第7話 二日目の朝

「うっ、ここは……」


 目を覚ますと見慣れない天井が映った。微かに視点を動かせば見えるのは清潔感のある白いシーツ。

 ここは宿泊施設、だろうか。しかし一体何故――

 むくりと体を起こしてカーテンを開けてみると独特な形状をした建築物達が煙突から白い煙を吐き出しているのが見えた。


「そういえば俺、転移したのか」


 寝惚け眼を擦っていると段々と昨晩の記憶が蘇って来る。

 昨晩【欠片】を回収する旅を開始した俺達は奴隷商人のエリオットに捕まりかけたのだったか。それで、誰かの声がして。気付いたら【欠片】に封印されていた【魔王】と俺が入れ替わって、それから――


「……人を、殺した?」


 実感が湧かなかった。それは肉体の乗っ取りという非現実的な事象の間に起きた事だからなのかもしれない。けれど瞼を閉じれば飛び散る赤い色が鮮明に思い浮かんでしまう。昨晩の出来事は夢でも幻でもないのだと、そう証明するかのように。


「やぁ、おはよう清人!!」


「うぉっ!?」


 そんな思考を遮るように、視界の端からニュッとジャックが飛び出て来た。


「そこまで驚かれるのは心外かな。けどその反応を見るに今朝は清人の人格みたいだね」


「人格……って事はやっぱり俺」


「うん、今の君は【欠片】の影響で疑似的な二重人格みたいな感じになってるっぽいかな」


 二重人格。その言葉は自分でも不思議なほどすっと腹に落ちた。

 にしても。


「ちょ、何で無言で殴ろうとしてくるのかな!?」


「【欠片】についての説明端折りまくった挙句いきなり二重人格になったんだぞ!? まぁ、なったもんは仕方ないけど、それにしたってあんまりだとは思わないのかよ!?」


「そ、それを僕に言われても困るかな!? 神々の最終兵器に人格があるなんて知らなかったし。というかそもそも兵器については機密だらけだから一般には情報開示はなされないし」


「一般には開示されなくともそれにまつわる仕事するんだったら情報共有してくもんだろ!? 報連相はどうなってんだよ報連相は!!」


「うぐっ、それを言われると弱いけど。でも本当に君と同じで何も知らなかったから青天の霹靂と言うか何というか……」


 段々と尻すぼみになっていくジャックを見て、これ以上何か言うのは筋違いかと追求を止めに――グゥゥ~。


「ゴメン、お腹鳴っちゃった」


「……朝食にするか」


 締まらないなと思いつつも俺達は街へと繰り出した。



 ♪ ♪ ♪



 宿屋から一歩外に出てみると、昨夜とは正反対の溢れんばかりの活気に満ちた声が俺達を歓迎した。


「昨日とはえらい違いだな……凄い活気だ」


 先程窓から見た摩訶不思議な建築物が視界一杯に広がる。その上、不思議なことに至る所から蒸気が噴き出しているのだ。日本では絶対にお目に掛かれないであろう光景に俄然テンションが上がってくる。


「そりゃあそうだよ。何せここは【魔素】を使って発生させたジョウキを主要電源にしたジョウキキカンが売りの大都市【機工都市】テオ・テルミドーランだからね。貧民街とは雲泥の差だよ」


「成る程……つまり大正櫻に浪漫の嵐って奴か」


「うーん。理解としては合ってるんだろうけど、色々とどうなんだろソレ」


 そうやんややんやと言い合っているうちに今度は俺の腹がぐぅと間抜けな音を立てた。


「観光はさて置きさっさと飯にするか」


「それが良いね」


 近くに食べ物を売っているところが無いものかと探すと丁度良いところに屋台を見つけた。それなりに賑わっているし味も多分悪くはないだろう。

 そんな風に楽観的に物を考えつつ列に並んで待つ事数分。


「いらっしゃい。ご注文は?」


 何を選ぼうかとメニューを見て、驚く。

 というのもお品書きに書いてある明らかに異世界っぽい謎言語がするりと本能的に理解できたからだ。これが所謂転生特典って奴なのかもしれない。

 そんなこんな無言を貫いていると店主のおじさんの視線が段々険しくなってきたので値段が安い串焼き肉を二本分注文する。


「あいよ」と不愛想に店主が差し出す串焼きを受け取りながらアイテムボックスから代金を取り出そうとして――ぞっとした。

 手にぬるりとした嫌なものが触れたからだ。恐る恐る手をアイテムボックスから抜き出して見ると、手に赤茶けた色が付いていた。俺が触れていたのは、血液がべっとりと付着した硬貨だった。


「あ……」


 冷や水を掛けられたみたいに血の気が引いた。思い起こすのは昨晩の殺人の記憶。先程までまるで無かった殺人の実感が急に輪郭を帯びていく。


「おい、黙ってどうしたんだ兄ちゃん。まさか財布をスられたのか?」


 冷や汗を流しているのを目敏く発見したらしい店主の言に対して首を横に振る。

 金はある。ただ、その由来と現状に大いに問題があった。

 これを渡すべきかどうかを思案していると、「はぁ、馬鹿だな」と店主は呆れたように呟いた。


「おら、それ持ってさっさと行っちまえ。シケた顔しやがって。後ろも詰まってるんだ、代金は要らねぇからさっさとどっか行け。その代わりそんなツラで二度とウチに来るんじゃねぇぞ」


「……あ、はい」


 意図せずタダで串焼きを手に入れる事が出来たが、気分は全く晴れない。


「どうかしたのかな。あからさまに浮かない顔だけど」


 戻った時のジャックの開口一番はそれだった。どうやら今の俺は分かり易く沈んだ顔をしているらしい。


「ちょっと、な」


 そう言って例の血の付いた硬貨を見せた。するとジャックは「あー」と何か察した様子だった。


「ソレ、多分【魔王】が昨日露店で買ってた血糊だね」


 ……うん?


「ちょっと待った。買ったってどういう事だ? ここでは血液が普通に売られてるのか?」


「ううん、そうじゃなくて演劇とかで使われるあの血糊だよ」


 比喩的なアレじゃなくて、本物の血糊らしい。

 改めて指先に鼻を近付けてみると、思っていたような鉄臭さは全くしない。

 これ、本当に血糊だ。


「何でこんなに悪趣味で紛らわしい事を……!!」


「でも、そうでもしないと宿主は人の命の重さについて深く考える事も無いまま普通に買い物に金を使うだろうって【魔王】が」


「……確かに、そうだな」


 実際、さっきまでは殺人の実感なんてまるで無かったし、なんなら昨日の夜の事は夢だったんじゃないかとすら思っていた。だから、と言ってはなんだが血糊が付いてなかったら普通に代金として支払ってしまっていただろう。……人を殺して奪った金を。


「【欠片】を集める以上、確実に君は自分の手で人を殺める機会が来るから早めにそういう事を考えて欲しい、とも言ってたね」


「そう、か」


 考えてみれば異世界に来て一日目にして命を賭けたやり取りになったのだ。これからそうならないとどうして言えるだろう。

 それに毎度【魔王】がどうにかしてくれるとも限らない。……俺がやらなきゃいけない時が絶対に来る。

 出来るのか? 俺に。


「っとと、朝にする話でも無かったね。折角の串焼きも冷めちゃうしさっさと食べちゃおっか」


「……ああ」


 ジャックに串を一本手渡すと座りの悪さを誤魔化すように口に運ぶ。

 味はあまり感じられない。


『どうだ、俺のささやかなサプライズは』


 そんな時、悪戯に成功した時の子供のような声が脳内に響いた。


「【魔王】か」


『然り。にしても、随分とまぁ辛気臭い面持ちだな宿主。人を殺した事実がそんなに堪えたか』


「……そりゃあな。今食べてる肉も味もあんまり分からない」


『ならば俺に全てを委ねてみるか? 間違いなく楽になれるぞ。罪の意識も憎悪も絶望も何も感じなくて良くなる。……まぁ、その時点でお前自身の人生、というものは恐らく終了するだろうが』


「もしかして、心配してるのか?」


『どこを切り取ったらそうなる。勘違いするな。お前は俺の、【魔王】の宿主だ。たかが敵の一人や二人が死んだ程度の罪悪感でへたれるのは見るに堪えないから手を出したまでだ。それでどうする。正直、お前が体を寄越すと言ってくれた方が俺としては楽なのだが』


 どことなく早口でまくし立てる【魔王】だったが、その言葉には彼なりの不器用な優しさが見え隠れしているように思えた。

 というか、ジャックづてにあれだけ言葉をくれたのだ。だからこれは多分照れ隠しだろう。


「残念だけどこの体は渡せない。ただ……ありがとうな。その、色々と」


『感謝するよりもまずは自分の心配をする事だな。くどいようだが俺を内包している以上争いは避けられん。いつかお前の意思で自身の手を汚す場面は必ず来る』


 そう言い残すと【魔王】は沈黙した。


「俺の意思で自分の手を汚す、か……」


 俺の極めて個人的な願望の為に、人を殺せるのだろうか。


「忘れてるかもだけど、【欠片】が揃わなかったら【イデア】はおろか地球も滅んじゃうからね。別に殺人を推奨する訳じゃないけど、そういう場面が来たら君個人の願いの為じゃなくて地球に住んでる家族や友達の為って思うのも良いんじゃないかな」


「……でも、やると決めたのは俺だから」


 俺は世界が滅びるから仕方がなく異世界に転移して来た訳では無い。俺は自分の願いを叶える為にここに居る。言ってしまえば世界はついで。行き掛けの駄賃に過ぎない。

 だったら、覚悟を決めなくちゃ、駄目だろ。


「だから、俺は俺の責任を負うよ」


 俺は残りの肉に齧り付く。

 今度の口の中には肉の旨味と適度な塩気がしっかりと感じられた。

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