第4話

 オレは教えてもらった通りの道順を辿り、喫茶店を見つけた。喫茶店というと、薄暗く古びた感じをイメージしていたが、ここは出来てまだ新しいようで、店内もオレンジ色の温かみのある照明が灯っている。オレみたいなおっさんは場違いな気もするが、せっかく教えてもらったし、腹も減って、喉の渇きも限界だ。勇気を出して入店し、案内された四人掛けのボックス席に腰を下ろす。メニュー表ですぐに目についたナポリタンと、ホットコーヒーを注文した。

「さて……」

 注文した品が届くまで本を読もう。紙袋を開け、今日初めて知った作家のハードカバーの小説を取り出す。帯には「新人賞受賞作!」「期待の新人デビュー!」という文字が躍る。再び老眼鏡をかけ、表紙を開く。

宗教の教祖である母と、その娘。物語は娘が母を包丁で殺すシーンから始まり、なぜ殺人に至ったかを回想していく。かなり重い内容だが、文章は硬すぎず、読みやすい。

冒頭から緊迫したシーンの連続で手に汗を握っていると、

「お待たせいたしました~」

という女性店員の声に顔を上げる。真っ赤に輝きを放つナポリタンがやってきた。いったん本を閉じ、お手ふきで手を拭き、気持ちをリセットさせる。

 焼いたベーコンの香ばしい匂いと、トマトケチャップの甘酸っぱい香りが腹の虫を騒がせる。フォークやナイフを使うのがヘタクソなオレは、カトラリーの中から箸を取り出す。両手を合わせ、小さく「いただきます」と呟く。外食であっても、口に出さなければ食べ始められない、昔からのクセだ。箸でつまみ上げた麺を口いっぱいにほおばる。ケチャップが絡みついた、少し柔らかめに茹でられたスパゲッティ。ピーマンとタマネギ、ベーコンがそれぞれの風味が生きている。あとからコショウのピリっとした辛さが追って来るのも良い。自分が感じていた何倍も腹が空いていて、あっという間に平らげてしまった。口の周りを拭けば、紙ナプキンにだいだい色が付着する。これこそ喫茶店のナポリタンだな。店の新しさとは裏腹に、昔ながらの味つけは訪れた人々の舌を喜ばせているのだろう――なんて、食エッセイなら書かれそうな文言が浮かんだ。

 食べ終わったのを見計らい、皿が片付けられ、代わりにホットコーヒーが運ばれてくる。タイミングの良さも心地いい店だ。教えてくれた書店員の青年に心の中で改めて感謝する。先ほどの本を読み進めていく。途中でコーヒーをおかわりもし、最後の一文字まで読むことにした。本来の目的を忘れていると言われるとそうなのだが……。まぁ、それは読み終わってから考える。


「……ふぅ」

 読み終わり、老眼鏡を外して、天を仰ぐ。空調を循環させるプロペラが回っている。母の一方的な歪んだ愛情に耐え切れなくなった娘は、一人の人間として生きたいがために殺人を犯す。悲しく、救いのない物語だった。デビュー作からここまで書き上げるとは。次回作が出たら、読まねばならんな。

 腕時計を確認すると二時間経っていて、夕方の五時を指していた。思ったより居座ってしまった。周りを見ると知らぬ間に満席で、賑やかになっていた。そろそろ出ねば……。その前にと、便所へと立ち、用を足して席に戻る途中、店のドアが開く。

「すいません。今あいにく満席で……」

 と店員が声をかけている相手を見る。ダウンコートを着て、首元に濃紺のチェック柄のマフラーを巻いているが、先程の書店員の青年だとわかった。

「あっ」

「えっ」

 目が合い、二人とも思わず声を出してしまった。

「あの、オレ、残ってるコーヒー飲んだら出発するんで、少しだけ相席という形でテーブル使われませんか?」

「いいんですか? 僕も少しだけ時間潰したくて」

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