第5話

 合意した青年は空いていたオレの前の席に座る。寒暖差で曇ったメガネをポケットから取り出したクロスで丁寧に拭いている。

「さっきは素敵な喫茶店を教えてくれてありがとう」

「いえいえ。迷われたりしませんでしたか?」

「問題なく辿り着きました」

「それなら良かったです」

「コーヒーを飲みながら本を読むのにピッタリの店でした。先程、一冊読みきってしまいました」

 さっきの本を見せる。

「その本、今話題になってますよね。店でもよく売れています」

「もう読まれましたか?」

「はい。頭から衝撃的な表現ばかりで最初は読みきれるか不安でしたが、気がついたら最後の一行まで噛みしめてました」

 読み終わってることを知り、年甲斐もなく嬉しくなってしまい、しばらく作品について感想を話し合った。話が落ち着いたあと、青年はホットコーヒーをすすった。大きい瞳に、長い睫毛、オレにないものだから羨ましくて見てしまう。するとバチっと視線が合い、首をかしげる青年に、オレは見てたことを悟られないように、大慌てで違う話題を出す。

「しょ、書店員さんはいつもここを利用されるんですか」

「月に数回ほど。この近くのお店で僕の彼女が働いていて、その待ち合わせに利用させていただいています」

「じゃあ、今日も?」

と訊くと、青年は頬を赤く染めて、「ええ」と頷いた。

「いつもなら一緒の時間にバイト終わりなんですけど、あとのシフトの人が電車遅延に巻き込まれたそうで。その人が到着するまで残業になったみたいなんです」

「電車遅延とは厄介だ」

「仕方ないですよね。このあと合流して晩ご飯を食べる約束をしていたので、『いつもの喫茶店で待ってて』というメッセージが来ました」

「そうだったんですね」

「ここ、土日の夕方ごろはよく満席になるので、今日もダメじゃないかと思いました。本当にありがとうございます」

「気になさらず」

 なんというか付き合いたての初々しさが漂っている。彼の彼女もきっと本が好きな、落ち着きのある女性なのだろうか。咲も文学少女と言われればその部類なんだろうが……もっと落ち着きがあって、言葉遣いも丁寧だったなら……。さらにカワイイんだがなぁ。

「それにしても、この辺りは車や人の通りは多いですけど、どこかのんびりしているんですね」

「ええ。家賃もそんなに高くないので、大学生の僕でも住みやすいです」

「大学生なんですか」

「はい。今一回生です」

「ほぉ。オレの娘と同じだ」

「そうなんですね」

「娘もこの付近で一人暮らししていて、今日は会いに来たんです」

「いいですね。お会いされていろいろお話しされたんですか?」

「……まだ会えてなくて」

「あっ、今からだったんですね」

「いや、実は何も言わず、ここに来ちまって……」

「えっ⁉」

 目を丸くしている青年を横目に見つつ、オレはこめかみを掻く。

「娘が新年なのに帰省しねぇって……。妻には伝えてたようなんだが、オレは昨日聞いて、もうなんていうか寝耳に水というか。しかも、その時にアイツに彼氏がいるってことも知って……」

「それは驚きますよね」

「だよなぁ⁉」

 思わず大声を出してしまう。「すいません」と一言謝ってから続ける。

「見知らぬ土地で、友達と彼氏が出来て、帰省もしないときた。どういうことなのか気になって。ほら、大学に入ったら全国からいろんなヤツがやってくる。口車にのせられて騙されたなんて話もよく聞く。ウチの子も例外じゃないのではと、いても立ってもいられなくなってしまった」

「なるほど」

「特に彼氏だ。娘は少し抜けているところがあるからな。その隙をつく悪意ある男だったらオレは許さん。どんなヤツなのか確認しない限り、オレは帰れん」

「心配してしまうのも無理はないかと思います」

「と、まあ、そういう経緯なのだが、道に迷うし、娘に連絡する決心もつかず……。初対面だというのにこんな話をして申し訳ない」

「いいえ。素敵なお父様だなと思います。僕はその……、両親と折り合いが悪くて。帰省という選択肢がありません。父親はあまり家に帰らず、会話もなかったので。むしろ心配してもらえる娘さんがどこか羨ましいです」

 こんな好青年でもいろいろあったんだろうか。さっき読んだ小説も親子のすれ違いだったしな。家族の姿はそれぞれだが……。彼の瞳の奥に寂しさが漂っていた。

「そんな僕でよければ、話を続けてください」

「ありがとう。なんだかキミは初めて会った気がしない。とても話しやすい」

「僕もなんだか話しやすいって思ってました」

「なんだろうな? 娘と同い年で、互いに本が好きだからか……?」

「かもしれませんね」

 そう言って笑い合う。

「娘さんはどんな方なんですか?」

「本当に人見知りが激しいヤツでな。小さい頃から人と話したり、遊ぶのが苦手だった。学校に通い始めても、学校や友達のことはあまり話したがらん。部屋に籠っては本を読みふける。そんな娘が大学に通い始めて、妻に『毎日楽しい』と連絡を頻繁によこすらしい」

「僕も大学がとても楽しいので、その気持ちはわかります」

「そうなのか? オレん時は、そんなに楽しくなかったがなぁ……」

 おふくろにこれ以上の苦労をかけさせないため、絶対に教員免許を取る。教師になって、昔から聞かされていたオヤジのような立派な教師を目指そうと。その目標のためだけに大学進学をした。周りはちゃらちゃら遊ぶヤツが多かったが、オレはひたすら勉強を続けた。そのおかげで今の生活があるといっても過言ではない。だが、教職はこんなに休みがないのなら、少しくらい遊んでもよかったかもなと、少し後悔している。

「僕の場合、授業もですが、気の許せる友達が出来たことが大きいのかもしれません。そのうちの一人が彼女なんですけど、その子はとても明るくて、でも少し恥ずかしがり屋な面もあったり。なにより僕に誰よりも寄り添ってくれる優しい子なんです。あ、僕、誕生日が一月三日で――」

「一昨日じゃないか。おめでとう」

「ありがとうございます。――三が日って皆さん忙しいじゃないですか? 彼女は共通の友達も呼んでサプライズで誕生日会を開いてくれたんです。今まで誕生日会はおろか、両親からも祝われたことがなかったので、本当に嬉しかったです。気がついたら泣いてしまって」

「素敵な彼女さんだ」

「ええ、世界一の彼女です」

 そう言うと、彼の頬が一気に紅く染まった。オレも紗子を世界一の妻だと思っているが、口に出したことはない。恥ずかしいし、紗子に伝えたらきっと笑い転げるだろう。それをしっかりと口に出せる彼はカッコイイ。

「いやぁ、彼女さんが見てみたいですなぁ」

「もうすぐ来ると思うのでよかったら……」

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