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そんな日が二日続いた次の朝、事件は起きた。

いつものように開店の為店に向かうと、店のシャッターは壊され、中のガラス戸は割られ、店内も椅子やテーブルが壊されたりと酷い有り様だった。

貴子たかこは驚き、何故こんな状態になってしまったのか状況が呑み込めないまま、呆然と店内へ足を踏み入れた。


「酷い、これ泥棒の仕業?」


こんな田舎の蕎麦屋にまさか泥棒が入るとは信じられないが、とりあえず状況を把握しなければと店内を隈無く見て回る。店のお金は毎日回収しているので、店に現金は置いてないが、この店には蕎麦を作るのに大事な食材や道具が揃っている。

匠海たくみは黙って店内に入り、厨房を見渡す。目につく物全てひっくり返して回ったようなその惨状に、言葉も出ない様子だ。


「…とりあえず、警察に電話しなきゃ」


蕎麦打ちに使う道具を拾い、両手で大事そうに撫で泥を払っていた匠海は、貴子の言葉にはっとした様子で顔を上げ、受話器を取り上げた。


「やめて下さい」

「え、どうして?」

「…修理費は俺が払います。金使って無いんでバイト代結構貯まってますし、どうにかなります。それから、キヨエさんにはこの事黙っておいて貰えますか…心配かけたく無いので」

「え…心配かけたく無いのは分かるけど…警察に言わないわけにはいかない、これは犯罪だよ?お金払って修理すれば良いってもんじゃない、そもそも匠海君に出させるわけにはいかないし、それに大事な店をこんな風にされて、なんでそんな冷静で居られるの?」

「冷静なんかじゃない!」


匠海の初めて聞く怒鳴り声に、貴子はびくりと肩を震わせた。


「す、すみません、大きな声出して」

「…ううん、私こそごめん。私より、匠海君の方が怒って当然だよ」


ならば、何故被害届けを出さないのか。匠海は何か知っているのか。聞きたいけど、今の匠海はまるで心にシャッターを下ろしてしまった様子で、とても聞ける雰囲気では無かった。


店がこのような状態なので、開店出来る筈もなく、この日は一日、片付けに費やされた。

壊されたガラス戸については、明日には業者が来てくれる事になり、店内のテーブル等は、騒ぎを聞き付けた馴染みのお客さんや近所の人達が、いらない家具や料理道具を提供してくれた。

さすが田舎、噂が広がるのが早い。そしてこれはキヨエと匠海の人柄のお陰だろう、温かな人との繋がりに、たった数日勤務の貴子も、何だか泣きそうになってしまった。匠海は終始恐縮しきりだった。




貴子は夕方、一度店を後にした。匠海の軽トラックを借り、向かったのは日課となっているキヨエのお見舞いだ。顔を出さないとキヨエが心配するだろうし、かといって自分は合わす顔が無いと匠海が言うので、今日は貴子一人でのお見舞いとなった。

「絶対今日の事は言わないで下さい」と念を押されて送り出されたので、キヨエには店が荒らされた事を言うに言えず、何だか嘘をついているようで後ろめたい気持ちになる。

それでも、どうにかキヨエには感づかれないで済んだようだ。貴子はホッとして病院を後にした。


帰りにスーパーでお弁当を買い、蕎麦屋に戻る頃には、すっかり夜を迎えていた。


「ちょっと遅くなっちゃったな…」


匠海はお腹をすかせていないだろうかと、気持ち急いで店の側まで帰って来ると、暗がりの中に数人の人影が見えた。

またご近所さんが来てくれたのだろうかと、店の中に入っていく人影を見て貴子は思った。差し入れや家具等を提供してくれた人達にちゃんとお礼をしないといけないな、そんな思いで車を停めて外に出ると、ガシャン、と大きな物音が聞こえ、貴子は驚いて店へと駆けた。

片付け中に何か物でも倒れたのか、匠海が怪我していないかと、慌てて店内に入れば、三人の青年が立ちはだかるその向こう、匠海が床に倒れていた。


「匠海君!?」


貴子の声に三人の青年が振り返る。三人の手には、それぞれ金属バットが握られており、その一つには血の跡がついていた。

彼らは皆、目をつり上がらせていた。怒気と狂気を滲ませた表情は、貴子を目にするとどこか愉快そうに表情を歪めた。


「何あんた、こいつの女?まったく良い身分だなー匠海君はー」


下卑た笑みを浮かべる男に腕を回されそうになり、貴子は慌ててその腕をかわすと匠海の元に向かった。頭を殴られたのか、額から血が流れている。


「あ、あなた達何なんですか!警察呼びますよ!」


匠海を支え毅然と対応したいが、いかんせん金属バットで殴り込みに来た青年に会うのは初めてだ。心臓が恐怖で今にも壊れそうだが、匠海を前に弱音を吐いていられない。自分は彼より年上だし、何より彼はここで、ずっとキヨエを守ってくれていた。


「どうぞどうぞ、警察でも何でも呼んで下さいよ!」


そう言いながら、男の一人がバットで電話を叩きつけた。貴子は思わず悲鳴を上げた。こんな暴力にあった事がない。


「お姉さん、僕達はこれでも被害者なんですよ」

「え?」

「こいつさえ居なきゃ、俺達は警察に捕まる事無かったんだよ!」


またテーブルを蹴り飛ばされ、貴子は悲鳴を上げて頭を抱えた。


「や、やめて下さい!これ以上店を壊さないで!」

「じゃー僕達にそれ相応の事して貰わないとー」

「な、何を」

「慰謝料頂きたいなー。まさか、こんな田舎に居ると思わなかったからさー、探すの苦労したんだよ」

「そ、そんな、彼が何したっていうんですか…!」


一人がしゃがみ、貴子と目線を合わせてくるので、貴子は怯えて身を引いた。


「ずっと仲良しだったのにさー、ばーさんの鞄ひったくった時邪魔しやがってさ」

「え、」

「あれのせいで大変だったんだよねー。金は無いわ警察に捕まるわでさー、匠海君は上手く逃げてたみたいだけどー」


思わず匠海に目を向けると、彼は心当たりがあるのか視線を逸らしたまま、何も言わない。


「だからさー、仲間裏切って一人だけ楽しようとか、ふざけんなって話じゃない?」


にこりと笑って、男は貴子の肩を押し退け、後ろの匠海に腕を伸ばす。


「ま、待って!やめて!」


貴子は咄嗟にその腕を押し退け、匠海の前に体を入れ、匠海を背に庇った。


「邪魔したって事は、匠海君、鞄取ってないんだよね?」

「え?」

「匠海君のお陰で、ひったくり失敗したんでしょ?そういうの逆恨みって言うんです!うちの大事な…か、家族に手を出さないで!」


過去に何があろうが、貴子は今の匠海しか知らない。匠海はキヨエの大事な店を守ってくれている、キヨエを側で支えてくれている、それは最早家族も同然だ。

匠海は驚いた様子で、震える貴子の背中を呆然と見つめた。目の前の男達が貴子の発言に怒りを覚えたのは、言うまでもない。


「お姉さーん、今の状況わかってるー?」


床にバットが振り下ろされ、床に響く金属音に貴子はびくりと震えたが、それでも貴子は匠海の前からどかなかった。


「あ、あなた達こそ、こんな事してどうなるか分かってるでしょうね!」

「ハッ!あんたに何が出来るって言うんだよ!」


いよいよ自身目掛けて振りかざされるバットに、貴子は覚悟を決めてぎゅっと目を瞑った。


「やめろ!」


しかし、匠海も黙って見ていられる訳がない。すかさず匠海が貴子の前に飛び出すと、貴子ははっとして顔を上げた。


「ダメ!」


ガッと鈍い音がして、立ち塞がった匠海がバットを左腕で受け止めたのが分かった。だがその直後、何故かその向こう、後ろに居た二人の男が次々と悲鳴を上げ倒れていった。

バットを振り下ろした男が何事だと振り返ると、店の入り口に、大柄な男が立ち塞がっていた。貴子はその人物を見留めると、ホッとして表情を緩めた。


「いっちゃん!」

「よぉ、久しぶりだな貴子」


そう言うなり大男がバットを掴むと、そのまま男の腕を捻り上げてしまった。


「いっ…何だよお前!」

「うちの連れを随分可愛がってくれたみたいだなー兄ちゃん」

「な、元はと言えばこいつが!」

「俺の連れがなんだって?」

「ひ、」


大男が顔を近づけて凄めば、先程までの意気はどこへやら、バットを手にした男は悲鳴を喉奥に詰まらせ、結局腕を振りほどく事も出来ず、へたりと座り込んでしまった。


「…重井さん、どうして」


男を解放しながら、匠海の言葉に大男は人の良い笑顔を浮かべる。彼は、重井一輝しげいいつき。キヨエの家のお隣さん、重井の孫で、元ラガーマンだ。


「いやー、店が酷い事になったって聞いてさ、もしまだ居たら差し入れ持ってこようと思って。来て良かったよ、まさかこんなお客が来てるとはな。お前ら怪我ないか?」


その言葉に、貴子ははっとして匠海の腕を取った。バットを受け止めた匠海の左腕は、真っ赤に腫れ上がっていた。


「大事な腕なのに!どうして飛び出したりしたの!」

「…貴子さんだって、同じじゃないですか」


思わず目を合わせて固まる貴子に、一輝の笑い声が店を通り越し夜空にまで響いていく。


「わ、笑わないでよ、いっちゃん!」

「いやぁ、仲が良いな、お前ら」

「そんな事言ってる場合じゃないでしょ!救急車!」

「そんな重症じゃないから」

「でも!」


そんな言い合いをしている二人に、一輝は一先ず安堵した様子だ。

間もなくして警察が到着し、匠海は病院へと向かう事となった。




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