本編

◆8.君がいなかったら、百人と一緒にいたって僕はひとりぼっちだ!

 それは母の汚名を晴らすための遍歴でした。それは語り部修業の股旅またたびでした。

 そしてそれは、ただ純粋に旅するための旅でもありました。


 ユカとリエッキのふたりの旅は、旅歩くことそのものが大きな喜びに満ちていたのです。特別なことがなくとも毎日は特別で、楽しいことがなくとも楽しさは尽きません。

 ですが、そんなのは当然というもの。

 なんといっても最高の友達同士が一緒にいたのですから。それで楽しくなかったら、そんなのはそれこそウソというものです。


 山をくだったふたりは、目の前に広がる平原はひとまず迂回して進路を取りました。ユカの当初の目的地はこの平野のちょうど中心に位置する、ここら一帯の首邑しゅゆうたる交易のみやこ(目を三度みはるほどの大都市!)でしたが、しかし、ここにはだかったのが苦笑するばかりの誤算です。

 山向こうが天然自然の景色を多分に残していたのと比べて、山のこちら側は元々の平らかさに加えてすっかり開拓も進んでいて見晴らしは良好、とりわけ都に向かう複数の街道は普請が行き届いており、旅人の交通は終日にわたって途切れることがありません。


 つまり、馬鹿正直にまっすぐ目的地へと向かったのでは、リエッキが人目に触れて大騒ぎになるのは避けられないということです。


 ですから、ふたりは昼の間は点在する木立や大岩などの物陰に身を隠して眠り、移動はもっぱら夜にこなすことにしました。

 普通の旅人が一日で進む距離に二日も三日もかけ、昼の間に身を潜める場所を探すのだって一苦労。

 旅人や近在の村人に見つかりそうになってからがら逃げだした、なんてことも数知れずです。


 旅路は遅々ちちとして進まず、毎日は苦労の連続。

 ですが、そんな苦労までもがふたりにはなんだか楽しくて、ユカとリエッキは顔を見合わせては笑い交わしたものでした。


「これってちょうどいいよね。だってさ、語り部ってのは本来夜の種族なんだもん」


 そんなユカの軽口に、リエッキはいつも「はん」と鼻を鳴らして応じるのでした。


 まさに形と影が相伴うように、ふたりはいつでも一緒にいたのです。


 もちろん、例外はあります。

 何日かに一度、ユカはリエッキを残して一人で町や村へと出掛けます。

 彼はそこで、昼は広場や市場を、夜は酒場を訪ねて物語をかたり、その対価として得たお金で旅の必需品や食材、それに蜂蜜をごっそり買い込んで戻るのです。


「やぁリエッキ、こうして再会出来て感無量だよ! すごく寂しかったんだ!」

「バカ、たった半日離れてただけじゃないか……ああもう、鬱陶うっとうしいひっつくな!」


 大袈裟なことを叫んで抱きついてくるユカを尻尾の一撃であしらって、リエッキはやっぱりはんっと鼻を鳴らします。

 これはユカが帰るたびに繰り返されるお約束のやりとりで、いわばおかえりの儀式のようなものでした。

 だけど、ユカがリエッキと離れている時間を寂しく感じていたのは本当ですよ。


 ユカがリエッキの為に持ち帰るおみやげは、蜂蜜だけではありませんでした。

 町で見たこと聞いたこと、体験したことのすべてを彼は彼女に話しました。

 あの物語は聴衆に受けてこの物語はいまいちだったとか、町ではお祭りの準備がはじまっていたとか、市場につながれていた犬にはどうも狼の血が混じっているように見えたとか、そんなよしなしごとの数々を。


 リエッキは素っ気ない風を装いながら、ですが本当はとても熱心に聞いてくれていました。

 それがわかっていたからこそ、ユカは身振り手振りを目一杯に駆使して、百人の聴衆に対するよりも熱を入れてたった一人の彼女に語ったものです。


 さて、秋も深まりつつある、うららかな午後のことでした。


「なぁ、ユカ」


 リエッキが、不意にユカに言ったのです。


「わたしは、あんたのお荷物になってないかな? だってあんた一人なら旅の面倒はなんにもないんだ。あんたには大事な目標があるのに……もしかしてわたしは、いないほうがいいんじゃないか?」


 これに対し、ユカはそれまで一度も見せたことのない剣幕で答えました。


「バカ言わないでよ! 君がいるから僕の毎日は楽しい、君がいるから僕の毎日は満ち足りてる! 君がいなかったら、たとえ百人と一緒にいたって僕はひとりぼっちだ!」


 そんなこと、考えるのもいやだ。そう締めくくったとき、ユカは涙さえ浮かべていました。

 ですが、それはリエッキのほうも同じです。瞳に溜めた涙を誤魔化すようにそっぽを向いて、リエッキはこのときもやっぱり「はん」と鼻を鳴らしたのでした。


「……君がいなかったらなんて、僕は考えたこともないよ」


 ややあってからユカは言い、それから、緩みきった笑顔で涙を打ち消して続けました。


「でも、こう考えたことはある。もし君が人間だったら、君が人間になれたらってさ」


 さて、それから、ユカの毎日の物語には新たな一作が加わります。

『もしもリエッキが人間になれたら』。

 そんな空想をユカはリエッキに語り、また、語ることによってさらなる空想の深みへとくだってゆきました。


「もし君が人間になれたら、もちろん僕は君を町に連れて行く。君に見せたいものが山ほどある。それに語り部として聴衆の前で語っている僕も見てもらいたい。これでも僕は結構将来有望な語り部なんだよ? そして一仕事終えたら、今度はそのまま酒場のお客になって一緒に蜂蜜酒を飲むんだ。止まり木カウンターに並んで腰掛けてさ」


 奔放な空想が、奔放な願望が、毎日毎晩のように語られます。

 けっして成就することのない無邪気な願い、楽しい夢の数々が。


 ユカは己の空想の半ば虜となりながら語って、リエッキも柔らかな笑みを浮かべながらそれに耳を傾けます。

 とても幸せな時間がそこにはありました。


「もしも君が人間になれたら……僕は今よりもずっと、ずっと君と一緒にいられる」


 ある夜のこと。

 いつもの空想をいつものように語ったあとで、ユカは夢見るように呟いて大地に寝転がりました。満天の星空を抱きしめるように、大きく両手を広げて。


 と、闇の中、伸ばしたその手に触れた物があるではありませんか。


 しかし、なにしろ違和感のある感触です。

 石ころや草などの自然物とは明らかに違う、なめらかな手触りをしているのです。

 ともかく、ユカは手探りでそのなにかを引き寄せて、自分の目の前に掲げてみます。


 一冊の本でした。

 たった数ページだけの板と見紛うほどに薄い、なのにきちんと冊子状に製本されて立派な表紙も裏表紙もある、見るからに、触れるからに奇妙な本です。


 焚き火に照らしながら、とりあえずユカはそれを読んでみることにしました。

 目で追う文字を、知らぬうちに声に出して。

 なぜか自然と、いつもの語り部の口調となって。


 そして、最初の数行を読んだところで、朗読の声は狼狽となってそのまま途切れます。



「『説話を司る神の忘れられた御名においてはじめよう。これなるは影と形の友情譚。奔放不羈ほんぽうふきの空想と、夢見るような夢の夢。終わらぬ絆で結ばれた、彼と彼女の――』


 ……え、なにこれ?」



 はたして、そこに記されていたのは物語でした。人間になった竜が、友達の男の子に連れられて人間の町の見物に出掛け、一緒に楽しい時間を過ごすという内容の御伽噺おとぎばなし

 ユカの空想が、そのまま文体と文脈を得てそこには綴られていたのです。


「ねぇリエッキ、なんだかおかしなものがあるんだ。ちょっとこれ見て……」


 慌てて親友に呼びかけたユカでしたが、しかし、その声はまたも途切れてしまいます。


 彼はただ呆然と目の前を凝視しています。

 ユカの視線の先、さっきまで確かに寝そべっていたはずの大岩のその上に、しかしリエッキの姿はありません。


 親友は忽然と消えて、代わりに、そこに現れていたのは一人の人間の女の子です。

 その夜の月すら霞むほどに美しい、ユカと同い年くらいの美少女でした。

 神秘的な白の衣装に月光を照り返して、炎を思わせるくれないの長い髪を夜風になびかせて、少女は満ち足りた表情で夜空を眺めておりました。


 ユカは一瞬にしてその娘に瞳を奪われます。

 いいえ、瞳だけではなく、心をもまた奪われます。


 やがて少女の側もまた、そんな風に自分を見つめている少年の存在に気付いたようでした。

 怪訝けげんそうに眉をしかめながら、少女は不躾ぶしつけなまでに気安い口調でユカに言いました。


「……なんだよユカ? なんでそんなにじろじろ見てるんだよ。気持ち悪いな」

「……リエッキ?」


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