死んだ貴方は星じゃなくて夜になるのね

やらずの

死んだ貴方は星じゃなくて夜になるのね(1)

 推しが病んだ。

 彼は一〇.二インチのタブレットの画面のなかで、瑠璃色の石に変わってしまった冗談みたいな肘を見せつけている。推しは笑顔だった。いやぁ今んとこ痛みとかは全然なくて余裕っすね、とメントスコーラではしゃいだり、積み上げたトランプタワーが崩れたときと同じようなキラキラした笑顔で実験に失敗したようなパーマを揺らしながら笑っていた。

 宝石病だった。わたしはタブレットで〈My tube〉のライブ配信を流したまま、手元のスマホで病名を検索した結果を流し読みした。宝石病について改めて調べる必要なんて全然なかったけれど、何かをしていないと落ち着かなくてわたしはスマホの上で指を走らせていた。

 宝石病は名前の通り身体が石に変わっていく病気で、宝石化は不可逆的に進行し、やがて肺や心臓、脳などの重要器官に達して患者を死に至らしめる。現在の医学で治す方法はなく、いわゆる不治の病とか正体不明の奇病とか、そういう類のやつだった。たとえば石に変わっていくにしたって、ダイヤモンドやルビーのような高価な宝石になってしまう人もいれば、メデューサに睨まれたみたいにただの石になる人もいるそうで、確率は完全な無作為ランダム。一説には日々の食事のたんぱく質摂取量と平熱の高さが石の種類に関係しているらしいけれど、どれも理論は眉唾で未だ分からないことばかりらしい。社会的には患者の身体に必要以上の価値がついてしまうことが問題になっている。たとえば数年前、アメリカでは身体の大半がダイヤモンドになってしまった夫の遺体を妻がオークションに出品したことが問題になったらしいし、そのさらに数年前にはインドのスラムで、宝石病に罹った兄が宝石化した自分の身体を毟り取って売り、得た大金で弟を学校に通わせたことが美談として語られていた。もちろん非常に珍しい病気らしく、日本での症例は過去に一二例。わたしの推し――八乙女やおとめコスモは日本で一三人目の宝石病患者ということになる。


『オレん肘のこれは、って宝石みたいで、日本じゃ初なんすよねぇ。世界でも、まあなんかけっこう珍しいみたい』


 たぶんラピスラズリのことだろう、とわたしは思った。コスモくんはいわゆるおバカキャラというやつだ。喋り方も立ち振る舞いも、小学生の男の子みたいなそれで、だからこそ彼が思いつく突拍子もない企画やふざけたリアクションがわたしは好きだったし、勉強とか人間関係とかそういう煩わしいものをぜんぶ忘れさせてくれる週二回必ずアップされるコスモくんの動画はわたしにとっての救いでもあった。

 とはいえ、動画配信者というのはやまほどいて、今はまさに群雄割拠の時代だ。コスモくんの動画はたしかに面白いけれど、個性があるかと言われればそうでもなくて、チャンネルの登録者数は七四人。上位六〇パーセントの目安が登録者数一〇〇人らしいので、配信者としてのコスモくんの位置は下から数えたほうが圧倒的に早い。

 不意にコスモくんの顔が画面に近づいた。わたしはドキッとして息を止めて、コスモくんの妙に長いまつ毛をぼんやりと眺める。もちろんコスモくんはリアルタイムで寄せられるコメントを読んでいるだけで、彼の一挙手一投足にたじろいだりしているわたしのことなんて知る由もない。


『あー、ヨツメネコさんコメありがとー。死んじゃうのーって、うんまあ、不治の病だしね。オレん場合、身体のなかとか骨とかが先に宝石化してるみたいで、まだ見えんのは肘だけなんだけど、お医者さんは長くて余命一年くらいだって言ってたなぁ』


 コスモくんはまるで他人事みたいにそう言った。コスモくんの様子があまりにいつも通り過ぎるから、わたしは全然実感が湧いてこなくて、余命一年、と噛み締めるように繰り返す。だけど画面のなかのコスモくんは、じゃあオレ、今日から余命一年My tuberで、とかなんとか言ってげらげら笑っていて、その笑い声は突風さながらにわたしの心から彼が死んでしまうという実感を根こそぎさらっていくようだった。


『まあ、とりあえず報告はそんな感じ。とはいってもさ、今まで通り動画はアップするし、これからはびょうじょーみたいの伝えられるように、ライブ配信とかも増やしてこっかなぁって思ってるから。こうやってみんなと話すのも楽しいし。ちょ、ミカミカ☆さん、死んだら泣くって。嬉しいけどやめてよー。笑顔笑顔、バカだなーこいつって笑い飛ばしてかないと。んな涙もったいないからさぁ』


 コスモくんはへらへらと笑う。そのしまりのない優しい笑顔を見ながら、わたしはコスモくんが死んだら泣くだろうかと考える。

 一般的に人が死ぬことは悲しい。それが自分に近しい人とか、近しくなくても好きな人とかであればなおさらだ。そして人は悲しければ涙が出る。黒い服を着て、下を向きながらタオルで顔を押さえるのがお葬式だ。

 だけどたぶんわたしは泣けない。それは決して悲しくないわけではなくって、わたしのなかにはちゃんとたしかな悲しさとか苦しさらしいものがあるはずのに涙が出ないってこと。たとえばわたしのこころとからだを繋ぐ部分に何かが詰まっていて、気持ちと涙がうまく繋がらない、そんな感覚があるのだ。

 そもそもわたしが最後に泣いたのはいつだっただろう。三年前、お母さんが死んだときにもわたしは泣けなかった。わたしは姿見の脇に引っ掛けられたまま、一度だって身に着けたことのない琥珀色のトップがぶら下がるネックレスを見やる。

 お母さんは宝石病だった。ある日突然、お母さんの背中に小指の爪くらいの小さな琥珀色の粒が浮かんで、しばらく放っておいたら今度は左のほっぺに同じような粒ができた。街の皮膚科に行くと、精密検査が必要だと案内状を渡されて、お母さんとわたしは電車に乗って大きな大学病院へと足を運んだ。レントゲンとかMRIとか採決とか、ほぼ丸一日かかる色々な検査の末、背中やほっぺの琥珀色の粒はトパーズという鉱石だということが分かった。下された診断は宝石病。専門家だという白髪の医師が告げた余命はたったの半年。お母さんは翌日から入院することになった。

 これは余談で、わたし自身、大したことだと思ってはいないから、絶対に勝手に悲観してほしくはないのだけど、わたしに父親はいない。お母さんのおなかのなかに弟がいたとき、つまりはわたしがまだ三歳になったばかりのころに父親だった男は他に女を作って家を出て行ったのだ、とお母さんに聞かされた。周りの友達を見渡してもいまどき片親なんて珍しくもなかったし、そもそも放課後にたまに遊ぶそれなりに仲の良かった子のなかには施設から学校に通ってる子なんかもいたもんだから、わたしは特段気にしなかった。親というのはそういうものなんだろうくらいに思っていた。

 でもお母さんの入院がわたしたちの意向とはほとんど無関係に決まって、初めて少し困ったことになった。わたしは来年に高校受験を控える身でありながら弟の面倒を見なくちゅいけなくなって、けっこう熱を入れてやっていたバドミントン部の活動も辞めざるを得なくなったのだ。

 そして慣れなかった家事にようやく慣れてきたころ、診断から八か月後にお母さんは死んだ。

 頼れるような親戚はおらず、お母さんの葬式は遺体を散々検査に回したあとで病院側が葬儀屋と話を進めて取り計らってくれて、わたしは当日、葬儀屋の女性に教えられた通りに立ち回り続けて無事に母の納骨までを終えた。トパーズになったからだの大部分が事前の解剖などで取り去られてしまっていたのもあって、骨と灰になったお母さんは拍子抜けするくらいにこじんまりと少なかったことだけ、やけに鮮明に思い出すことができた。

 たぶん泣けなかったことには、勉強と家事で忙殺されていたとか、別れを悲しむための葬式が遺されるわたしたちの手から離れて進んでいったこととか、人が宝石になるなんて奇怪な死がその実感を妨げていたとか、考えだせばキリがない理由があるのだろう。だけどどの理由を据えたとしても、そもそもこうやって言い訳っぽい理由を並べている時点で、やっぱり少し、わたしって人間は薄情なんだろうなとも思う。

 だからわたしはコスモくんが死んでも泣かないし、泣けないのだろう。そのことがすごく悲しくて哀れなことに思えて、わたしはもうコスモくんの配信を楽しみにする資格がないんじゃないかと思った。けれど思っただけで、更新されればわたしは次の動画を平気な顔で観るに違いなくて、所詮アイドルとそれを追っかけるファンとの関係なんてそんなふうに曖昧なものなんだろうとも思った。

 少しセンチメンタルな、いやだいぶ落ちた気分に浸りながら、わたしは動画サイトのコスモくんのページをスクロールしていく。どの動画も狂ったように繰り返し観たので、サムネだけで内容や台詞のほとんどを思い出すことができる。


「ばかみたい」


 わたしは呟いて、スマホをベッドに放り出す。そのまま仰向けに倒れ込むと、間もなく睡魔がやってきて、わたしの意識はベッドへと吸い込まれていった。

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