■5.物語の播種

 二人の兵士の逃げ去る背中を、一人と一頭はすぐ近くの林に身を隠して見送った。


「ねぇ、ねぇ、どうだったリエッキ? 僕のあの迫真の演技!」


 そうはしゃぐのは兵士たちをしこたまおどしつけたあの山の神の使い――ユカだった。

 その隣ではリエッキが、呆れと感心の綯い交ぜになった複雑な表情を浮かべている。


「あ、君の起こしてくれた風も絶妙に時宜を捉えてたよ。言うことなし、完璧!」

「はいはいそりゃあどうも」


 とリエッキ。


「……でも、ほんとにうまくいくのか? さっきの二人組みたいのはともかくとして、呪使いってのはたいした知恵者なんだろ?」

「だからこその山の神さ。彼らは知者であると同時にかなりの信心家……というか、迷信家なんだ。神とか神秘とかには簡単に飛びついて、そして簡単に踊らされる」


 楽しそうに断言するユカ。

 語り部ってより詐欺師みたいだな、リエッキはジト目で彼を見る。


「さ、まだまだこれからだ。行こう、リエッキ!」


 ぴしゃりと頬を打って気合い一新、ユカは意気揚々と次の場面に向かって歩きだす。

 その背中を追いながら、リエッキは心にうずききを感じている。

 いやな疼きではなかった。昨夜からずっと、あらゆる不快さは彼女の心から遠かった。

 前を行くユカの背中に、リエッキは言い知れぬ安堵を覚えている。

 ふざけたやつ。でたらめなやつ。

 だけどあいつの言う通りにしていれば、とりあえず後悔はしない気がする。

 たとえうまくいかなくたって、きっと、全然。


 いや、うまくいくような気さえする。

 根拠はないけど、なぜかそういう気がする。


 彼女自身気付かぬうちに、リエッキはユカを信頼しきっている。


「ん? リエッキ、どしたの? 困るなぁ、主役の山の神がもたもたしてちゃあ」

「うるさいなっ! いまいくよ!」


 リエッキにユカが呼びかける。ぶっきらぼうにそれに応じ彼女は彼の後に続く。

 リエッキはユカを信じている。そしてまた、ユカと同様に彼女もこの状況を楽しみはじめている。

 求めていたのは悪意だったはずだ。求めていたのは暴力衝動の吐け口だったはずだ。

 しかし一人血みどろの殺し合いに身を投じるよりも、きっと、これはよほど楽しい。

 ユカと一緒のこれは。



   ※



 それから、ユカの八面六臂はちめんろっぴの活躍は(あるいは暗躍というべきか)はじまった。

 兵士たちの持ち場を順番に訪ねて、最初の二人組に語ったのと同じように警告を与え、しかるのちに忽然とその前から姿を消して見せる。基本の手順はこのようなものだった。


 なにしろユカは速かった。

 一つの場面が終わるとまた次の場面へ、彼はほとんど休みもせずに駆けた。山中を、ほとんど平地のように苦もなく疾走して。

 また洞察どうさつの目にも優れていた。

 周囲の物音、獣と鳥の声の調子、薙がれた木々や足跡などの痕跡から、彼は兵士たちのいる場所をたちまち割りだした。特定は正確を極めた。

 そして、なにより想像の力に恵まれていた。

 リエッキが翼で起こす突風はもとより、たとえば猿たちの甲高い鳴き交わしの声を、たとえば山颪やまおろしの風が鳴く怪異に似た声を、ユカは即興で自分の語りに取り込んで演出となした。その効果は常に絶大だった。


 この日、ユカは森の管理者だった。

 しかし播種はしゅするのは、植物ではなく恐怖の種。

 兵士たちの心に蒔かれたそれは、たちまち芽を出して彼らの行動を縛り上げた。



   ※



 山道に置かれた天幕、山狩りの本部となったそこに兵士たちが続々と駆け込んでくる。

 不思議な少年、山の神の使いを名乗る子供との遭遇報告を携えて。

 そしてそこで、彼らは自分たちと同じように警告を与えられた同僚たちと鉢合 はちあわせる。


 兵士たちは互いの体験を照らし合わせ、自分たちの前に現れた少年は間違いなく同一の人物であるとの確信を抱く。


「で、でもよ」


 誰かが慄(りつ)然(ぜん)たる声で皆に言う。


「こんなに短い間に、こんなに広範囲に、こんなに何人もの前に現れたってのかよ? そりゃ、人間には無理だぜ!」


 この指摘に、兵士たちは揃って青くなる。

 そして彼らの報告を受けた呪使いたちもまた、顔色は同様に青ざめている。

 むしろ、呪使いたちの胸裡きょうりに発した畏れは兵士たちのそれを大きく上回っている。

 神秘や迷信のたぐいを度を超えて重視するのは、呪使いという人種全体が共有する悪癖だった。


 やがて雨が降りはじめる。

 予言されていた雨、神の怒りを宿した雨滴うてきが天幕を叩く。


 ことここに至り、撤収の気運はいよいよ極まる。


「……剥製は諦めて頂くほかあるまい。領主様には吾輩わがはいからご説明いたそう」


 その場の最高位者、領主に山狩りを提言した呪使いの主任が、ついにそう決断した。



   ※



 ちょうどそのとき、場所を移した山中では少年が竜に笑いかけている。


「さぁ、物語もいよいよ佳境だ」


 ユカはリエッキに言う。


「いよいよ君の出番だ。説話を司る神の忘れられた御名において――ひとつ楽しんでこようじゃないか」


 はん、と満更まんざらでもなさそうにリエッキは鼻を鳴らす。

 それから、彼女は高々とえる。


 あらゆる生物を戦慄させる豪吼ごうこうが、深山みやまを貫いてこだまを呼んだ。

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