第35話 レモン水

 例えば、定年退職後の趣味として写真を動物園へ頻繁に撮りに来るおじさんが被写体をどう見ているのか?

 造られた水場で虎が遊んでいても「水しぶきをあげるように入らないかなー」「左側へ脚をかけた方が───」そんな、勝手なことを呟きながら三脚の一眼レフを覗いているおじさん。

 虎に限らず、動物が好きでその写真を撮るのではなく偶然の、他人が見れば多少目を引くような瞬間を切り取る為に被写体を見ているのだ。自己都合でしか見ないし、目を向けるのも僅かな時間だけ。三脚をたたむのに慣れていて、その場を立ち去る時は次の被写体を目で追っている。このおじさんは。

 そこに愛はないし、動物が好きだからと瞬間瞬間に想像してしまう些細な仕草や表情等にも心が動くこともない。

 好きだから、と見ている目では無い。

 目を離せないから、と見ている目では無い。


 そんな目で見つめられる事を嫌悪し、その被写体にならぬようにおじさんひと目を避けたい。

 彼女の望みはその目に見られない世界で生きること。

 値踏みされるような、下品な目を知ってしまうと朝の目覚めを拒否したくなる日がある。

 ……例えるなら今日は、そんな日だった。


「それだけのことよ」

 彼女はそれだけと、私に伝えて浴室へ向かった。

 私は、酸味を感じながらこの朝に優しく呟いた。

「おはよう」

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