レベル1で初期装備の私が勝てる道理は一切存在しない。もし立ち向かったとしても、捕まってあの鋭い顎でムシャられるのがオチだ。
「うわなにその口元、キモッ……」
首筋に伝う汗を感じながら、顔を引き攣らせる。アークマンティスは動く獲物を追い掛ける虫としての特性で幸いにもジッとしたままだったが、キモいと言った瞬間に一瞬鎌が持ち上げられた。
「嘘ですごめんなさい、とてもセクシーなお口元で候」
後退り、ゆっくりと相手を刺激しないように体を反転させる。直後、それに反応して奴は両手の鎌を擡げた。
「なんて言うと思ったか虫畜生がああぁ!! バーカ、お前なんかハリガネムシに寄生されてアホみたいに水にプカプカ浮いてろボケ!」
全力疾走する私と、それを追い掛けるアークマンティス。奴め、器用にも木々の隙間を六本足ですり抜けて来てやがる。
一体どうしてこうなった。
本来のフランのキャラデータであれば、あんなフィールドモンスター如き経験値以下の存在なのに。どうして、ただ踵を返して逃げなければならない。
1人のLAOプレイヤーとしてもそうだが、命のやりとりが行われようとする場面で、1体の生物として戦わずに敗北するという事実は――想像以上に私の矜持に傷をつけた。
『
――――絶対に許さない。
「お前の顔、覚えたからな!! 次会ったら絶対ぶっ殺して、死体の上で屈伸してやる!!」
しかし、今は倒すどころか一矢報いる術すら無いのが事実。故に泥水を啜ってでも生き延びて、お前を殺す力を手に入れた後に、必ず借りは返させて貰う。
だから今は――――
「お願い頼むから見逃して!!! 何でもしますから!!!」
◇TIPS
[アークマンティス]
殺人蟷螂、キラーマンティスの上位種
硬質な外皮に加え、鋸のような刃の付いた両手の鎌が特徴
魔虫種の気高き狩人は黙して獲物を待つが
自身に害を及ぼしうる天敵
あるいは将来的に脅威になり得る生物などが周囲にいる場合
積極的にそれらを排除しに掛かる特性を持つ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます