#48.転職活動と小説仲間

 ブドウが酸っぱかったから良かったとは言え、僕の疲労はかなりのものでした。


 日中は定時で業務をこなし、帰宅後は求人情報をさばき、幾つかの面接を続けて受ける。そして届くお祈りメール。気が付けばカレンダーは既に3月に。転職エージェントの岡田さんからは『そろそろIT系に絞りません?』なんて提案も。


 彼としては望みの薄い情報システム部門より、確率の高い業界にした方が安心ではあるのでしょう。もっとも、彼の提案は仕事の1つ。彼に成功報酬がないのは気の毒ですが、まぁサラッとスルーして僕は方針を変えずに進めました。


 しかし、転職活動とは孤独なもの。職場の同僚に『いま転職活動中でめっちゃ大変なんですわ』などと言えるわけもなく……これが結構、辛かったように思います。


 心の中では、いつも後ろめたさがありました。


 ダウンして復帰して、色々な方に心配してもらい協力してもらっている状況。仮に転職が決まったとして、僕はちゃんと先輩に伝えることが出来るのだろうか。ひょっとしなくても、僕は大きな不義理を働いているのではないか。


 日々の癒しと言えば小説を書くことと、小説仲間とのチャットでした。その時間も忙しさで徐々に少なくなり、メンタル的にはかなりギリギリの状態でした。これ以上に無理をすると、またダウンするのではという不安感が、日に日に増えていきました。


 そんなある日、小説仲間のビーさんが、チャットにこんな書き込みをしていたのです。

『実はいま転職活動中で、落ち着くまで小説を休むと思います』

 え、マジで!?

 ビーさんも転職活動中??


「え、あの、実は僕も転職活動中なんです」

『マジですか!? 凄い、こんな偶然あるんですね』

「マジですマジです。あの、差し支えなければ、ビーさんって何系のお仕事なんですか?」

『IT系ですね。情報システム部門なんですが、別の企業に行こうかなって』


 短時間で2度目の衝撃。まさか、まさかと目を疑いました。

 しかもビーさん、幾つもの職場を経た転職ウォリアーで、僕にとっては先輩とも呼べる経験の持ち主だったのです。IT系技術者は転職が少なくなく、キャリアアップの為に転々とする方も多くいます。ビーさんもその1人だったとは……。


 それからと言うものの、明日は面接受けて来ます、わちゃあお祈りの連絡がきた、などとお互いに戦況報告を重ねていきました。これが僕には本当に心強くって、もの凄い励みになったんです。


 住む地域は大きく異なり、具体的な企業名などは被りませんでしたが、情報システムの経験なども教えてもらい、おかげで転職のビジョンが明確になったというか、より前向きになれた気がします。


 縁は異なもの味なもの。ポッキリ折れそうな直前のところで、僕は助けて貰ったのだと思います。そうして3月の中旬、グループチャットに吉報が書き込まれました。


『本命から内定もらいました!』


 そんなビーさんの書込みが本当に嬉しくて嬉しくて。色々なことを教えてもらい、ときには励まし合った仲間にもたらされた内定は、僕にとっても元気になる出来事でした。


 僕も負けじと就活継続。幾つかの面接を経てようやく、やっと、遂に1つの内定をもらうことが出来ました。比較的ホワイトなIT系で、残業時間は月平均20時間。今の職場とは比べるべくもありません。


 しかも提示された金額を見て驚きました。今の給料よりもポンっと上がるんです。残業が減ってるのにポンっと上がる。うわぁマジか。このブドウとっても甘そう。


「お返事は1週間以内に頂ければと思います。ぜひ、ご検討ください」


 最終面接でそう告げられて、僕は迷いに迷っていました。

 業務内容が僕の経験とかなりマッチしていて、即戦力として働ける自信もありました。もう同じ仕事じゃん、みたいな。ですがこのとき、もう1つ最終面接を控えている企業があったのです。それこそが本命の情報システム部門で、結果が出るのは2週間ほど先。


 つまり、このIT企業の内定を断っても、本命からOKをもらえるか分からない状況。


「カバネさん、どうされますか。条件的にはかなり良い会社だと思います」


 エージェントの岡田さんからは、もう言外に『これで決めましょうよお願いだから』という圧をひしひしと感じます。


「少し……考えさせてください。また連絡致します」


 そう、ここは慎重に考えないといけない。疲労困憊で早く楽になりたい気持ちもあるけれど、決断とはいつだって大切なものです。

 残業も減ってお金も増える。ダウンする前の僕であれば即OKだったでしょう。

 けれど今の目標は?

 なんのために転職活動をしているのか?


 お金より何より、とにかく体調を崩さないこと……即ち時間。残業がゼロの会社でこそ僕は長くパフォーマンスを発揮できるのではないか。それにやっぱり、僕は小説を書きたい。いつまで書けるかは分からないけれど、日々書けるだけの時間を確保したい。


 目標さえ確かならば、答えは明瞭に浮かび上がります。

 結局、僕はお断りの連絡を入れました。

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